五月の下旬のある日曜日の朝、午前十時のこと。
初夏のやわらかな朝の光が、街路樹の若葉を、一枚、一枚、すきとおるように明るませはじめた、ちょうどその時刻。
私はその日、めずらしく、妻と二人で、いつもの大通りから二本だけ路地のほうへと外れた、古い住宅街の一角を、ゆっくりと歩いていました。
——その朝、私たち夫婦が、ふたりで、ある一軒の陶器店を訪ねようと思い立ったのには、ひとつの、はっきりとした理由がありました。
来月の十五日、私たちの娘が、結婚式を挙げます。 そして来月の二十日には、家を出て、新しい家へと移ってまいります。
その式のお祝いとして——、私と妻とは、それぞれ、別々に、贈り物のことを、考えていました。
私は、先日、町外れの老舗の刃物店で、娘の、新しい台所のための、小ぶりの薄出刃の包丁を一本、お選びさせていただいておりました。
そして、その数日前の夜のことでした。
妻が、夕食のあとの、片づけの手をとめて、ふと、私のところに、こう言ったのです。
「わたしも、ひとつだけ、わたしから、贈らせてもらいたいものが、あるの」
妻は、しばらく言葉を探したあと、静かに続けました。
「夫婦茶碗を、贈りたいと、思うの。毎朝の食卓に、あの子たちふたりが、ふたつの茶碗で、ご飯を、よそうところを、思い浮かべてしまうの」
私は、その夜、妻の、その、控えめな、しかし、確かな深さのある、ひとことの前で、しばらく、何も答えることができませんでした。
そして、私は、こう答えたのです。
「いっしょに、選びに、行こう。ふたりで、選ぼう」
そして、その翌週の、日曜日の朝。
私と妻は、いつもの大通りから、二本だけ路地のほうへと外れた、古い住宅街の一角を、ふたりで、ゆっくりと歩いていたのです。
商店街の路地の、ちょうど真ん中あたり。
私たちは、磨き込まれた木の引き戸の上に、深い藍色の地に、白く「陶器」とたった二文字、染め抜かれた、年代物の小さな暖簾が、初夏のやわらかな朝の風にふわりと揺れている、ある一軒の店の前に、立っていました。
開業から、優に七十年は、超えているのでしょう。
私は引き戸の取手にそっと手をかけました。
引き戸が、長年使い込まれた木の、低く澄んだ音を立てて、ゆっくりと横へ滑った瞬間。
私たちを包み込んだのは、初夏の朝の路地の、若葉の薫りとは、まったく種類の違う、深く、しっとりと、そして、どこまでもおだやかな、ある——焼き締められた土の、ほのかにあたたかい土の匂いと、何代もの作り手の窯の灰が、年月の中で、しずかに、しずかに、土に染み込んでいった、その「火と土の場」そのものの、落ち着いた気配と、そして、ひと口、ひと口の、毎朝のご飯を、何十年と、その器で、いただき続けてこられた、無数のお客様の食卓の、しずかな温もりが、土の繊維の奥に、確かに、しみ込んできた、その「日々の食の場」そのものの気配とが、ひとつに溶け合った、芳醇で、しかし、極めて静謐な、ひとつの空気の厚みでした。
そこに漂っていたものは、もはや、ただの「陶器店の匂い」では、ありませんでした。
それは、何百、何千という器が、この店の中で、ひと組、ひと組、職人の窯から、ていねいにお預かりされ、そしてそれぞれの持ち主の、毎日、毎日の、毎朝、毎晩の食卓へと、丁寧にお渡しされてきた、その「無数の、毎日の食卓との出会い」そのものの気配だったのです。
そこには、ある一組の器が、これから、ある二人の方の、毎日、毎日の食卓を、何十年と、ともにお支えするための、極めて謙虚で、しかし揺るぎない「規律」が、確かに、土の一粒、一粒に、息づいていたのです。
「いらっしゃいませ」
店の奥の、磨き上げられた檜の上がり框の前で、白いシャツの上に、藍色の作務衣の上っ張りを羽織った、白髪のご高齢の店主が、両手を、ご自分の作務衣の下のシャツで、ごく軽くお拭きになりながら、私たちのほうを見て、深く頭を下げてくれました。
年齢はおそらく、もう八十代に近いでしょうか。
声の音量は決して強くありませんでした。
むしろ、店内に漂う、深く落ち着いた土と火の気配を、わずかにも乱さない、絶妙な響き。
私と妻は、店内の中ほどに、ゆっくりと足を進めました。
そしてそこで、私は、息を、深く飲んだのです。
——店の壁ぎわの、磨き上げられた檜の棚に、整然と並べられた、何組もの「対の茶碗」。
店の壁ぎわには、檜の小さな盆の上に、ぴたりと一対ずつ、すなわち、大きめの茶碗が、必ず左側に、そして、すこし小ぶりの茶碗が、必ず右側に——、合わせて、何組もの夫婦茶碗が、整然と並べられていました。
そして、驚くべきは——、どの一対の茶碗も、左の大きめの茶碗と、右の小ぶりの茶碗との、ちょうど、ふたつの茶碗の縁と縁とのあいだの、わずかな隙間が、すべて、寸分違わぬ広さで、揃えられていた、ということでした。
その隙間は、ちょうど、人の人差し指の太さほどの、ごくささやかなものでした。
しかし、その何組もの夫婦茶碗の隙間が、ひとつも、ぴたりと寄り添いすぎることなく、ひとつも、離れすぎることもなく、すべて、人差し指一本分の、絶妙な広さで、揃えられているところに——、私は、息を、飲んだのです。
——茶碗と茶碗は、ぴたりと、寄り添いすぎてもいけない。 ——茶碗と茶碗は、決して、離れすぎてもいけない。
くっつきすぎれば、二つの茶碗は、お互いの音を、立てて、ぶつかり合ってしまう。 離れすぎれば、二つの茶碗は、もはや「ひと組」の茶碗では、なくなってしまう。
その、ちょうど、人差し指一本分の、絶妙な隙間こそが——、二つの器が、永く「ひと組」であり続けるための、その秘訣そのものだったのです。
——たった、指一本の隙間の中にも、規律が宿る。
これこそが、私の名づける「間合いの規律」でした。
そして店主は、私たちのほうを見て、こう、低く、お尋ねくださいました。
「夫婦茶碗を、お探しでいらっしゃいますか」
私は、ゆっくりと、頷きました。
「ええ。来月、嫁ぐ娘と、その婿への、お祝いの一品でございます」
店主は、深く、深く頷きました。
そして店主は、こう、ひとことだけ、低くお尋ねくださいました。
「お嬢さまと、お婿さまは、どちらが、たくさん、お召し上がりに、なりますか」
——私は、その問いの前で、しばらく、言葉を探していました。
「ご予算は」でも、「色は」でも、「お好きな焼き物は」でも、ありませんでした。
店主が、まず、いちばん最初にお尋ねくださったのは——、「お嬢さまと、お婿さまの、どちらが、たくさん召し上がるか」、ということだったのです。
私と妻は、しばらく、顔を見合わせました。
そして、妻が、ゆっくりとお答えしました。
「娘が、よく食べる子でございました。子どもの頃から、お代わりは、必ず、本人の側でした」
店主は、深く頷きました。
そして店主は、こう付け加えてくださったのです。
「では、大きめの茶碗のほうを、お嬢さまへ。小ぶりのほうを、お婿さまへ。お選びくださいませ」
——私の中で、何かが、深く、静かに、満ちていきました。
世の中の、多くの夫婦茶碗は、ただ、当たり前のように、大きいほうがご主人、小ぶりのほうが奥さま、と、決められて、お渡しされるものでした。
しかし、店主は、そんな当たり前を、ただの一度も、踏襲しようとはなさいませんでした。
——あくまで、よくお召し上がりの方に、大きめのお茶碗を。
そして店主は、その「ふたりのうちの、よく召し上がる方」というご質問を通じて——、まだ、お会いしたことのない、ある若いふたりを、決して、「ご主人」「奥さま」というご通念の役割に押し込めず、ひとり、ひとりの、個別のお客様として、ていねいにお迎えしようと、なさっていたのです。
そして店主は、私たちを、ある一組の対の茶碗の前へと、両手で、低く、ご案内くださいました。
その対は、九谷でも、有田でも、ありませんでした。
地味な、信楽の、ほんのり、生成りの土肌に、ほんのわずかな、緑がかった釉薬が、ふっと、降りかかったような、ごく、つつましい、夫婦茶碗でした。
店主は、その大きめのほうの茶碗を、両手で、低く、捧げ持ち、まず、私の妻のほうへ、差し出されました。
そして店主は、こう付け加えてくださいました。
「すこし、お持ちになってみてください。茶碗というものは、目で、お選びになるものでは、ございません。手のひらの重みと、温もりで、お選びになるものでございます」
妻は、その大きめの茶碗を、両手で、低く、受け取りました。
そして、しばらく、その茶碗を、両手のひらで、おだやかに、包み込んでいました。
そして、妻が、ぽつりと、こう、言ったのです。
「あの子の手にも、ちょうど、おさまりそう」
そして店主は、小ぶりのほうの茶碗を、私のほうへ、両手で、低く、差し出してくださいました。
私は、その小ぶりの茶碗を、両手のひらで、低く、包みました。
——その瞬間、私の手のひらの中には、まだ顔も知らない、来月、私の娘と並ぶ、若い男性の手のひらの感触が、なぜか、ふと、伝わってくるような、ふしぎな手触りが、ありました。
それは、決して、ぎらつかない、しかし、確かに、こちらの手に、しっかりとした、誠実な重みを、お返ししてくれる、そんな手触りだったのです。
「この一対で、お願いいたします」
私と妻は、店主のほうを見て、深く、深く、頷きました。
店主は、その対の茶碗を、ご自分の作業台の上へと、両手で、低く、お運びになりました。
そして店主は、ふたつの茶碗を、それぞれ別の、薄い、白い和紙で、ていねいに、お包みになっていきました。
——同じ箱の中に、ふたつをまとめて、ぎゅっと押し込んだ、のでは、ありませんでした。
店主は、まず、大きめの茶碗を、薄い和紙で、ふんわりと、お包みになり、そして、その上から、もう一枚、厚い和紙を、ふわりと、お重ねになりました。
そして、まったく同じ手順で、小ぶりの茶碗も、薄い和紙、厚い和紙、と、二重に、ふんわりと、お包みになりました。
そして店主は、桐の小箱の中に、その二つの和紙の包みを、ふたつ、寄り添わせて、お入れになりました。
——ぴたりと押し付けて、お入れになった、のでは、ありませんでした。
桐の箱の中で、ふたつの和紙の包みのあいだに、ほんの、指一本ほどの、絶妙な隙間が、確かに、保たれていたのです。
それは——、店の壁の棚で、私が、はじめに息を飲んだ、あの「間合いの規律」と、寸分違わぬ、人差し指一本分の隙間でした。
そして、桐の箱は、深い藍色のふくさで、ていねいにお包みになり、店主は、両手で、低く、私と妻のあいだに、その包みを、そっと、捧げ持ってくださいました。
そして店主は、目をわずかに伏せたまま、ほんの一センチほど、軽く頭を下げ、こう、低く、付け加えてくださったのです。
「お嬢さまと、お婿さまの、これから、お重ねになる、何万回の、毎朝のご飯のために、お役に立ちますように」
——「ご結婚、おめでとうございます」では、ありませんでした。 ——「お幸せに、お暮らしくださいませ」でも、ありませんでした。
「これから、お重ねになる、何万回の、毎朝のご飯のために、お役に立ちますように」——。
そのひとことの中に、店主は、まだ、お会いになったこともない、若いある一組のご夫婦が、これから、何十年もの間、毎朝、毎朝、二つの茶碗にご飯をよそって、向き合って、ささやかな朝の食卓を、何万回も、何万回も、重ねてゆくであろう、その「重ねてゆく日々の朝そのもの」への、深い、深い敬意を、込めていてくださっていたのです。
——これが、「重ねてゆく朝への礼節」でした。
毎日、何組ものお客様に、夫婦茶碗をお選びいただいている店主。
それは、彼にとって、もう、何万回と、くりかえしてきた、極めて日常的な所作のはずです。
しかし、その何万回目の所作を、まるで、初めての、たった一組のご夫婦の、たった一組の対の茶碗のように——、その茶碗が、これから、何十年と、誰の毎朝の手のひらの中で、握り続けられていくのかを、確かに思い描いた上で、その日々の朝への深い敬意を、無言のうちに、ふたつの和紙の包みの、人差し指一本分の隙間の中に込めて、お渡しになる。
そして、私は、その瞬間、ようやく、はっきりと、分かったのでした。
——私と妻もまた、三十一年前の、結婚した日のあくる朝から、毎朝、ふたつの茶碗で、ご飯を、よそってきたのだ、と。
私たちもまた、決して、ぴたりと、寄り添いすぎることもなく、決して、離れすぎることもなく、ちょうど、指一本分の、絶妙な「間合い」を保ちながら——、何万回もの朝を、二つの茶碗で、ともに重ねてきたのだ、と。
そして、来月、家を出てゆく娘もまた——、その若い夫と、これから、新しい家で、新しい二つの茶碗で、新しい「間合い」を、ひと朝、ひと朝、ていねいに、丁寧に、育てていくのです。
私と妻は、店主に、深く、深く、頭を下げました。
そして、ふくさに包まれた、その小さな桐の箱を、私が、両手で、低く受け取り、引き戸を、ゆっくりと引いて、五月の下旬の、初夏の朝の路地に、再び戻りました。
街路樹の若葉は、その朝、いちばんの濃い緑のまま、初夏の風に、ふわりと揺れていました。
そして、私の隣を歩く妻の、その横顔の、ほんのわずかな微笑みの中には——、三十一年前の、私たちの最初の朝の食卓の、ふたつの茶碗のあいだの、人差し指一本分の隙間が、いまも、確かに、息づいているのが、見えるような、気がしたのです。
——陶器店とは、ただ、土の器を売る場所では、ない。 ——陶器店とは、ある一組のご夫婦の、これから、ご自分たちの手で、何十年と、毎朝、毎朝、ていねいに育てていく、二つの茶碗のあいだの、ささやかな「間合い」そのものを、確かに、お渡しくださる場所だったのです。
vibes は、目には見えません。
しかし vibes は、こうして、たった一対の夫婦茶碗の、人差し指一本分の隙間の中にすら、店主の何十年もの所作の重みとともに、確かに織り込まれ、来月の、娘の新しい家の、最初の朝の食卓の上に、ふわりと立ち上がり——、そして、それから、何十年もの朝へと、ひと朝、ひと朝、丁寧に重ねられてゆくのでしょう。
——空気は、二つの器のあいだの、たった指一本分の、ささやかな隙間の中にも、何十年もの、毎朝の食卓の「間合い」そのものを、そっとお預けしてしまう。
それこそが、看板にも、値札にも、決して書かれることのない、町外れの老舗の陶器店という店の、最も深い、最も静かな「透明な資産」だったのだ——。
私は、両手で、低く、その桐の小箱を抱えながら、隣を歩く、三十一年連れ添ってきた妻の、おだやかな横顔とともに、五月の下旬の、もうすぐ夏の気配を含み始めた、初夏の朝の路地の中で、ようやく気づいたのです。
——勝田耕司














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