商店街の入り口にあるそのクリーニング屋は、いつも白い蒸気に包まれていた。
使い古されたスチームアイロンが放つ、シュッ、という規則的な音。
ガラス越しに見えるのは、首からタオルを下げ、黙々と布地に向き合う年配の店主の姿だ。
ー見えない「手触り」を創る
私は、預けていた一着のワイシャツを受け取りに店に入った。
カウンターに置かれたシャツは、まるで新品のように凛としていた。
襟の立ち上がり、袖口のカーブ、そしてボタン一つひとつの輝き。
そこには、ただ汚れを落としたという結果を超えて、袖を通す人の一日を支えようとする「意志」が宿っていた。
店主は、私の顔を見ることもなく、ただ丁寧にシャツを包装しながら呟いた。
「この生地はね、少し蒸気を長めに当ててあげると、着たときに肌に馴染むんですよ」
その言葉を聞いた瞬間、私は気づいた。この店主が売っているのはクリーニングという作業ではない。
アイロンの蒸気に溶け込ませた「誠実」という名の空気感、すなわち透明資産そのものなのだ 。
ー「誠実」が空間を支配する
経営において、スペックや技術(やり方)は重要だ。
しかし、それ以上に組織を支えるのは、その根底に流れる「在り方」である 。
このクリーニング屋には、職人の誠実さが「空気」となって充満している。
お客様は、その空気感に触れることで、「ここなら大切な服を任せられる」という言葉にならない信頼を抱く 。
これは、飲食店でも、製造業でも、あるいは病院でも変わらない 。
従業員の挨拶の声のトーン、電話の受け方、誰も見ていない場所での整理整頓。
そうした些細な場面に宿る「誠実さ」の集積が、組織の呼吸を整え、心地よいリズムを生み出す 。
「空気感」は、誰かの人柄に頼る曖昧なものではない。
それは、経営者が大切にする哲学が、日々の行動を通じて「場のエネルギー」へと転写された結果なのである 。
ー効率を超えた「資産」の積み増し
もし、この店主が「効率」だけを追い求め、一分一秒を惜しんでアイロンを動かしていたら、あのシャツの凛とした佇まいは生まれなかっただろう。
効率化という名のもとに「想い」を削ぎ落とした瞬間、組織に流れる空気は乾燥し、お客様との絆はただの取引へと変わってしまう 。
多くの社長は、目に見える数字(KPI)を追うことで安心を得ようとする 。
しかし、本当に業績を支えているのは、数字には表れにくい「透明資産」の厚みである 。
一人ひとりの従業員が、自らの仕事にどれだけの誠実さを込められているか。
その「空気の質」を整えることこそが、持続的な成長を実現するための、最も再現性が高く本質的な経営戦略なのだ 。
ー社長自身の「蒸気」を整える
私は、仕上がったシャツの重みを感じながら店を出た。
自問してみる。
私は、自分の組織という場において、どのような「蒸気」を放っているだろうか。
私の言葉や沈黙には、相手の心を整えるだけの「誠実さ」が溶け込んでいるだろうか。
社長の在り方は、組織の空気に直結する 。
社長が自らの覚悟を定め、見えない価値を大切にすると決めたとき、組織の空気は確実に変わり始める 。
その変化は、一人の従業員の笑顔を、一言の声かけを変え、やがてはお客様の心を動かす大きな波動となっていく。
そして、一着のシャツが教えてくれたこと。
駅へ向かう道すがら、私は包装されたシャツを大切に抱えた。
透明資産は、どこか遠い未来にある成功ではない。
今、目の前の仕事に対して、どれだけ誠実に、どれだけ丁寧に魂を込められるか。
その「0.1ミリのこだわり」が積み重なったとき、会社は数字を超えた生きた組織として輝き出す 。
明日の朝、このシャツに袖を通すとき。
私もあの職人のように、自らの場を清め、誰かの一日を支えるような「空気」を創り出すことから始めよう。
見えない価値を信じ、それを仕組みとして育てていく旅は、まだ始まったばかりなのだから。
ー勝田耕司














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