深夜、仕事帰りの街角。
街灯だけが等間隔に並ぶ静かな通りで、コンビニエンスストアの青白い光は、どこか浮世離れした聖域のように見えた。
自動ドアが開き、無機質なチャイムが鳴る。
私は疲労で少し重くなった足を引きずり、棚から手に取った一本のミネラルウォーターをレジに置いた。
ー指先に宿る「意思」
「袋はお使いになりますか?」
レジに立つのは、二十歳そこそこに見える青年だった。
私は「お願いします」と短く答え、会計を済ませた。ごく当たり前の、一日の中で何十万回と繰り返されているであろう、消費の光景だ。
しかし、彼がレジ袋を広げ、ペットボトルを収めたその瞬間の所作に、私の目は釘付けになった。
彼は袋の持ち手を揃え、私に向かって差し出すとき、ほんのわずかに指先を添え、袋の底を支えるようにして渡したのだ。時間にして、わずか0.2秒ほどの出来事。
驚くべきは、その時の彼の「瞳」だった。
死んだ魚のような目をして作業をこなすわけでもなく、かといって過剰な接客スマイルを浮かべるわけでもない。
ただ、自分の手元にある「商品」を、お客様の手元へ「無事に届ける」という一事に対して、静かな集中力と自負が宿っていた。
その指先の丁寧さに、私は彼の中に眠る、形容しがたい「誇り」の正体を見た。
ー「やらされ感」の対岸にあるもの
店を出て、冷たい夜気を吸い込む。 私の心には、不思議な充足感が広がっていた。
もし彼が、マニュアルに「袋の底を支えて渡すこと」と書かれているからそうしていたのだとしたら、私はこれほどまでに心動かされることはなかっただろう。
マニュアルに従うだけの行動には、空気が伴わない。
そこにあるのは「義務」という冷えた質量だけだ。
しかし、あの青年の指先には、自らの仕事に対する「自分なりの定義」があった。
「レジ打ちは単なる作業ではなく、誰かの一日を少しだけ心地よくするバトンタッチである」──そんな無意識の哲学が、あの0.2秒の所作に滲み出ていたのだ。
これこそが、組織において最も強力なマネジメント戦略であり、お客様を惹きつけるマーケティングの核となる『透明資産』である 。
従業員は「言われたこと」よりも、自分がその場で「どう扱われ、何を感じているか」という空気の中で、自らの立ち居振る舞いを決めていく 。
ー0.2秒が経営を変える
経営者は、よく「従業員に主体性が足りない」と嘆く。
だが、主体性とは教え込むものではなく、場に流れる「空気」によって引き出される内発的な動機である 。
あのコンビニに、もし「早く回せ、無駄な動きをするな」という効率至上主義の空気が充満していたら、あの青年の美しい指先は死んでいただろう。
心地よい「気」の正体は、こうした日常の些細な場面に宿る意図の集積だ 。
朝の挨拶、会議のひとこと、そしてレジ袋を手渡す瞬間 。
非効率で数値化できない事象に、どれだけ意味を持たせ、こだわれるか。
その繊細な意図が積み重なったとき、店内の空気は変わり、お客様は言葉にできない心地よさを感じて「またここに来よう」と再来店を決める 。
ー「なんとなくいい」の構造
お客様の意思決定の決め手は、往々にして「なんとなく」である 。
「なんとなく、あのお店は感じがいい」
「なんとなく、あそこに行くと元気になる気がする」
この“なんとなく”こそが、空気の影響力そのものだ 。
あの青年の0.2秒の丁寧さは、数字には表れない。
しかし、彼は確実に、その店の『透明資産』を積み増していた。
彼のようなスタッフが一人、二人と増えていったとき、その店は競合他社には真似できない「選ばれる理由」を手にする 。
それは、キャンペーンのような一過性のものではない 。
文化として根付き、組織の深部に定着したとき、会社は数字を超えた「生きた組織」として動き始めるのだ 。
ー自分への問いかけ
歩道橋の上から、遠ざかるコンビニの光を振り返る。
私は自分に問いかけた。
私は今日、自分の仕事の「0.2秒」に、誇りを込めただろうか。
私の発する言葉や沈黙は、周りの空気を少しでも豊かにしただろうか。
社長が変われば、空気が変わる。空気が変われば、従業員が変わる。
そして、従業員が変われば、お客様が、そして業績が変わる 。
明日、目覚めたとき。
私もあの青年のように、自らの指先に、自らの声に、静かな誇りを乗せてみたい。
透明資産は、どこか遠い場所にあるのではない。
今、この瞬間の、私の「在り方」の中にこそ、その源泉は眠っている。
ー勝田耕司













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