五月の半ばを過ぎたある水曜日の昼下がり、午後二時四十分のこと。
街路樹の若葉が、その日いちばんの陽差しを浴びて、ふわりと深い緑の影を歩道に落としていた、ちょうどその時刻。
私は午後の打ち合わせの合間の小一時間を抱えながら、いつもの大通りから二本だけ路地のほうへと外れた、古い住宅街の一角を歩いていました。
その日、私が向かっていたのは、ひと月ほど前に修理を依頼した、一つの小さな腕時計を引き取りに行くためでした。
その腕時計は、私のものでは、ありませんでした。
三ヶ月ほど前、私の長年の経営の師であった齢八十二の経営者の方が、ご病気のため、静かにお亡くなりになりました。
葬儀から一ヶ月ほど経ったある夜、私はその方のご遺族のお宅に、改めてお線香を上げに伺いました。
そしてお焼香を終えて辞そうとした玄関先で、奥様が両手で、ある小さな桐の箱を、私のほうへそっと差し出してくださったのです。
「主人が、亡くなる三日ほど前、寝床の中でね、ふと、こうおっしゃったの。あの腕時計は、勝田くんに、譲りたい、と」
桐の箱の中には、私が長年、お会いするたびにその方の左手首で、確かに時を刻み続けていた、一本の銀色のステンレスの古い国産の手巻きの腕時計が、横たわっていました。
文字盤の白さはもう、わずかに黄ばみ、ガラスにもいくつかの細い擦り傷が刻まれていました。
しかし私がその腕時計を、両手で低く捧げ持った瞬間に。
——その時計の中の秒針の動きが、止まっていました。
おそらくは、その方がお亡くなりになった、その朝から、誰の手首にも巻かれることなく、ぜんまいが緩み、止まったまま、そのご遺族のお宅の中で、静かに眠り続けていたのでしょう。
私は奥様に何度も頭を下げ、その桐の箱を自分の家まで持ち帰りました。
そして家の机の前で、しばらくの間、その止まったままの腕時計を、ただじっと見つめていたのです。
——もう一度、動かしたい。
そう私は決心しました。
しかし、安価なクオーツの時計とは違い、その手巻きの腕時計は、どこの量販店にも修理を依頼することはできません。
私は、長年その方と一緒に、何度か立ち寄ったことのある、町外れの古い時計修理屋を思い出しました。
そしてその腕時計を、桐の箱ごと両手でそっと抱きしめながら、その小さな店を訪ねたのでした。
その時から、ひと月。
私は今、その腕時計を引き取るために、再びその小さな路地を歩いていたのです。
路地の奥、まだ五月の昼下がりの陽差しが、家々の屋根を明るい蜂蜜色に染め上げている、その先。
私は、磨き込まれた木枠と、わずかに緑がかった一枚の磨りガラスの扉、そして、その扉の脇に掲げられた古びた銀色のプレートに、英字の活字で「Watch & Clock」とだけ刻まれた、一軒の小さな店の前に、立っていました。
開業から優に半世紀は超えているのでしょう。
私は、扉の真鍮の取手にそっと手をかけました。
扉が、年代物の蝶番の、低くしかし確かに澄んだ音を立てて、ゆっくりと内側に開いた瞬間。
私を包み込んだのは、五月の昼下がりの路地の乾いた風とは、まったく種類の違う、深く、ひんやりと、しかし、決して冷たくはない、ある静謐な空気でした。
そして、その静謐な空気の中に、店全体に、ある一つの極めて規則正しい音が、低く、しかし確かに、響き続けていました。
カチ、カチ、カチ、カチ。
——時計の秒針の音、ではありません。
それは、店内のあちらこちらの棚に整然と並べられた、何十、いや、何百もの古い柱時計の、それぞれの振り子が、すべて、寸分違わぬ間隔で刻んでいた、その音だったのです。
驚くべきは、それらの何百もの振り子の音が、互いにばらばらの音として耳に響いてくるのではなく、まるで、すべてがひとつの巨大な振り子時計の音であるかのように、ぴたりと揃って響いていた、ということでした。
——時計の音にも、規律がある。
そう感じた瞬間、私は、店内に漂う独特の佇まいの、その奥行きに、確かに足を踏み入れていることを、感じ取っていました。
そこには、誰かが誰かに時をお託しした、その大切な約束の続きを、確かにお預かりするための、極めて謙虚で、しかし揺るぎない「規律」が、確かに、振り子のリズムとともに息づいていたのです。
「いらっしゃいませ」
奥のレジ台の手前の、磨き込まれた古い木の作業机の前で、白いシャツの襟元を整え、頭にルーペを上げたままの白髪の老紳士が、両手の指先の汚れを白い布で軽く拭いながら、私のほうを見て、低く穏やかな声でそう言いました。
声の音量は決して強くありませんでした。
むしろ、店内に響く何百もの振り子のリズムを、わずかにも乱さない絶妙な響きで、ふわりと届きました。
私は店主に軽く一礼をしました。
「先月、お預けしました、手巻きの腕時計を、引き取りに参りました」
店主は深く頷き、私の名を低く呼び確かめると、奥の小さな金庫から、ひとつの薄いベージュの和紙に包まれた、ある小さな包みを、両手で低く捧げ持つようにして、私のほうへゆっくりと運んできてくれました。
そしてここから先の、ほんの数十秒間。
私はこれまで生きてきた中で、最も静かで、最も整然とした「時計を返す所作」を、目にすることになったのです。
店主はまず、和紙の包みを、作業机の上に置いた、のではありません。
両手で、低く、寝かせるようにして、横たえました。
そして、その和紙を、まるで生まれたばかりの命の産着をほどくかのような、深い深い慎みをもって、ゆっくりと、ふわりと、開いていったのです。
和紙が完全に開かれたとき、その中に横たわっていたのは、私が三月ほど前に、止まったまま預けた、あの一本の銀色のステンレスの古い手巻きの腕時計でした。
しかし、その時計は、私が預けた時とは、明らかに、何かが、違っていました。
——文字盤の上で、秒針が、確かに、動いていた。
カチ、カチ、カチ。
その小さな秒針の動きが、店内に響く何百もの振り子のリズムと、ぴたりと、寸分違わぬ速度で、刻まれ始めていたのです。
そして店主は、両手の指先で、その時計の革のベルトをわずかに整え、こう、言いました。
「お預かりした時、ぜんまいが、ずいぶん緩んでおりました。それでも、長年大切にされていらしたものですので、内部の歯車には、ほとんど狂いがありませんでした。あとは、ベルトを、お使いになる方の手首に、馴染ませていけば、また何十年でも、確かに、時を、刻んでくれます」
店主は、静かに、しかし確かに、こう付け加えました。
「お渡しする方が、変わるたびに、時計は、新しい時の刻み方を、覚え直すのです」
——その瞬間、私の中で、何かが深く、静かに、満ちていきました。
これはただの「時計修理の完了報告」ではありません。
これは、私の長年の師がその左手首で、八十二年の人生の最後の朝まで確かに刻み続けていた一つの時を、店主が、見えないところで、新しい時の継ぎ手である私の手首へと、優しく、確かに、橋渡しをしてくれた、ということでした。
——これが、「時を継ぐ礼節」でした。
毎日、何十個もの時計をお客様から預かり、修理し、お返ししている店主。
それは彼にとって、何千回、何万回と繰り返してきた、極めて日常的な所作のはずです。
しかしその何万回目の所作を、まるで「初めての、たった一つの時計」のように、その時計がこれまでの持ち主と一緒に重ねてきた歳月への敬意と、これから新しい持ち主と共に重ねていくであろう歳月への敬意の両方を込めて、お渡しする。
そしてこの所作とひとことの言葉とが、その日、ようやく師の遺品を、自分なりに引き受けようと決心していた一人の弟子の身体の中に、確かな、静かな、しかし熱を持った、時の継ぎ手としての覚悟を、染み込ませてくれていたのです。
私はその時計を、両手でゆっくりと、しっかりと、受け取りました。
そしておそるおそる、自分の左手首にベルトを巻き、留め金を留めました。
ベルトは、長年別の手首に巻かれていたためか、ほんのわずかに、緩く感じました。
しかしその緩さの中で、文字盤の上の秒針は、確かに、私の腕の中で、また、新しい時を刻み始めていたのです。
私は店主に深く頭を下げ、お代を支払い、扉をゆっくりと押して、再び初夏の午後の路地の中に戻りました。
街路樹の若葉はまだ、その日いちばんの濃い緑のまま、初夏の風に、ふわりと揺れていました。
しかし、私の左手首の上で、止まっていた一本の時計は、もう、確かに、再び、時を刻み始めていました。
——時計修理屋とは、ただ、壊れた時計を直す場所ではない。 ——時計修理屋とは、誰かが誰かに託したいと願ったある一つの時の連続性を、その細い秒針の刻みの中に、確かに、橋渡ししてくれる場所だったのです。
vibes は、目には見えません。
しかし vibes は、こうして、たった一本の腕時計の秒針の動きの中にすら、店主の何十年もの重みとともに、確かに織り込まれ、新しい持ち主の手首まで運ばれ、そして明日の朝、駅の改札をくぐる、その瞬間に、ふわりと立ち上がる。
——空気は、世代と世代との間さえも、優しく、結び直してしまう。
それこそが、看板にも値札にも、決して書かれることのない、町外れの古い時計修理屋という店の、最も深い、最も静かな「透明資産」だったのだ——。
私は、左手首の上で、新しい時を刻み始めた銀色の腕時計を、そっと右手の指先で撫でながら、五月の風薫る午後の路地の中で、ようやく気づいたのです。
——勝田耕司













この記事へのコメントはありません。