コロナウィルス禍で飲食店の多くが休業や営業時間短縮を余儀なくされるなか、とりわけ“悪者”にされているのがお酒です。ビールメーカーの営業から社会人生活をスタートした私にとって、お酒は大切なものであり、自分を育ててくれた商材でもあります。
そんな私にとって、飲食店がお酒の提供を制限されるのは非常に残念であり心苦しいのですが、コロナ禍を機にお酒を飲むシーンが変化していくことは間違いないと思います。
コロナ禍以前から若者を中心に酒離れが進んでいることは確かですし、健康志向の高まりとともにお酒を敬遠する動きも世界的に出ています。
コロナが終息した暁には、必ず外食の場にお客様は戻ってくるし、そこではお酒が欠かせない存在であり続けると思います。しかしその時に飲食店は、これまでとは少し違った役割を果たす必要があるでしょう。
それは「お酒を飲む人と飲まない人が、同じ時間をともに楽しく過ごせる場を提供する」ということです。
お酒が好きな人は、どうしても好きな人同士で集ってしまうものです。でも、仲間の中にはお酒を飲めない人や、積極的には飲まないという人もいます。飲酒という基準だけで付き合いの幅が狭くなっているとすれば、それはとても不幸なことだと思います。
そこで私が提唱したいのが、「ゲコノミ二ケーション」という考え方です。
飲めない(飲まない)人すなわち「ゲコ(下戸)」と、飲む人すなわち「ノミ」が当り前にコミュニケーションをとり、楽しく過ごせるようにする。両者が一緒になって盛り上がり、ストレスを発散する。
そういう関係性こそがゲコノミケーションです。そして、これから訪れるWithコロナの時代にあっては、飲食店こそがゲコノミケーションの担い手になるべきだと思うのです。
そのための下地は着実にできています。酒類メーカーはどこもノンアルコール商品の開発に力を入れていますし、飲食店でもさまざまなノンアルメニューが登場しています。大切なことは、それらが「飲めないからしかたなく」ではなく、もっと積極的にノンアルを楽しもうという消費者ニーズに応えていることです。
ゲコノミ二ケーションの実践は、差別のない、あらゆる人々が共生できる社会を実現することにもつながります。それは同時に、人生の目的は幸福感の追求であるという「透明資産」の考え方に直結しています。
飲食店がゲコノミ二ケーションの場になれば、その存在は地域にとって必要不可欠なものになっていくでしょう。そのために飲食店は、どのようなことに取り組んでいくべきか。これから本コラムでお伝えしていきたいと思います。
ー勝田耕司
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