五月の半ばを過ぎ、街路樹の若葉が、その日いちばんの濃い緑へと、ゆっくりと、しかし確かに、身を傾け始めた、ある火曜日の朝、九時十五分。
抜けるような青空が、街全体を、ふわりと、しかし高く、軽やかに、見上げさせた、ちょうどその時刻。
私は、午前中の最初のアポイントまで、まだ一時間ほどの余裕を残したまま、ある一つの「先延ばしにしてきた、小さな約束」を、ようやく、果たすために、いつもの通勤路から、ふと、二本だけ路地の方へと、外れていきました。
——その小さな約束とは、「手書きで、お返事を、書く」ということでした。
その前の週、私のもとに、長年お世話になっている、ある齢八十を超えた経営者の方から、一通の、丁寧な手書きの便箋による、お手紙が、届いていました。
万年筆の、わずかに濃淡のある、紺色のインクで書かれた、その手紙の文字の一画、一画には、書き手の、ご高齢の御身体が、ペンを握り、文字を一文字、一文字、紙の上に置いていく、その「ゆっくりとした時間」そのものが、確かに、宿っていました。
私は、その手紙を、何度も、何度も、読み返しながら——、しかし、忙しさにかまけて、お返事を、もう一週間以上も、書けずに、いたのです。
それでも、その朝、私は、ようやく、決心しました。
——返事は、メールでは、送らない。 ——同じく、手書きの便箋で、お返しする。
そして、そのために、まず、便箋を、買いに行こう、と——。
私の足は、ある一軒の、町外れの、古びた老舗の文具店へと、自然と、向かっていたのです。
商店街から、一本だけ路地に外れた、細い通りの、ちょうど真ん中あたり。
私は、磨き込まれた、年代物の硝子戸の上に、青地に白く「文具」と染め抜かれた、古びた小さな暖簾が、初夏のやわらかな朝の風に、わずかに、しかし確かに、揺れている、そのある一軒の店の前に、立っていました。
開業から、優に、半世紀は、超えているのでしょう。
私は、ジャケットの内ポケットの中の、すでにお返事の文面を、心の中で、何度も、何度も、温め直してきた、その温度を、確かめながら、硝子戸の取手に、そっと、手をかけました。
硝子戸が、長年使い込まれた木枠の、低く、しかし澄んだ音を立てて、ゆっくりと、横に滑った、その瞬間。
私を包み込んだのは、初夏の朝の、わずかに乾いた風の中とは、まったく違う、深く、穏やかに、紙の繊維と、わずかな墨の香りと、そして、何十年もの間、丁寧に、丁寧に、棚に並べられ続けてきた、無数の文房具たちが、互いを敬うように、息を潜めている——、そんな、極めて静謐な、ひとつの「空気」でした。
外の路地の、わずかにせわしない朝の風が、店の中の、深く沈んだ「紙の空気」の手前で、ふっ、と、立ち止まる。
そして、店の中の、その整然と落ち着いた空気のほうから、私の身体に、ゆっくりと、優しく、寄り添ってくるのです。
——空気の中に溶けている、文房具たちの「待つ姿勢」ひとつで、ここまで、人の身体の入り方が、変わる。
そう感じた瞬間、私は、まだ、店主とも、一冊の便箋とも、何の言葉も交わしていないにもかかわらず、すでに、この文具店の主人が、何十年もの間、毎朝、毎夕、丁寧に、棚を整え続けてきた、ある「場の空気感」の、その奥行きの、ほんの入口に、確かに、足を踏み入れていることを、感じ取っていたのです。
そこには、訪れた一人ひとりの、これから、誰かに、何かの言葉を、書こうとしている、その小さな、しかし確かな決意を、決して、急がせず、しかし確かに、お預かりするための、極めて謙虚で、しかし揺るぎない「規律」が、確かに、紙の繊維とともに、息づいていたのです。
「お早うございます。どうぞ、ごゆっくり、ご覧ください」
奥のレジ台の上で、白いシャツに、紺色のエプロンを身につけた、白髪の女性店主が、視線を上げ、しかし、決して、こちらに歩み寄ることなく、たった一度だけ、深く、頷きました。
その「歩み寄らない」という所作が、店内の、深く沈んだ空気感を、わずかにも、揺らさず、そのまま、保ち続けてくれていたのです。
私は、ゆっくりと、店の中ほどに、足を進めながら、左右に並ぶ棚を、見渡しました。
そして、便箋の棚の前に、立った、その瞬間——。
私は、息を、深く、飲んだのです。
——便箋の重ね方が、寸分違わず、整っている。
棚の上には、何十種類もの便箋が、それぞれの厚さも、判型も、表紙の色も、まったく違いながら、しかし、見事なまでに、寸分違わず、ぴたりと、揃った高さで、整然と、横に、重ねられていたのです。
白い無地の和紙の便箋。 うっすらと水色の罫線が引かれた、洋封筒対応の便箋。 淡いピンクの、ほのかな桜の透かし模様が、漉き込まれた、和紙の便箋。 そして、一面、深い紺色に染め上げられた、いかにも、お悔やみの場で使われそうな、薄手の和紙の便箋。
種類も、色も、用途も、まったく違うこれらの便箋たちが、棚の上で、まるで、誰かが、定規を当てて、揃え直したかのような、絶妙な高さで、紙の空気の中に、静かに、佇んでいる。
これは、ただの「陳列の工夫」では、ありませんでした。
これは、便箋を、「商品」としてではなく、「これから、誰かが、誰かに、何かの言葉を、書こうとしている、その大切な決意を、お預かりする、ひとつの器」として、扱う——、店主の、長い、長い、年月の中で、磨き上げられた、深い、深い、哲学の表明だったのです。
——用途の違う便箋たちが、互いの厚みを、決して、競わない。
その揃え方の、なんと、慎ましいことか。
これこそが、私の名づける「紙の規律」でした。
そして、私は、無意識のうちに、その中の一冊——白い無地の和紙の便箋の前で、足を、止めました。
ご高齢の方への、お返事です。 派手な装飾も、奇をてらった色も、要らない。 ただ、紙の繊維そのものの、温かな白さが、書き手の言葉を、もっとも、優しく、受け止めてくれる——、私は、そう、感じていたのです。
「こちらの便箋で、よろしゅうございますか」
店主は、私が、白い和紙の便箋の前で、たった三秒ほど、立ち止まった、その瞬間を、決して、見逃しませんでした。
しかし、その問いかけの声には、押し売りの気配は、いっさい、ありませんでした。
ただ、お客様の、まだ、自分でも、はっきりとは言葉にしていない、その、淡い心の傾きを、無言のうちに、丁寧に、すくい上げる、ある、深い、確かな、観察の声でした。
私は、ゆっくりと、頷きました。
「これと、揃いの、白い無地の封筒も、お願いします」
店主は、深く、頷き、便箋と、それに揃いの封筒の小束を、両手で、低く、捧げ持ちながら、レジ台の方へと、運んでいきました。
そして、ここから先の、ほんの数分間。
私は、これまで生きてきた中で、最も静かで、最も整然とした、「便箋を包む所作」を、目撃することになったのです。
店主は、まず、便箋と封筒を、レジ台の上に、置いた——のでは、ありませんでした。
——置いた、のではなく、「両手で、低く、横たえた」のです。
そして、店主は、しばらくの間、その便箋の表紙を、ただ、両手の指先で、静かに、撫でていました。
——その撫で方が、いつまでも、長かった。
おそらくは、新しい便箋の表紙に、もしかしたら、運送中に、ほんの些細なほこりや、指紋が、ついていないかどうかを、最後の最後、お客様にお渡しする、その瞬間まで、確かめ抜いている——、そんな、深い、慎ましい確認の所作でした。
そして、続いて、店主は、レジ台の脇の引き出しから、淡いベージュの、和紙のような、薄手の包み紙を、両手で広げ、便箋と封筒を、ふわり、ふわり、と、まるで、これから、誰かに、何かの大切な言葉を、託される器として——その重みを、決して、雑に、扱わない、深い慎みをもって、包んでいきました。
最後に、店主は、その包みを、両手で、低く、捧げ持ち、私の前まで、ゆっくりと、運んできてくれました。
そして、私の前で——。
私は、店主の、最後の所作に、息を、深く、深く、飲んだのです。
店主は、その包みを、私に、差し出した、のでは、ありませんでした。
——差し出した、のでは、なく、「お願いした」のです。
両手で、包みの、ちょうど真ん中あたりを、しっかりと支え、私の両手のひらに、ゆっくりと、その重みを、移していく。
そして、私の両手のひらが、確かに、その重みを、受け止めた、その瞬間、店主は、ようやく、自分の指先の力を、ゆっくりと、抜いていったのです。
そして、店主は、目を、わずかに伏せたまま、ほんの一センチほど、軽く、頭を、下げ、こう、呟いたのです。
「どうぞ、よい、お便りを」
——たった、それだけの、所作と、ひとことの、言葉。
しかし、その瞬間、私の中で、何かが、深く、静かに、満ちていったのです。
これは、ただの「便箋」を、お客様に、お売りするのではなく、これから、その便箋の上に、書かれるであろう、まだ生まれていない「ひとつの言葉」そのものに対して、店主が、払うことのできる、最も静かで、最も深い、敬意でした。
毎日、何冊もの便箋を、お客様に、渡している店主。 それは、彼女にとっては、何千回、何万回と繰り返してきた、極めて日常的な所作のはずです。
しかし、その何万回目の所作を、まるで「初めての、たった一回目」のように、一冊、一冊、別の存在として、その便箋の上に書かれるであろう、まだ生まれていない「言葉」への敬意とともに、お渡しする。
——これが、「言葉への礼節」でした。
そして、この所作こそが、私のような、その朝、ようやく、先延ばしにしていた一通のお返事を、書こうと、ふと、決心した一人の通行人の身体の中に、何か、確かな、静かな、しかし熱を持った、書き手としての覚悟そのものを、染み込ませてくれていたのです。
私は、両手で、その包みを、低く、捧げ持ったまま、店を、後にしました。
硝子戸を、ゆっくりと、引いて、初夏の、五月晴れの朝の路地の中に、再び、戻った、その瞬間——。
抜けるような青空は、もう、すっかり、街全体を、ふわりと、軽やかに、見上げさせていました。
しかし、私の手の中の、淡いベージュの包みの中には、店主が、何十年もの年月の中で、一冊、一冊の便箋とともに、丁寧に磨き上げてきた、その「紙の空気感」が、確かに、白い和紙の繊維の中に、静かに、横たわっていたのです。
そして、夕方、私が、机の上で、この包みを、ほどき、便箋を一枚、取り出し、万年筆を、握った、その瞬間に、その「店の空気感」は、再び、ふわり、と、私の机の上に、立ち上がるのでしょう。
——文具店とは、ただ、紙やペンを売り買いする場所では、ありません。 ——文具店とは、これから、誰かに、何かの言葉を書こうとしている、ひとりの書き手の、その小さな決意の中に、店主の、何十年もの年月の積み重ねによって生まれた「心地よい、紙の空気感」を、そっと、移し替えてくれる場所だったのです。
空気感は、決して、目には、見えません。 しかし、空気感は、こうして、たった一冊の白い無地の便箋の中にすら、確かに、封じ込められ、運ばれ、そして、書き手の万年筆が、紙の上に、最初の一画を、置く、その瞬間に、再び、ふわり、と、立ち上がる。
——これこそが、最も静かで、最も深い、「空気感の影響力」でした。
そして、この影響力こそが、看板にも、値札にも、決して書かれることのない、文具店という店の、最も深い、最も静かな、「透明な資産」だったのだと——。
私は、五月晴れの、抜けるような青空の下の、町角の路地の中で、ようやく、気づいたのです。
——勝田耕司













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