五月の半ばを過ぎたある月曜日の宵、午後六時四十五分のこと。
夕暮れの空が初夏の藍色に、ゆっくりと染まり始め、街路樹の若葉が、街の灯火の橙色を受けて、ふわりとした影を歩道の上に落とし始めた、ちょうどその時刻。
私は妻と二人で、いつもの大通りから一本だけ路地のほうへと外れた、商店街のいちばん奥の小さな路地を、歩いていました。
その日、私と妻には、ささやかな、しかし大切な約束が、ひとつ、ありました。
——その日が、私たちの結婚記念日でした。
もう三十一回目を迎える、結婚記念日でした。
平日の月曜日の宵に、結婚記念日が重なるのは、私たちにとっては、おそらく初めてのことでした。
しかし妻も私も、それぞれの仕事の都合で、その記念日を、別の日にずらすことを、選びませんでした。
「お祝いは、その日のうちに、しなくちゃ」
そう言って妻は、その日の午前中、ほんの少しだけ早く帰宅できるように、午後の予定を、丁寧に調整していたようでした。
商店街の路地の、ちょうど突き当たり。
私たちはある一軒の、小さな、しかし何度も、私たちの結婚記念日を確かに見守ってくれてきた、ある一軒の小さな寿司屋の前に、立っていました。
紺色の暖簾には、白く「鮨」とたった一文字。
私たちが初めてこの店の暖簾をくぐったのは、今から二十一年前のこと。
それ以来、ほぼ毎年、五月の半ばのある一日に、私たちはこの店の引き戸を、二人で押してきました。
私は、磨き込まれた木の引き戸の取手にそっと手をかけました。
引き戸が長年使い込まれた木の、低く澄んだ音を立てて、ゆっくりと横へ滑った瞬間。
私たちを包み込んだのは、商店街の路地のわずかに乾いた宵の風とは、まったく種類の違う、深く、しっとりと、やわらかな、ある澄み切った空気でした。
新しい白木のカウンターと、初夏の若い緑の柳の枝が一本だけ生けられた一輪挿しと、そしてまだ目には見えない、しかし確かに漂っている、ある「魚と米の朝の市場の匂い」とが、ひとつに溶け合った、極めて穏やかで、しかし芳醇な空気感、ひとつの場でした。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
カウンターの内側で、白い和帽子をかぶり、白い割烹着の襟元を整えた、五十代後半ほどの寡黙な店主が、両手の濡れたままの指先を清潔な布巾で軽く拭いながら、私たちのほうを見て、深く頭を下げてくれました。
声の音量は決して強くありませんでした。
むしろ、店内に漂う深く落ち着いた佇まいを、わずかにも乱さない、絶妙な響き、空気。
そして店主は、私たちが毎年、いつも、座る、カウンターの右端の、二つの止まり木へと、両手で軽くご案内くださいました。
私たちはゆっくりと、止まり木に腰を下ろしました。
そして私の妻が、止まり木に座りながら、ふと低い声で、こう呟いたのです。
「今年も、この席に、座れて、よかったわ」
その妻のひとことの中に、私はもう三十一年もの間、共に重ねてきた無数の小さな日常と、いくつかの大きな転機と、そしてその合間、合間に、確かに、二人で、暖簾をくぐり続けてきた、毎年のこの店の、五月のほんの一夜の重みを、確かに、感じ取っていました。
そして店主は、私たちの目の前に、二枚の温められた手拭いを、両手で低く寄り添うようにして、置いてくださいました。
その手拭いの置き方の、なんと、慎ましいことか。
——カウンターに、ぱしゃり、と置かない。
——勢いよく、滑らせない。
——ただ、低く、両手で、寄り添わせるように、置く。
そして店主は、目をわずかに伏せたまま、低くこう付け加えてくれたのです。
「本日は、お二人の、お祝いの宵で、ございますね」
——私たちは、何も言っていない。
しかし店主は、確かに見抜いてくださったのです。
毎年、五月の半ばのある宵に、この店の暖簾をくぐる、私たち夫婦のささやかな習慣を、店主は、二十一年もの間、その身体の中に、確かに引き継ぎ続けていてくださっていた、ということでした。
そしてここから先の、およそ一時間の間。
私たちはこれまで生きてきた中で、最も静かで、最も整然とした「寿司を置く所作」の、その一連を、二人で目の前で、目撃することになったのです。
店主はまず、握り台の上の、まだほんのり温かい、ふっくらとした酢飯の塊から、両手の指先で、ほんの一握りの量を、すうっと、すくい上げました。
そしてその酢飯を、ほんの数回、優しく、しかし確かに握っただけで、私たちの目の前の白い磁器の小さな板の上に、ふわりと、立てるように、置いていったのです。
——立てるように、置く。
そう、これはただ寿司を「並べる」、のではありませんでした。
シャリの一粒、一粒が、ぎゅっと押し潰されていない。 しかし、ばらばらに、崩れることもない。 そして、シャリの上のネタが、ふわりと、しかし確かに、ピンと、佇んでいる。
シャリのお米の一粒、一粒が、それぞれの輪郭を寸分違わず保ち合いながら、しかし、互いを決して押しのけないという、絶妙な距離感の中で、ひとつの寿司の塊を、形作っていたのです。
——シャリの一粒、一粒が、互いを、競わない。
その握り方の、なんと、慎ましいことか。
これこそが、私の名づける「シャリの規律」でした。
そして店主は、握りたての一貫を、白磁の小さな板の上に置いた、のではありません。
——置いた、のではなく、私たちの目線の高さまで、両手で低く捧げ持ち、ほんの数秒の間、ただ、目の前で、佇ませていてくださったのです。
「本日のおすすめは、瀬戸内の、白海老から、ご一緒くださいませ」
そして店主は、その白磁の小さな板を、私の前と、妻の前に、寸分違わぬ間隔で、ゆっくりと置いてくださいました。
——その瞬間、空気は変わり、、、私たちは、二人とも、息を、深く、飲んだのです。
私の前の白磁の小さな板の上の白海老の握りと、妻の前の白磁の小さな板の上の白海老の握りとが、その大きさも、シャリの量も、ネタの上の輝きも、寸分違わず、同じだったのです。
しかし、ただサイズが揃っているのではありません。
——二つの寿司の、向きが、互いを、向き合わせ、寄り添うように、置かれていた。
これはただの「対称配置」では、ありませんでした。
これは、私たち夫婦がもう三十一年もの間、共に、向き合い、寄り添ってきた、その関係性の空気感そのものを、店主が、たった二貫の寿司の置き方の中に、無言のうちに、敬意とともにお託ししてくださっていた、ということでした。
——これが、「歩んだ年月への礼節」でした。
毎日、何十貫もの寿司を、お客様の前に置いている店主。
それは彼にとって、何千回、何万回と繰り返してきた、極めて日常的な所作のはずです。
しかしその何万回目の所作を、まるで「初めての、たった一夜のお祝い」のように、お客様の中の、それぞれが誰と、どのような時間を共に重ねてきたのか、を、確かに見抜いた上で、その関係性そのものへの敬意を、無言のうちに、二貫の握りの向きの中に込めて、お渡しする。
そしてこの所作とひとことの言葉とが、もう三十一年も、二人で暖簾をくぐり続けてきた私たち夫婦の身体の中に、何か、確かな、温かい、これまでの歳月への感謝と、これから先の歳月への、新しい踏み出しとを、染み込ませてくれていたのです。
私は、隣で、ゆっくりと白海老を口に運ぶ妻の、その横顔を、ふと、見ました。
妻もまた、私の方を見て、無言で、ふわりと、微笑んでくれました。
——三十一年。
その三十一年の間、私たち夫婦の間にも、たくさんの見えない vibes が、織り込まれてきたのでしょう。
そしてその vibes の最も深い結晶は、おそらくは、こうして、二人で同じ夜に同じ場所で、同じ寿司を、何も言わずに、ふわりと味わうことができる、その「いつもの一夜」の中に、宿っているのだ、と、私は感じていました。
私たちはその夜、店主に深く頭を下げ、来年の同じ宵にも、また同じこの止まり木に、二人で座りに来ることを、心の中で約束しながら、引き戸をゆっくりと引いて、五月の宵の路地の中に、戻りました。
街の灯火はもう、すっかり、藍色の夕空の下に、橙色に灯っていました。
しかし、私たち夫婦の間には、その夜、新しく、もうひとつの、何十年分もの vibes が、確かに織り込まれていたのです。
——寿司屋とは、ただ、寿司を握り、お渡しする場所ではない。
——寿司屋とは、夫婦の、家族の、長年の関係性そのものを、たった二貫の握りの置き方の中に、店主の何十年もの所作の重みとともに、確かに、お祝いし直してくれる場所だったのです。
vibes は、目には見えません。
しかし vibes は、こうして、たった二貫の白海老の握りの向きの中にすら、確かに、織り込まれ、運ばれ、そして、夫婦が、それを、二人で、同じ宵に、同じ場所で、味わう、その瞬間に、ふわりと立ち上がる。
——空気は、夫婦の年月そのものを、優しく、抱きとめてしまう。
それこそが、看板にも、メニューにも、決して書かれることのない、商店街の路地の小さな寿司屋という店の、最も深い、最も静かな「透明資産」だったのだ——。
私は、隣でもう一度、白磁の小さな板の上の二貫目の握りを、ゆっくりと味わい始めた妻の、その穏やかな横顔の隣で、五月の宵の、この心地よい場の中で、ようやく気づいたのです。
——勝田耕司













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