五月の終わりに近づき始めた、ある金曜日の宵、午後六時半。
街の灯が、ひとつ、またひとつと、藍色に染まりつつある夕空の下に、ぽつ、ぽつ、と灯り始め、初夏のやわらかな夜風が、街路樹の若葉を、わずかに、しかし確かに、揺らし始めた、ちょうどその時刻。
私は、その日の最後のクライアント先を出て、駅へと向かう途中、いつもの大通りから、ふと、二本だけ路地の方へと外れ、人通りの少ない、古い住宅街の中を、革靴の踵を、初夏のアスファルトに、ゆっくりと、響かせながら、歩いていました。
——なぜ、その宵、その路地へと、足を向けたのか。
それは、自分でも、はっきりとは、説明ができないのです。ただ、その日の午後の打ち合わせの中で、ある経営者から、「最近、何を読まれていますか」と問われ、そして、私は、その問いに、明快に答えられない自分自身に、ふと、小さな寂しさを、覚えていたのです。
そして、その小さな寂しさが、私の足を、いつもとは違う路地へと、自然と、運んでいた——そういうことだったのかも、しれません。
路地に入って、しばらく歩いた、その先。
私は、街灯の橙色の光に、ぼうっと、しかし確かに、浮かび上がる、ある一軒の小さな古書店の硝子戸を、見つけたのです。
硝子の中に貼られた、手書きの古びた紙には、「古本」と、たった二文字。
入口の脇には、もう何十年も、雨に打たれ、陽に焼かれ続けてきたであろう、木製の小さな立て札が、佇み、その上に、白い猫が一匹、宵の風を受けながら、目を半分閉じて、まどろんでいました。
私は、ゆっくりと、磨き込まれた、しかし、わずかに歪んだ、年代物の硝子戸の取手に、そっと、手をかけました。
硝子戸が、長年使い込まれた木枠の、低く、しかし澄んだ音を立てて、ゆっくりと横に滑った、その瞬間。
私を包み込んだのは、初夏の路地の、わずかに乾いた夕風の中とは、まったく違う、深く、しっとりと、年月の重みを溶かし込んだ、ある——古い紙と、製本糊と、長い時間そのものの香りが、ひとつに混ざり合った、極めて静謐な「空気」でした。
外の路地の、ざわめきを含んだ夕風が、店内の、深く沈んだ、しかし決して重苦しくはない、ひとつの「年月の空気」の手前で、ふっ、と、立ち止まる。
そして、店内の、その静謐な空気のほうから、私の身体に、ゆっくりと、優しく、寄り添ってくるのです。
——空気の中に溶けている時間の長さひとつで、ここまで、人の身体の入り方が、変わる。
そう感じた瞬間、私は、まだ、店主とも、一冊の本とも、何の言葉も交わしていないにもかかわらず、すでに、この古書店の主人が、何十年もの間、一冊、一冊、丁寧に、棚に整え続けてきた、ある「場の空気感」の、その奥行きの、ほんの入口に、確かに、足を踏み入れていることを、感じ取っていたのです。
そこには、すでに、誰かに、一度は読まれた本を、もう一度、見知らぬ次の読み手の手の中へと、そっと、お渡しするための、極めて謙虚で、しかし揺るぎない「規律」が、確かに、年月の埃とともに、息づいていたのです。
「いらっしゃいませ。どうぞ、ごゆっくり」
奥のレジ台の上で、一冊の文庫本を読みながら、低く、しわがれた声を寄越したのは、白髪の、痩せた老紳士——おそらくは、この古書店を、二代目か三代目として継いできたであろう、店主でした。
声の音量は、決して、強くありませんでした。
むしろ、棚に並ぶ何千冊もの、すでに眠っている本たちを、決して、起こさないように、ぎりぎりの、最も控えめな、しかし、確かに胸の奥にまで、届く、絶妙な響き。
——本という、眠っている存在に、寄り添う声の大きさ。
そして、店主は、私が会釈を返すと、すぐに、文庫本の世界へと、目を、戻していきました。
その「目を戻す速度」が、また、絶妙でした。
完全に、無視するのでもなく。 かといって、こちらの様子を、観察し続けるのでもない。 ただ、「あなたの存在は、確かに、認めましたよ。あとは、どうぞ、本との、あなただけの時間を、ご自由に」とでもいう、無言の、しかし、確かな、距離の置き方。
そして、その距離の置き方こそが、店内に、もうひとつの、深く、心地よい空気感の層を、静かに、重ねていったのです。
私は、ゆっくりと、店内の、最も奥の棚へと、足を、進めました。
そして、棚の前に、立った、その瞬間——。
私は、息を、深く、飲んだのです。
——本の並び方が、寸分違わず、整っている。
しかし、それは、新刊書店のような、出版社別、著者別の、機械的な秩序では、ありませんでした。
文庫の隣に、単行本。 昭和三十年代の装幀の、薄茶色に焼けた小説の隣に、平成の半ばに刊行された、緑の背表紙の評論。 そして、その隣には、明らかに、戦前の、糸綴じの、表紙の擦り切れた歌集。
——時代も、装幀も、判型も、まったく違う本たちが、まるで、同じ家族のように、互いを向き合わせ、寄り添い合って、棚の中に、佇んでいるのです。
これは、ただの「整理」では、ありませんでした。
これは、本を、「商品」としてではなく、「すでに誰かに読まれ、誰かの心の中で、しばらく生きてきた、ひとつの命」として、扱う——、店主の、長い、長い、年月の中で、磨き上げられた、深い哲学の表明だったのです。
——年月の長さの違う本たちが、互いの背の高さを、決して、競わない。
その並び方の、なんと、慎ましいことか。
これこそが、私の名づける「年月の規律」でした。
私は、棚の前で、そっと、深く、息を、吸い込みました。
すると、棚から、ふわり、と、ある懐かしい香りが、私の鼻先まで、立ち昇ってきました。
製本糊の、わずかに甘い香り。 古い紙の、深く、落ち着いた香り。 そして、何十年もの間、何人もの、見知らぬ読み手の指先が、ページをめくり、息を吹きかけ、栞を挟み込んできた、その「読まれた時間」そのものの香り。
——気づけば、私の呼吸は、いつのまにか、棚の中で眠っている、何千冊もの本たちの、ゆったりとした呼吸の速度と、ぴたりと、重なり始めていました。
私は、棚の中ほどに、そっと、手を伸ばし、ある一冊の、紺色の背表紙の、わずかに焼けた随筆集を、抜き取りました。
そして、両手で、低く、その本を、捧げ持ちながら、ページを、ほんの少しだけ、開いた、その瞬間——。
ページの間から、長い時間をかけて、わずかに琥珀色に染まった、ひとひらの、桜の押し花が、ふわり、と、こぼれ落ちました。
おそらくは、何十年か前、この本を最初に読んだ、見知らぬ読み手が、ほんの何かの記念に、ページの間に、そっと、挟み込んだのでしょう。
私は、その押し花を、決して、踏まないように、両膝を、ゆっくりと、折り、指先で、そっと、拾い上げました。
そして、もとのページの間に、もう一度、戻しました。
その瞬間、私は、心の奥で、ある確かな、静かな、しかし深い、感覚を、覚えたのです。
——この本は、すでに、誰かに、一度、深く、愛されている。
そして、そのことを、店主は、確かに、知っていながら、押し花を、ページから取り除くこともなく、商品として「整える」こともなく、ただ、あるがままに、棚に、置き続けてきたのだ、と。
私は、レジ台の店主のもとへと、その紺色の随筆集を、両手で、低く、捧げ持ちながら、運んでいきました。
「これを、いただきます」
店主は、文庫本から、ゆっくりと顔を上げ、私の差し出した本を、両手で、しっかりと、受け取りました。
そして、ここから先の、ほんの数十秒間。
私は、これまで生きてきた中で、最も静かで、最も整然とした、「本を渡す所作」を、目撃することになったのです。
店主は、まず、本の表紙を、白い柔らかな布で、ほんの一往復だけ、優しく、撫でました。
そして、本の小口(ページの外側)を、指の腹で、ふっ、と息を吹きかけるのでもなく、ただ、撫でるように、整えました。
そして、続いて、店主は、レジ台の脇の引き出しから、淡い卵色の、和紙のような薄手の包み紙を、両手で広げ、本を、まるで、生まれたばかりの命を、産着で包むかのような、深い慎みをもって、ふわり、ふわり、と、包んでいきました。
最後に、レジ台の、すでに使い込まれた木の表面に、本を、置いた——のでは、ありませんでした。
——置いた、のではなく、「もう一度、両手で、私のほうへ、差し出した」のです。
両手で、包まれた本の、ちょうど真ん中あたりを、しっかりと支え、私の両手のひらに、ゆっくりと、その重みを、移していく。
そして、私の両手のひらが、確かに、本の重みを、受け止めた、その瞬間、店主は、ようやく、自分の指先の力を、ゆっくりと、抜いていったのです。
そして、店主は、目を、わずかに伏せたまま、ほんの一センチほど、軽く、頭を、下げました。
「次は、あなたが、お読みください」
——たった、それだけの、所作と、ひとことの、言葉。
しかし、その瞬間、私の中で、何かが、深く、静かに、満ちていったのです。
これは、店主の本ではなく、すでに、誰かに、一度、深く読まれた本を、私という、見知らぬ次の読み手に、確かに、お託しする——という、極めて深い、敬意でした。
毎日、何十冊もの本を、お客様に、渡している店主。 それは、彼にとっては、何千回、何万回と繰り返してきた、極めて日常的な所作のはずです。
しかし、その何万回目の所作を、まるで「初めての、たった一回目」のように、一冊、一冊、別の存在として、敬意をもって、お渡しする。
——これが、「次の読み手への礼節」でした。
そして、この所作こそが、私のような、その日の午後、自分の心の中の小さな寂しさに、ふと、気づいてしまった一人の通行人の身体の中に、何か、確かな、静かな、満ち足りた感覚を、染み込ませてくれていたのです。
私は、両手で、その包まれた本を、低く、捧げ持ったまま、店を、後にしました。
硝子戸を、ゆっくりと、引いて、初夏の宵の路地に、再び、戻った、その瞬間——。
街の灯は、もう、すっかり、藍色の夕空の下に、橙色に灯っていました。
しかし、私の手の中の、淡い卵色の包みの中には、店主が、何十年もの年月の中で、丁寧に磨き上げてきた、その「年月の空気感」が、確かに、本のページの間に、桜の押し花とともに、静かに、横たわっていたのです。
——古書店とは、ただ、古い本を売り買いする場所では、ありません。 ——古書店とは、すでに、誰かに、深く読まれた本の中に宿る「年月の空気感」そのものを、見えないところで、丁寧に磨き上げ、そして、見知らぬ次の読み手の手のひらの中へと、確かに、お渡しする場所だったのです。
空気感は、決して、目には、見えません。 しかし、空気感は、こうして、たった一冊の古い本の中にすら、確かに、封じ込められ、運ばれ、そして、次に開かれる、その瞬間に、再び、ふわり、と、立ち上がる。
——これこそが、最も静かで、最も深い、「空気感の影響力」でした。
そして、その影響力こそが、看板にも、値札にも、決して書かれることのない、古書店という店の、最も深い、最も静かな、「透明な資産」だったのだと——。
私は、五月の宵の藍色の路地の中で、ようやく、気づいたのです。
——勝田耕司








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