透明資産を見つけよう

【透明資産を見つけよう】五月の昼下がり、町外れの老舗の煎茶屋。木箱に並ぶ「香りの規律」と、茶葉を量る所作という名の「淹れる手への礼節」

五月の下旬に入り、街路樹の若葉が、もうすっかり夏の気配を含み始めた、ある木曜日の昼下がり、午後二時三十分のこと。

陽差しが少しずつ強くなり始めたものの、初夏のやわらかな風がまだ、街全体を心地よく撫でていた、ちょうどその時刻。

私は、午後のアポイントを終えたあと、いつもの大通りから二本だけ路地のほうへと外れた、古い住宅街の一角を歩いていました。

その日、私が向かっていたのは、母のために、ある一袋のお茶を、買いに行くためでした。

——きっかけは、その朝の食卓で、退院後、ようやくテーブルでお粥を食べられるようになった父が、ふと、低い声でこう呟いたことでした。

「お母さんがな、ずっと、病院に通ってくれてる間、ろくに、いいお茶も、淹れてあげられなかったんだよ。なんだか、すまんことをしたなあ」

その父の呟きの隣で、母は、何も言わずに、ただ、ふっと、笑っていました。

しかし私はそのときの母の、その「ふっ」と笑った頬の、ほんの少しだけ、こけたような影に、確かに気づいていたのです。

——母は、三月以上もの間、ほとんど毎日、父の病院に通い続けていました。

朝、軽い食事を済ませると、すぐに、家を出る。 昼は、病院の売店の、温め直したお弁当か、コンビニのおにぎりか。 そして夜、帰宅したあと、ようやく、自分のために、一杯のお茶を淹れる。

しかし、その夜の母のお茶は、おそらくは毎晩、ティーバッグの番茶を、湯呑みに、ぽいと放り込んだだけのものだった、はずです。

——母には、本当のお茶を、淹れる時間も、心の余裕も、なかったのだ。

そう、私はふと、その朝、気がついたのです。

そしてその日の午後、ちょうど一時間ほどの空きが出来た私は、商店街の路地のずっと奥にある、私がまだ若い頃に、何度か母と一緒に訪れたことのある、ある一軒の老舗の煎茶屋へと、自然に足を向けていたのです。

商店街の路地の、ちょうど突き当たり。

私は、磨き込まれた木の引き戸の上に、深い緑色の地に白く「茶」とたった一文字、染め抜かれた、年代物の暖簾が、初夏のやわらかな風にふわりと揺れている、ある一軒の店の前に、立っていました。

開業から優に百年は超えているのでしょう。

私は引き戸の取手にそっと手をかけました。

引き戸が、長年使い込まれた木の、低く澄んだ音を立てて、ゆっくりと横へ滑った瞬間。

私を包み込んだのは、初夏の路地の若葉の薫りとは、まったく種類の違う、深く、芳醇で、しかし、決して胸に重くはない、ある——焙じたばかりの番茶の香ばしい匂いと、新茶の青々とした若い匂いと、そして長年、何百キロ、何千キロもの茶葉が、店主の指先と量りの上を行き来してきた、その「秤の場」そのものの、わずかに乾いた紙箱の匂いとが、ひとつに溶け合った、芳醇で、しかし極めて穏やかな、ひとつの香りの厚みでした。

そこに漂っていたものは、もはや、ただの「お茶屋の匂い」では、ありませんでした。

それは、私がまだ若い頃に、母の隣で、何度か、ぼんやりとこの店の店主のお茶を量る所作を眺めていた、あの遠いいくつかの昼下がりの記憶そのものが、ふと、私の身体の中に、再び立ち上がってくる、そんな深い、懐かしさの気配だったのです。

そこには、これから、ある一人の方が、ご自分の手で湯を注ぎ、茶葉を待ち、そしてたった一杯のお茶を、ご自分の喉に、流し込むその大切な瞬間を、確かにお預かりするための、極めて謙虚で、しかし揺るぎない「規律」が、確かに店全体に息づいていたのです。

「いらっしゃいませ」

奥の作業台の前で、深い緑色のたっつけ袴に、白いシャツを締め、頭に白い手拭いを巻いた、白髪の女性店主——おそらくは、この煎茶屋の女将でしょうか——が、両手の指先を、白い布巾で軽く拭いながら、私のほうを見て、深く頭を下げてくれました。

年齢は、おそらくもう七十代の半ば。

声の音量は決して強くありませんでした。

むしろ店内に漂う、何種類もの茶葉のそれぞれの香りを、わずかにも乱さない、ぎりぎりの絶妙な響き。

私は店内の中ほどに、ゆっくりと足を進めました。

そしてそこで、私は息を、深く、飲んだのです。

——壁一面に並ぶ、木の茶箱の、その整然たる並び方。

店の壁の左半分には、上から下まで、木製の茶葉の保管箱が、合計二十四個。

それぞれの箱の表面には、毛筆の太い書体で、茶葉の銘柄が、白い字で、ひとつずつ、丁寧に書かれていました。

「玉露」「煎茶 上」「煎茶 並」「番茶」「焙じ茶」「玄米茶」——。

そして、それぞれの木箱の蓋はすべて、わずかに開かれた状態で、それぞれの箱の中の茶葉の上に、白い和紙が、ふわりと、それぞれの茶葉の色と量を、決して外気から押し潰さないように、丁寧に被せられていたのです。

その箱と箱の間隔は、寸分違わず、一直線に整っていました。

そして、白い和紙の被せ方も、どの箱も、和紙の四隅が、寸分違わず、同じ角度で、ふわりと立ち上がっていたのです。

これはただの「商品の保管」ではありませんでした。

これは、それぞれの茶葉の、その日いちばんの香りを、決して互いの茶葉の香りで、押しのけ合わせないように——、設計された、ある「香りの距離感」そのものだったのです。

——茶葉と茶葉が、互いの香りを、決して、競わない。

その並び方の、なんと、慎ましいことか。

これこそが、私の名づける「香りの規律」でした。

私はゆっくりと、女将にこう申し上げました。

「母のために、本当においしい、煎茶を、お願いしたいのです。母はずっと、父の入院の付き添いで、自分のために、ろくにお茶を淹れる時間が、なかった様子で——」

女将は、深く頷きました。

そして女将は、こう、ひとことだけ、低くお尋ねくださいました。

「お母さまは、温かいお茶を、よくお淹れになる方ですか」

私はその一瞬、すぐには答えられませんでした。

しかしよく考えてみると、私がまだ家に住んでいた頃。

母は毎晩、夕食のあと、必ず、自分のために、煎茶を、一杯だけ、ゆっくりと淹れていました。

そして、白い湯気の立つ湯呑みを、両手で低く包み込みながら、台所の小さなテーブルの上で、しばらくの間、ただ、ぼんやりと、その湯気を見つめていたのです。

——あれは、母の、一日の中で、唯一、自分のために、確かにご自身を労っていた、ほんのささやかな儀式だったのだろう。

二十数年を経て、私は今、ようやくそのことに気づいたのです。

「はい。母は、若い頃から、毎晩、ご自分で煎茶を淹れて、ゆっくりとお飲みになる、そんな方でした」

私はそう、女将にお答えしました。

女将は深く頷き、店の中央の作業台のほうへ、ゆっくりと足を運んでいかれました。

そしてここから先の、ほんの数分の間。

私はこれまで生きてきた中で、最も静かで、最も整然とした「茶葉を量る、所作」を、目にすることになったのです。

女将はまず、壁の茶箱の上から二段目の、「煎茶 上」と書かれた、ある一つの木箱を、両手で低く捧げ持ち、作業台の上に、そっと横たえました。

そして木箱の上の白い和紙を、ふわりと、開かれた赤子の口元から布巾を外すかのような、深い慎みをもって、ゆっくりと取り除かれたのです。

すると、その木箱の中から、ふわり、と——青々と、しかし、深い艶を含んだ、新茶の、若くしっとりとした、ある一つの気配が、立ち上がりました。

そして女将は、作業台の真ん中の、年代物の真鍮の量りの上に、薄手の和紙を、両手で、丁寧に広げ、その和紙の上に、木の柄の長い、平たい小さな匙で、茶葉を、ほんの一掬い分、すうっと、すくい上げたのです。

——茶葉を、机の上に、ぱらり、とこぼさない。 ——和紙の上に、ふわりと、寄り添わせる。

その所作は、まるで、生まれたばかりの命を、寝床に横たえるかのような、深い深い、慎ましさを、宿していました。

そして女将は、その量りの針が、ぴたりと百グラムの目盛りに静止するまで、その一掬い分の量を、ほんのわずかずつ、加えたり、引いたりしながら、寸分違わぬところまで、整え続けてくれたのです。

——百グラム、寸分違わず。

その整え方の、なんと、慎ましいことか。

そして女将は、量り終えた百グラムの茶葉を、薄い和紙でふわりとくるみ、その上から、もう一枚、深い緑色の布張りの紙袋に、納めていきました。

そして紙袋の口は、麻紐で、二度だけ、緩すぎず、きつすぎない、絶妙な力で、結ばれたのです。

最後に女将は、その紙袋を両手で低く捧げ持ち、私の前まで、ゆっくりと運んできてくださいました。

そして私の前で——。

私は、女将の最後の所作に、息を深く飲んだのです。

女将は、その紙袋を、私のほうへ、ただ差し出した、のではありませんでした。

——差し出した、のではなく、「お母さまのお湯呑みのそばに、そっと置いていただきたい」とでも言うかのように、両手で、私の両手のひらに、その重みを、ゆっくりと、移していかれたのです。

そしてその手を引く瞬間に、女将は、目をわずかに伏せたまま、ほんの一センチほど軽く頭を下げ、こう、低く呟いてくださいました。

「お母さまの、明日の一杯が、何よりも、お楽しみでいらっしゃいますように」

——「お母さま、よろしくお伝えくださいませ」では、ありませんでした。 ——「いつもありがとうございます」でも、ありませんでした。

「明日の一杯が、何よりも、お楽しみでいらっしゃいますように」——。

このひとことの中に、女将は、母がこの茶葉を、ご自分の指先で量り直し、ご自分の湯呑みに、ご自分の手で湯を注ぎ、そしてたった一杯のお茶を、ご自分の喉に、ゆっくりと流し込む、その「明日のひととき」そのものを、確かに見抜いてくださっていたのです。

——これが、「淹れる手への礼節」でした。

毎日、何十袋もの茶葉を、お客様にお渡ししている女将。

それは彼女にとって、何千回、何万回と繰り返してきた、極めて日常的な所作のはずです。

しかしその何万回目の所作を、まるで「初めての、たった一杯の、お客様の家の湯呑み」のように、その茶葉が、これから誰の手で、どんな思いで淹れられるのかを、確かに見抜いた上で、淹れる方ご自身への深い敬意を、無言のうちに、和紙のくるみ方の中に込めて、お渡しする。

そしてこの所作とひとことの言葉とが、その日、ようやく、母の三月以上もの間の見えない疲れに、自分なりに気づいてあげようとしていた一人の息子の身体の中に、何か、確かな、温かい、感謝の気持ちを、染み込ませてくれていたのです。

私は両手でその深い緑色の紙袋を、低く捧げ持ったまま、店を後にしました。

引き戸をゆっくりと引いて、五月の下旬の、初夏の昼下がりの路地に、再び戻ったその瞬間——。

私の手の中の紙袋の中には、女将が長年磨き上げてきた、その「香りの厚み」が、確かに、百グラムの茶葉の中に、ふわりと横たわっていました。

そして今夜、家に帰り、母が何気なく、この紙袋を開けたその瞬間に。

そして明日の夜、母が夕食のあとに、ゆっくりと、その茶葉を湯呑みに入れ、湯を注ぐ、そのほんのひとときに。

その「店の香りの厚み」は、ふわりと、母の湯呑みの上に、もう一度、立ち上がるのでしょう。

——煎茶屋とは、ただ、茶葉を売り買いする場所では、ない。 ——煎茶屋とは、これからご自分の手で、ご自分のために、たった一杯のお茶を淹れる、ある一人の方の、その大切な「ひとり時間」そのものを、女将の何十年もの所作の重みとともに、和紙の中に、確かにお預けしてくれる場所だったのです。

vibes は、目には見えません。

しかし vibes は、こうして、たった百グラムの茶葉の中にすら、女将の何十年もの所作の重みとともに、確かに織り込まれ、母の小さな台所まで運ばれ、そして母が、明日の夜、湯呑みに湯を注ぐ、その瞬間に、ふわりと立ち上がる。

——空気は、見えないところで、家族が、もう一度、自分自身を労り直す、その小さなひとときまで、優しく、整えてしまう。

それこそが、看板にも、値札にも、決して書かれることのない、商店街の路地の奥の煎茶屋という店の、最も深い、最も静かな「透明な資産」だったのだ——。

私は、母のための一袋の茶葉を、両手で低く捧げ持ったまま、五月の下旬の、もうすぐ夏の気配を含み始めた、初夏の路地の中で、ようやく気づいたのです。

——勝田耕司

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