「Well-Being」であること、すなわち幸福感を感じながら生活をしたり、仕事をすることの大切さは人類共通のことであり、あらゆる人々にとって共通の価値観です。そういう価値観を持つことこそ、人生においてもっとも大切な「透明資産」であると思います。
その資産の大切さを、コロナウィルス禍ですべての人が実感することになりました。先に述べた生活や仕事における幸福感は、普段は多くの人が意識しないでいるものです。それはある意味で「当り前のこと」だからです。
ところがコロナ禍は、それを根底から覆してしまいました。それまで当り前にできていたこと、レジャーに行ったり外食をしたり、そこで親しい人々と時間を共有するといった楽しい日常が根こそぎ奪われてしまったのです。
コロナ禍が起こってから1年半近くが経とうとしていますが、この間は多くの人にとって、これまでの人生でもっとも“幸福感を感じない”時間だったと思います。不幸にしてコロナに罹患して苦しい闘病生活を余儀なくされ、その中には命を落とした人もいます。
コロナによって愛する人を奪われたり、これまで大切に守ってきた店を閉めざるをえなかったり、仕事を失ってしまったり。どれも本当に悲しく、直面した人にとっては不幸な出来事ばかりです。
でも、だからこそ考えてみて欲しいのです。どんな不幸な、苦しい状況の中にあっても、人は生きていかなければなりません。なぜなら、人はすべて一人ひとりが「かけがえのない存在」だからです。
あなたという人は唯一無二であり、代わりになる人はいません。家族にとっても、共に働く仲間にとってもそうです。そういう存在であり続けることこそ、人生の本当の目的なのだと思います。
これまでコラムでお伝えしてきたように、幸福感を感じるためには「自分がいまいる状態こそ幸福である」と考えること、そして「その状態をもっと心地よいものにするにはどうすればよいか」を考え、行動することが大切です。
それは決して特別なことではありません。なぜなら、コロナ禍においてはほとんどの人が、無意識のうちにそのように考え行動してきたはずだからです。そうでなければ、この厳しい状況を生き抜くことはできなかったでしょう。
まさに、幸福感がコロナを乗り切るための原動力になったのです。
コロナ禍の非日常が、それまで当り前と感じていた日常が実はかけがえのないものであること、そのことに幸福感を感じながら生きることの大切さを浮き彫りにしました。
懸案であったワクチン接種が進みはじめ、いまは明確に“コロナ後”を見据える段階に入っています。だからこそ、あらためて幸福感という透明資産の大切さを心に刻み、それを磨いていかなければならないと思います。
ー勝田耕司
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