五月の下旬のある月曜日の朝、午前九時四十分のこと。
前の晩から降り続いた小雨が、明け方にようやく上がり、街路樹の若葉の一枚一枚が、まだ、ほんの少しだけ雨の雫を宿しながら、初夏の朝の光に、きらきらと輝いていた、ちょうどその時刻。
私は、午前中の打ち合わせまでの、ぽっかりと空いた一時間ほどを抱えながら、いつもの大通りから二本だけ路地のほうへと外れた、古い住宅街の一角を、歩いていました。
——その朝、私がある一軒の傘屋を訪ねようと思い立ったのには、はっきりとした理由がありました。
その前の晩、私は、玄関の傘立てを、ふと、見つめていたのです。
傘立ての中には、ビニール傘が、四本、無造作に突き刺さっていました。
そのうちの二本は、骨が、すでに、片方、折れ曲がっていました。 一本は、留め具のボタンが、すでに、取れていました。 そして最後の一本は、いつ、どこで、誰のために買ったのかさえ、私はもう、思い出すことができませんでした。
——私は、いったい、これまでの人生で、何十本のビニール傘を、買い、そして失くしてきたのだろう。
その夜、私はふと、そう考えていました。
急な雨が降れば、駅前のコンビニで、五百円ほどのビニール傘を、買う。 晴れれば、その傘を、電車の網棚に、置き忘れる。 そしてまた、雨が降れば、また、新しいビニール傘を、買う。
——その繰り返しを、私はもう、二十年も、三十年も、続けてきたのです。
そしてその夜、ふと、私の頭に、ある一つの思いが、浮かびました。
——来月、娘が、この家を、出ていく。
そして、娘がこの家から運び出していく荷物は、「ほんの少しだけ」だと、娘は言っていました。
派手な家具も、たくさんの食器も、要らない。 ただ、本当に、長く、共に暮らしていけるものだけを選んで、新しい家へと運んでいく。
そういう娘の、静かな、しかし確かな選び方を、私はふと、思い出していたのです。
——私も、そろそろ、「ビニール傘の暮らし」を、終わりにしてもよいのかもしれない。
何十本も、買っては、失くす、のではなく。
たった一本でいい。 これから先、十年、二十年と、雨の日のたびに、確かに、共に歩いていける、本物の傘を、一本だけ、持とう。
そう、私はその夜、心に決めたのです。
そしてその翌朝、私はもう何年も前から、その存在だけは知っていた、町外れのある一軒の老舗の傘屋へと、自然に足を向けていたのです。
商店街の路地の、ちょうど真ん中あたり。
私は、磨き込まれた木の引き戸の上に、藍染めの地に白く「傘」とたった一文字、染め抜かれた、年代物の暖簾が、雨上がりのやわらかな朝の風にふわりと揺れている、ある一軒の店の前に、立っていました。
開業から優に七十年は超えているのでしょう。
私は引き戸の取手にそっと手をかけました。
引き戸が、長年使い込まれた木の、低く澄んだ音を立てて、ゆっくりと横へ滑った瞬間。
私を包み込んだのは、雨上がりの路地の、しっとりと湿った朝の風の中とは、まったく種類の違う、深く、乾いて、しかし、決して冷たくはない、ある——竹の骨の、わずかに青い匂いと、油紙と撥水布の、かすかに張りつめた匂いと、そして、長年、何千、何万という雨の日を、見送り、見送られてきた、その「傘の場」そのものの、落ち着いた木の匂いとが、ひとつに溶け合った、芳醇で、しかし極めて穏やかな、ひとつの気配でした。
そこに漂っていたものは、もはや、ただの「傘屋の匂い」ではありませんでした。
それは、何千、何万という雨の日が、この店の中で、ひと張り、ひと張り、職人の指先によって、骨を組まれ、布を張られ、そしてそれぞれの持ち主の手のひらに、お預けされてきた、その「無数の雨の日との出会い」そのものの気配だったのです。
そこには、これから、ある一人の方が、何十年もの雨の日のたびに、その手のひらに、確かに握り続けていくであろう、たった一本の傘を、確かにお預かりするための、極めて謙虚で、しかし揺るぎない「規律」が、確かに、竹の骨の隙間に、息づいていたのです。
「いらっしゃいませ」
店の奥の作業台の前で、白いシャツの腕を肘の少し上まで捲り、紺色の前掛けを締めた、白髪の店主が、両手の指先を白い布巾で軽く拭いながら、私のほうを見て、深く頭を下げてくれました。
年齢はおそらく、もう七十代の半ば。
声の音量は決して強くありませんでした。
むしろ、店内に漂う深く落ち着いた竹と布の気配を、わずかにも乱さない、絶妙な響き。
私は店内の中ほどに、ゆっくりと足を進めました。
そしてそこで、私は息を、深く飲んだのです。
——壁一面に並べられた、何十本もの傘の、その整然たる並び方。
店の壁の左半分には、長傘が、上から下まで、合計、三十本ほど。
それぞれが、布の色も、生地の質感も、まったく違いながら、しかし、見事なまでに、寸分違わず、ぴたりと揃った間隔で、すべてが、きちんと、巻き上げられた状態で、整然と、吊るされていたのです。
驚くべきは、その三十本の傘の、それぞれの石突き——傘の先端の、地面に触れる部分——が、すべて、寸分違わず、同じ高さで、ぴたりと、床から十センチほどの位置に、揃えられていた、ということでした。
そして、傘の生地を留める、それぞれの巻きの留め紐が、すべて、お客様から見て、ちょうど正面に向けられていたのです。
これはただの「商品の陳列」ではありませんでした。
これは、これから、お客様が、その傘を、手に取り、傘を、開いてみる、その瞬間に、決して、傘の留め紐の位置を、探したり、迷ったりすることがないように——、設計された、ある「指先の動線の整え」そのものだったのです。
——三十本の傘が、互いの石突きの高さを、決して、競わない。
その並び方の、なんと、慎ましいことか。
これこそが、私の名づける「骨の規律」でした。
そして店主は、私の様子を、しばらくの間、ご自分の作業台の前から、ただ、静かに、見守ってくださっていました。
そして、私がようやく視線を上げ、店主のほうを、ふと見た瞬間に、店主はこう、低く、お尋ねくださったのです。
「長く、お使いになる、一本を、お探しでいらっしゃいますか」
——私は、まだ、何も、申し上げていない。
しかし店主は、確かに、見抜いていたのです。
私が、壁一面の傘の前に立っているそのときの、私の身体の、ある「これから、長く、何かを、選びたい」という、ささやかな、しかし確かな心の傾きを、店主は、長年の何万本もの傘との対話の中で、瞬時に見抜く、その身体の感覚を、磨き上げてこられていたのです。
私はゆっくりと、頷きました。
「ええ。お恥ずかしい話ですが、私はこれまで、何十本もの、ビニール傘を、買っては、失くしてまいりました。もうそろそろ、たった一本でいい、十年でも、二十年でも、共に歩いていける傘を、持ちたいと、思いまして」
店主は、深く、頷きました。
そして店主は、こう、ひとことだけ、低く、お尋ねくださいました。
「お客様は、雨の日に、傘の中で、何を、なさいますか」
——私は、その問いに、すぐには、答えられませんでした。
「雨の日に、傘の中で、何を、するか」。
私はこれまでの人生で、ただの一度も、そんなことを、考えたことが、ありませんでした。
雨の日の傘は、ただ、濡れないための、道具。 一刻も早く、目的地に着くための、ただの覆い。
私にとって傘とは、長年、ずっと、そういうものだったのです。
しかし、店主の、その静かな問いの前で、私はふと、考え込みました。
——雨の日に、傘の中で、私は、何を、しているだろう。
そしてようやく、私はぽつりと、こうお答えしたのです。
「……雨の日は、足元の、水たまりを、見ながら、ゆっくりと、歩いているような気がします。晴れの日よりも、少しだけ、歩く速度が、遅くなって。そして、傘を打つ雨の音を、聞きながら、ふだんよりも、少しだけ、自分の考えごとに、ゆっくりと、向き合っているような——」
私はそうお答えしながら、自分でも驚いていました。
そう。
雨の日というのは、私にとって、実は、晴れの日よりも、ほんの少しだけ、自分自身と、静かに向き合う時間だったのです。
二十年も、三十年も、ビニール傘を、買い、失くし、を繰り返してきた私は、その「雨の日の、ゆっくりとした時間」そのものの価値に、これまで、ただの一度も、気づいてこなかったのです。
店主は、ゆっくりと、深く頷きました。
そして店主は、壁の傘の中の、ある一本——、深い藍鼠色の、しっとりとした撥水生地の、決して派手ではない、しかし、確かな重みのある、一本の長傘を、両手で低く捧げ持ち、私の前まで運んできてくださいました。
「では、こちらを。雨の音が、いちばん、やわらかく、お手元に届く、骨の張り方をした、一本でございます」
そして店主は、その傘を、私の前で、ゆっくりと、開いてくださいました。
——傘が、ふわり、と、開いた、その瞬間。
私は、息を、深く、飲んだのです。
傘の内側の、骨と骨の張りが、まるで、よく晴れた夜の、満天の星座のように、寸分違わず、整然と、しかし、決して緊張しすぎることなく、ふわりと、しなやかに、広がっていたのです。
そして店主は、その傘を、私の手に、渡す、のではありませんでした。
——渡す、のではなく、傘の柄を、両手で、低く、支えたまま、私の右手のひらに、その傘の柄の、木の温もりを、ゆっくりと、移していかれたのです。
そして、私の右手が、確かに、その柄の重みを受け止めた、その瞬間。
店主は、目をわずかに伏せたまま、ほんの一センチほど、軽く、頭を下げ、こう、低く、付け加えてくださったのです。
「これからの、雨の日が、お客様の、ゆっくりとした、よい時間に、なりますように」
——「雨の日も、お気をつけて」では、ありませんでした。 ——「お買い上げ、ありがとうございます」でも、ありませんでした。
「これからの、雨の日が、お客様の、ゆっくりとした、よい時間に、なりますように」——。
このひとことの中に、店主は、これから先、何十年もの、私の雨の日の、その「傘の中の、ゆっくりとした、ひとり時間」そのものに、深い、深い、敬意を、込めていてくださっていたのです。
——これが、「永く連れ添う雨への礼節」でした。
毎日、何本もの傘を、お客様にお渡ししている店主。
それは彼にとって、何千回、何万回と繰り返してきた、極めて日常的な所作のはずです。
しかしその何万回目の所作を、まるで「初めての、たった一本の、これから何十年も連れ添う傘」のように、その傘が、これから先、誰の手のひらの中で、どんな雨の日を、共に歩いていくのかを、確かに見抜いた上で、その持ち主の、未来のすべての雨の日への深い敬意を、無言のうちに、傘を開く所作の中に込めて、お渡しする。
そしてこの所作とひとことの言葉とが、これまで何十本ものビニール傘を、買っては失くしてきた一人の通行人の身体の中に、何か、確かな、静かな、「永く、何かと、連れ添っていく」という、新しい覚悟を、染み込ませてくれていたのです。
私は、両手で、その藍鼠色の長傘を、ゆっくりと、しっかりと、受け取りました。
そして引き戸をゆっくりと引いて、雨上がりの、五月の下旬の朝の路地に、再び戻った、その瞬間——。
街路樹の若葉の上の雨の雫は、もう、ほとんど、初夏の朝の光の中に、乾きかけていました。
しかし、私の右手の中には、これから先、何十年もの、私の雨の日と、確かに、共に歩いていくであろう、たった一本の傘の、木の柄の、しっとりとした温もりが、確かに、宿っていたのです。
——傘屋とは、ただ、傘を、売る場所では、ない。 ——傘屋とは、ある一人の方の、これから先、何十年もの「雨の日のひとり時間」そのものを、たった一本の傘の、骨の張り方の中に、確かに、お預けしてくれる場所だったのです。
vibes は、目には見えません。
しかし vibes は、こうして、たった一本の長傘の、骨の張りの中にすら、店主の何十年もの所作の重みとともに、確かに織り込まれ、これから先の、すべての雨の日へと運ばれ、そして、雨が降り出し、私が、その傘を、ふわり、と、開く、その瞬間に、再び立ち上がる。
——空気は、人の、雨の日の歩く速度さえも、優しく、整え直してしまう。
それこそが、看板にも、値札にも、決して書かれることのない、町外れの老舗の傘屋という店の、最も深い、最も静かな「透明な資産」だったのだ——。
私は、その一本の傘の柄を、しっかりと右手に握りしめながら、雨上がりの、五月の下旬の、もうすぐ夏の気配を含み始めた、初夏の朝の路地の中で、ようやく気づいたのです。
——勝田耕司












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