五月の半ばを過ぎたある日曜日の昼下がり、午後一時十五分のこと。
街路樹の若葉がその日いちばんの濃い緑にふわりと染まり、初夏のやわらかな風が街全体を撫でていた、ちょうどその時刻。
私は父と二人、いつもの通勤路とはまったく違う、もう二十数年ぶりに歩く町外れの細い路地を、ゆっくりと歩いていました。
その日、父は、長く入院していた病院から退院して、ちょうど三週間ほどが経った日でした。
そして、その朝のテーブルで、温かいお粥をゆっくりと食べ終えた父が、ふと、低い声でこう言ったのです。
「あの店の、昔のうどんを、もう一度、食べたいなあ」
——父がその「あの店」と呼んだのは、私が、まだ小学生の頃。
家族で何度も、休みの日の昼下がりに訪れていた、町外れのある一軒の古い手打ちうどん屋のことでした。
私と父が、最後にその店の暖簾をくぐったのが、いつだったのか。
おそらくは、私が、大学を卒業して、東京での暮らしを始めるよりも、ずっと前のことだったように思います。
つまり、もう、二十五年以上前——。
その二十五年の間、私はその店のことを、ほとんど忘れて、暮らしていました。
しかし父にとっては、退院後の最初の外出先として、ほかのどんな店でもなく、「あの店の、昔のうどん」が、思い浮かんだのです。
私はその朝、何も言わずに、深く頷きました。
そして母に、薄手の上着を着せかけてもらった父の、ほんの少しおぼつかない足取りに合わせて、私もまた、自分の歩幅をふだんよりも半歩ほど短く整えながら、町外れの細い路地を、二人でゆっくりと歩いていたのです。
——父の歩く速度に、自分の歩幅を、合わせる。
たったそれだけのことの中に、私は、子どもの頃、父と私の歩幅の関係が、ちょうど今と逆だったあの頃の、いくつかの夕暮れの景色を、ふと思い出していました。
あの頃、父は、私の小さな歩幅に合わせて、半歩ずつ、足をゆっくりと運んでくれていたのです。
そして二十五年の月日を経て、今、その同じ路地を、私が、父の歩幅に合わせて、ゆっくりと歩いている。
そう気づいた瞬間、私の中の何かが、深く、静かに、満ちていきました。
路地の奥、まだ五月の昼下がりの陽差しが、家々の屋根を明るい蜂蜜色に染め上げている、その先。
私たちは、磨き込まれた木の引き戸の上に、白地に深い藍色の毛筆で「手打ちうどん」と染め抜かれた、わずかに古びた暖簾が、初夏の風にふわりと揺れている、ある一軒の店の前に、立っていました。
——変わっていない。
二十五年前と、何ひとつ、変わっていなかったのです。
入口の脇の、木製の小さな立て看板。 暖簾の藍色の濃さ。 そして、引き戸の取手の真鍮の磨き込まれた光沢。
何もかもが、私が、最後にこの店を訪れたあの夏の日と、寸分違わぬまま、五月の風の中に、佇んでいたのです。
私は父に、軽く目で確認し、引き戸の取手にそっと手をかけました。
引き戸が、長年使い込まれた木の、低く澄んだ音を立てて、ゆっくりと横へ滑った瞬間。
私と父を、同時に包み込んだのは、初夏の路地の若葉の薫りとは、まったく種類の違う、深く、香ばしく、しかし、決して胃に重くはない、ある——茹で立てのうどんの湯気と、出汁の鰹節の匂いと、そして、長年、何百キロ、何千キロもの小麦粉が、職人の手のひらの中で踏まれ、寝かされ、切られてきた、その「打ち場」そのものの、わずかに乾いた粉の匂いとが、ひとつに溶け合った、芳醇で、しかし極めて穏やかな、ひとつの場の気配でした。
そこに漂っていたものは、もはや、ただの「飲食店の匂い」では、ありませんでした。
それは、私の小学生の頃の、父とのいくつかの昼下がりの記憶そのものが、二十五年ぶりに、ふわりと、しかし確かに、私の身体の中に、立ち上がってくる、そんな深い、懐かしさの気配だったのです。
そこには、二十五年ぶりに、父と私が、もう一度、向かい合って、一杯のうどんを、共にする、その大切なひとときを、確かにお預かりするための、極めて謙虚で、しかし揺るぎない「規律」が、確かに、店全体に息づいていたのです。
「いらっしゃいませ」
カウンターの奥の打ち場で、白い和帽子をかぶり、白い割烹着の腕を肘の少し上まで捲った、もう七十歳は超えているであろう白髪の店主が、両手の指先の小麦粉を、白い前掛けで軽く拭いながら、こちらを見て、ふと、目を、見開きました。
そして店主は、低く穏やかに、しかし確かに、こう言ったのです。
「お父さま——」
その瞬間、私の中で、息が止まったのです。
——店主が、父のことを、覚えていた。
二十五年もの月日を、超えて。
店主は、深く頷き、両手を一度、白い前掛けで丁寧に拭い直し、そして、私と父のほうへ、深く一礼してくださいました。
「お久しゅう、ございました。よく、いらしてくださいました」
声の音量は決して強くありませんでした。
むしろ、店内の深く落ち着いた佇まいを、わずかにも乱さない、絶妙な響き。
しかし、その「お久しゅう、ございました」という、たった一言の中に、店主は、二十五年もの間、何度か、ふと、父と私のことを、思い出しては、また忘れ、また思い出しては、忘れ、を繰り返してこられたであろう、その積み重ねの重みを、確かに、込めていてくださったのです。
そして店主は、私たちを、店内のいちばん奥の、二人用の木製のテーブル席へと、両手で軽くご案内くださいました。
——その席が、二十五年前、いつも、私と父と母の家族が、座っていた、その席と、寸分違わず、同じ席でした。
父は、ゆっくりと、椅子の背もたれに、両手を軽く添えながら、慎重に、腰を下ろしました。
そして私もまた、父の正面に、ゆっくりと、腰を下ろしました。
そしてここから先の、およそ十数分の間。
私はこれまで生きてきた中で、最も静かで、最も整然とした「うどんを打つ、所作」を、二十五年ぶりに、目にすることになったのです。
店主は、打ち場の上の、まだ寝かせ終えたばかりの一塊の生地を、両手で低く捧げ持ち、白木の打ち台の真ん中に、ふわりと置きました。
そしてその生地を、両手の親指の付け根のあたりで、寸分違わぬリズムで、優しく、しかし確かに、押し広げていったのです。
トン、トン、トン、トン。
その押し広げる音は、決して、ばしゃり、と、力任せのものではありませんでした。
むしろ、生地の中の、まだ呼吸を続けているグルテンの繊維の一本一本を、決して傷つけないようにと、その押し広げる力の加減を、極めて慎ましく整え続けている、そんな静かなリズムでした。
——粉と水との出会いに、規律がある。
そう感じた瞬間、私の身体の中で、二十五年ぶりに、ある懐かしい感覚が、ふっと、蘇りました。
そう、私が小学生の頃。
この店のカウンターの脇に、立たせてもらって、ぼんやりと、店主の打つ姿を、見ていた、あの夏の昼下がりの感覚そのものだったのです。
これこそが、私の名づける「水と粉の規律」でした。
そしてしばらくして、湯気を立てた二つの大きな丼が、店主の両手の盆の上に、ふわりと佇み始めました。
店主は、その盆を、両手で低く捧げ持ち、私と父のテーブルまで、ゆっくりと運んできてくださいました。
そして、私と父の目の前で——。
私は、店主の最後の所作に、息を、深く、深く、飲んだのです。
店主は、その二つの丼を、私たちのテーブルの上に、ぱしゃり、と置いたのではありません。
——置いた、のではなく、まず、父の前の丼を、両手で、しっかりと支えながら、テーブルの上に、優しく、優しく、寄り添わせるようにして、横たえてくださいました。
そして、その手を引く瞬間に、店主は、目をわずかに伏せたまま、こう、低く、呟いたのです。
「お父さま、お変わりなく、お元気そうで、ようございました」
——「お変わりなく」。
父が、長く入院していたことを、店主は、おそらくは、知らないはずでした。
しかし店主は、父の今日の少しおぼつかない歩き方の中に、おそらくは、何か近頃、お身体の調子を崩されていたであろう、ということを、瞬時に、見抜いていたのです。
しかし店主は、そのことを、決して、声に出すことは、しませんでした。
ただ、「お変わりなく、お元気そうで、ようございました」と、二十五年前と何ひとつ変わらない、いつもの、調子で、声をかけてくださったのです。
——たった、それだけの、ひとことの言葉。
しかし、その瞬間、父の目が、わずかに、しかし確かに、潤んだのを、私は、向かい側の席で、確かに、見たのです。
これは、ただの「再訪のお客様への挨拶」ではありません。
これは、二十五年もの月日の間に、ある一人のお客様の人生に起きていたであろう、いくつかの大きな波と、その波をようやく越えてきた、その方の身体の重みそのものを、店主が、たった一杯の湯気の中に、確かにお迎え直してくださっていた、ということでした。
——これが、「再会の一杯への礼節」でした。
毎日、何十杯ものうどんを、お客様のテーブルに置いている店主。
それは彼にとって、何千回、何万回と繰り返してきた、極めて日常的な所作のはずです。
しかし、その何万回目の所作を、まるで「二十五年ぶりの、たった一度の再会」のように、その丼が、これまでに、誰と、どのような時間を共にしてきたのか、を、確かに見抜いた上で、その関係性そのものへの敬意を、無言のうちに、丼の置き方の中に込めて、お渡しする。
そしてこの所作とひとことの言葉とが、二十五年ぶりに父と二人で、同じ店のテーブルに、向かい合うことができた一人の息子の身体の中に、何か、確かな、温かい、そしてこれまでの月日への深い感謝の気持ちを、染み込ませてくれていたのです。
私と父は、向かい合って、ゆっくりと、湯気の立つ丼の中に、両手を添えながら、最初のひと啜りを、口に運びました。
うどんは、二十五年前と、何ひとつ、変わらない味でした。
しかし、二十五年前と、確かに違うことが、ひとつ、ありました。
——父の啜り方が、ゆっくりに、なっていた。
そして私の啜り方も、その父の速度に、寸分違わず、合わせるように、自然と、ゆっくりに、なっていたのです。
向かい合うテーブルの上で、二つの丼の湯気が、ふわりと、互いを向き合わせ、寄り添うように、立ちのぼり続けていました。
——父子の食卓の湯気にも、規律が、宿る。
そして、その湯気の中に、二十五年もの月日の重みと、その月日をようやく二人で、もう一度、超えてきた、そのささやかな喜びとが、確かに溶け合っていたのです。
私たちはその日、店主に、深く深く、頭を下げ、暖簾を、もう一度ゆっくりとくぐって、五月の昼下がりの、まだ若葉が薫る路地の中に、戻りました。
街路樹の若葉は、その日いちばんの濃い緑のまま、初夏の風にふわりと揺れていました。
しかし父の足取りは、店に入る前よりも、ほんのわずか、しかし確かに、しっかりとした足取りに、戻っていたのです。
——一杯のうどんが、人の足取りまで、整え直してしまう。
vibes は、目には見えません。
しかし vibes は、こうして、たった一杯の手打ちうどんの湯気の中にすら、店主の何十年もの所作の重みとともに、確かに織り込まれ、二十五年ぶりに、父と息子が向かい合う、その小さなテーブルの上に、再びふわりと、立ち上がる。
——空気は、親子の月日そのものを、優しく、抱きとめてしまう。
それこそが、看板にも、メニューにも、決して書かれることのない、町外れの古い手打ちうどん屋という店の、最も深い、最も静かな「透明な資産」だったのだ——。
私は、隣でゆっくりと歩く父の、いつもよりも、ほんの一歩だけ、確かに、軽くなった歩幅の隣で、五月の昼下がりの、若葉の薫る路地の中で、ようやく気づいたのです。
——勝田耕司













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