特急が止まらないその駅は、地図の上ではただの点に過ぎなかった。
錆びたトタン屋根と、潮風に洗われて白骨化した木造の改札口。
一時間に一本あるかないかの単線を待つ間、私はホームの隅にある古びたベンチに腰を下ろした。
陽光は午後の気だるさを孕み、遠くで波の音だけが繰り返されている。
私の隣には、一組の老夫婦が座っていた。
ー測れない「距離」
二人は、会話をしていなかった。
夫は膝の上に置いた大きな布の鞄をじっと見つめ、妻は遠くの山並みを眺めている。
だが、その沈黙は重苦しいものではなかった。
むしろ、二人の間には、目に見えない柔らかなヴェールが掛かっているような、不思議な一体感があった。
ふと、私は彼らの「距離感」に目を奪われた。
肩が触れ合うほど近くもなく、かといって他人のように離れてもいない。
拳一つ分ほどの絶妙な隙間。
そこには、数十年という歳月をかけて、互いの呼吸を、互いの体温を、無意識のうちに許容し合ってきた者だけが持つ「空気」が流れていた。
これこそが、組織においても、あるいは個人の在り方においても、最も尊く、かつ最も得難い資産なのだと私は思う。
ー静謐な信頼という基盤
経営の世界に身を置いていると、私たちはつい「言葉」や「数字」に頼りすぎてしまう 。
理念を唱え、目標を叫び、コミュニケーションを「活性化」させようと躍起になる 。
しかし、本当に強い組織や関係性というものは、声高な対話のなかにあるのではなく、こうした「静かな沈黙」に耐えうるかどうかに宿るのではないか。
例えば、トラブルが起きたとき。
互いを疑い、責任を押し付け合う組織には、刺々しい冷気が走る。
一方で、静謐な信頼が流れる組織では、誰が何をすべきかを言葉にせずとも、淀みのない連携が始まる 。
そこには、隣のベンチに座る夫婦のような、揺るぎない「阿吽の呼吸」が存在しているのだ。
それは、一朝一夕に築けるものではない 。
日々の些細な約束を守り、相手の沈黙を尊重し、共有した時間の厚みが、やがて透明な資産となって場を支配し始める。
ー空気は「演出」できない
私はかつて、表面的な「仲の良さ」を演出している場をいくつも見てきた。
笑顔を強要し、賑やかな音楽を流し、活発な意見交換を推奨する。
しかし、その根底に流れる空気が凍りついているとき、人は本能的にその「嘘」を見抜く 。
空気が変われば、従業員が変わり、お客様が変わる 。
だが、その「空気」そのものは、意図的に設計デザインはできるものの、決して「偽る」ことはできない 。
隣の妻が、静かに立ち上がった。
夫は何も言わず、妻が差し出した小さな水筒を受け取り、蓋を開けて彼女に手渡した。
ありがとう、という言葉すら聞こえないほど微かな囁き。
しかし、そのやり取りの滑らかさは、この駅に流れる時間そのものを肯定しているようだった。
ー見えないものを信じる力
電車が近づく振動が、足元から伝わってきた。
老夫婦は連れ立って立ち上がり、ゆっくりと点字ブロックの内側へ歩みを進めた。
彼らが去った後のベンチには、まだ微かな温もりが残っていた。
それは、物理的な熱というより、彼らがそこに居たことで調律された「場の記憶」のようだった。
組織のリーダーがやるべきことは、指示を出すことだけではない 。
自らが放つ言葉、沈黙、そして在り方によって、組織に流れる「信頼の濃度」を整えることだ 。
社長の覚悟が定まったとき、組織の空気は変わり始める 。
その一貫した姿勢こそが、やがては業績という名の形ある成果へと転換されていく 。
旅の終わりに
入ってきた一両編成の気動車に乗り込む。
窓の外、遠ざかる三等駅のホームで、寄り添う二人の背中が見えた。
透明資産。
それは、言葉を尽くした説明の先にあるのではなく、言葉を必要としない領域にこそ、その真髄がある 。
私は鞄から手帳を取り出し、白紙のページにペンを走らせた。
今日、この名もなき駅で私が聴いたのは、単なる潮騒ではない。
数十年かけて磨き上げられた、至高の「静謐な信頼」という名の空気だった。
この空気感を、私は自分の場所へ持ち帰ろう。
そして、まだ見ぬ誰かの「場」を調律するために、この目に見えない価値を言葉に乗せて届けていこう。
列車は揺れながら、次の目的地へと加速していく。
ー勝田耕司













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