五月の下旬のある水曜日の昼下がり、午後二時のこと。
陽差しがもう、初夏というよりは、夏のはじまりの明るさを、街全体に、ふわりと満たし始めた、ちょうどその時刻。
私はその日、めずらしく、妻と二人で、いつもの大通りから二本だけ路地のほうへと外れた、古い住宅街の一角を、ゆっくりと歩いていました。
——その日、私たちが向かっていたのは、ある一枚の着物を、お預けに行くためでした。
来月の十五日、私たちの娘が、結婚式を挙げます。
そしてその式で、妻は、娘の母として、黒留袖を着ることになっていました。
——その黒留袖は、妻のものではありませんでした。
それは、妻の母——、つまり、私の義母が、若い頃から、大切に、簞笥の奥にしまい続けてきた、一枚の黒留袖でした。
そして、その黒留袖を、義母が、最後に袖を通したのは、今から、ちょうど三十一年前。
——私と、妻との、結婚式の日。
その日、義母は、その黒留袖を着て、娘である妻を、私のもとへと送り出してくれたのです。
義母は、もう、五年ほど前に、静かに亡くなりました。
そして、その黒留袖は、義母の遺品を整理した日から、ずっと、私たちの家の簞笥の、いちばん奥に、白い畳紙に包まれたまま、眠り続けていたのです。
——あの留袖を、来月、私が着ます。
ある夜、妻が、夕食のあとに、ぽつりとそう言いました。
「お母さんが、私を、あなたのもとに送り出してくれた、あの留袖を着て、今度は、私が、娘を送り出したいの」
私はその夜、妻のその静かな決意の前で、ただ、深く頷くことしか、できませんでした。
しかし、三十一年。
三十一年もの間、簞笥の奥に眠り続けていた一枚の絹の着物が、はたして、来月の式に、そのまま袖を通せる状態であるのかどうか。
私たちには、まったく、分かりませんでした。
それで私たちはその日の午後、妻が若い頃から何度か、着物のことでお世話になってきたという、町外れのある一軒の老舗の呉服屋へと、その黒留袖を、白い畳紙ごと、両手でそっと抱きしめながら、訪ねたのでした。
商店街の路地の、ちょうど突き当たり。
私たちは、磨き込まれた木の引き戸の上に、深い紫紺の地に白く「呉服」とたった二文字、染め抜かれた、年代物の暖簾が、初夏のやわらかな風にふわりと揺れている、ある一軒の店の前に、立っていました。
開業から優に百年は超えているのでしょう。
私は引き戸の取手にそっと手をかけました。
引き戸が、長年使い込まれた木の、低く澄んだ音を立てて、ゆっくりと横へ滑った瞬間。
私たちを包み込んだのは、初夏の路地の若葉の薫りとは、まったく種類の違う、深く、しっとりと、そして、どこまでもやわらかな、ある——絹の、わずかに乾いた清らかな匂いと、簞笥の中で、長年、絹を守り続けてきた桐の木の、ほのかに甘い香りと、そして、樟脳の、かすかに鋭い、しかし、決して不快ではない、ある「絹を守る場」そのものの気配とが、ひとつに溶け合った、芳醇で、しかし、極めて静謐な、ひとつの空気の厚みでした。
そこに漂っていたものは、もはや、ただの「呉服屋の匂い」ではありませんでした。
それは、何百、何千という晴れの日の着物が、この店の中で、ひと畳み、ひと畳み、職人の指先によって、検められ、整えられ、そしてそれぞれの持ち主の、人生のいちばん大切な一日へと送り出されてきた、その「無数の晴れの日との出会い」そのものの気配だったのです。
そこには、ある一枚の着物が、ある一人の方の、人生のいちばん大切な一日を、確かにお支えするための、極めて謙虚で、しかし揺るぎない「規律」が、確かに、絹の繊維とともに息づいていたのです。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
店の奥の、畳敷きの座敷の上で、深い灰色の着物に、白い割烹着を重ねた、白髪の女性店主——おそらくは、この呉服屋の女将でしょうか——が、両手をきちんと膝の前で揃え、私たちのほうを見て、深く、深く、頭を下げてくれました。
年齢はおそらく、もう七十代の半ば。
声の音量は決して強くありませんでした。
むしろ、店内に漂う、絹と桐と樟脳の、静謐な気配を、わずかにも乱さない、絶妙な響き。
女将は、私たちを、店の奥の、広い畳敷きの座敷へと、両手でゆっくりとご案内くださいました。
そして、私たちが、座敷の上に腰を下ろした、その瞬間。
私は、その座敷の上の、ある一つの光景に、息を、深く飲んだのです。
——壁一面の、桐の簞笥の、その整然たる佇まい。
座敷の壁の左半分には、上から下まで、桐の簞笥が、合計、十二棹(さお)。
それぞれの簞笥の引き出しは、すべて、ぴたりと、寸分違わず、閉じられていました。
そしてその引き出しの取手の、真鍮の金具が、すべて、寸分違わず、同じ角度で、ふわりと、下を向いて、垂れ下がっていたのです。
——簞笥の取手の角度ひとつにも、絹を守る、ある慎ましさが宿る。
これこそが、私の名づける「絹の規律」でした。
そして、私の妻は、両手で低く抱きしめてきた、白い畳紙の包みを、座敷の上に、そっと横たえました。
女将は、その白い畳紙の包みを、しばらくの間、ただ静かに見つめていました。
そして女将は、私の妻に、こう、低く、お尋ねくださったのです。
「こちらのお着物は、どなた様の、思い出の、お着物で、いらっしゃいますか」
——「どんなお着物ですか」では、ありませんでした。 ——「何かご用でしょうか」でも、ありませんでした。
「どなた様の、思い出の、お着物で、いらっしゃいますか」——。
そのひとことの前で、私の妻は、しばらくの間、言葉を詰まらせていました。
そしてようやく、妻は、ぽつり、ぽつりと、こうお話ししたのです。
亡くなった母が、三十一年前、自分を送り出してくれたときに着た、黒留袖であること。 来月、その留袖を着て、今度は、自分が、娘を送り出したいと思っていること。 しかし、三十一年も、簞笥の奥に眠っていた絹が、はたして無事であるのかどうか、不安であること。
女将はその間、一度も、妻の言葉を遮りませんでした。
そして、妻の言葉が、すべて終わったあと、女将は、深く、深く、頷きました。
そしてここから先の、およそ十数分の間。
私はこれまで生きてきた中で、最も静かで、最も整然とした「着物を検める、所作」を、目にすることになったのです。
女将はまず、両手を、座敷の畳の上で、きちんと、清めるように、白い布巾で、ゆっくりと拭いました。
そして、白い畳紙の包みの結び紐を、まるで、生まれたばかりの命の産着をほどくかのような、深い、深い慎みをもって、ゆっくりとほどいていったのです。
畳紙が、ふわりと開かれた、その瞬間。
——三十一年もの間、桐の簞笥の奥で、静かに息を潜め続けてきた、一枚の黒留袖が、座敷の畳の上に、ゆっくりと、その深い、漆黒の絹を、広げました。
そしてその黒留袖の裾には、金糸と銀糸で、繊細に、しかし、決して、けばけばしくなく、松と、竹と、梅の、おめでたい意匠が、刺繍されていたのです。
女将は、その黒留袖を、座敷の上に、決して、ばさり、と広げたりはしませんでした。
——両手の指先で、絹の重みを、最後まで支えながら、まるで、眠っている人を起こさないように、ゆっくりと、ゆっくりと、絹の裾を、座敷の上に、開いていったのです。
そして女将は、その絹の表面を、ご自分の両手の指先で、ほんのわずかも、爪を立てることなく、優しく、優しく、撫でていきました。
絹の、縫い目の一本、一本。 裾の、刺繍の、糸の一筋、一筋。 そして、襟の、折り目の、ちょうど内側の、見えない部分まで。
女将の指先は、その三十一年分の絹の時間を、ひとつ、ひとつ、丁寧に、検めていったのです。
そして女将は、ゆっくりと顔を上げ、私の妻のほうを見て、こう、低く、お伝えくださいました。
「お着物は、たいへん、よい状態で、お眠りでございました。お母様が、毎年、きちんと、虫干しをなさって、大切にしまい続けてこられたのが、絹の艶を、見れば、はっきりと、分かります」
——その瞬間、私の妻の目が、わずかに、しかし確かに、潤んだのを、私は、隣の座敷で、確かに見たのです。
亡くなった義母が、五年前に亡くなるその日まで、毎年、毎年、誰に見せるためでもなく、ただ、ひとり、その黒留袖を、簞笥から取り出し、風を通し、絹の状態を、確かめ続けてきた——、その「義母の、何十年もの、見えない手入れの所作」そのものが、女将の指先によって、たった今、確かに、読み解かれ、そして、私の妻のもとへと、はっきりとした言葉で、届けられたのです。
——これが、「受け継がれる晴れ着への礼節」でした。
毎日、何枚もの着物を、お預かりし、検め、お返ししている女将。
それは彼女にとって、何千回、何万回と繰り返してきた、極めて日常的な所作のはずです。
しかしその何万回目の所作を、まるで「初めての、たった一枚の、三代をつなぐ晴れ着」のように、その絹が、これまでに、誰の手によって、どのように守られ、そして、これから先、誰の人生のいちばん大切な一日を支えていくのかを、確かに、絹の艶の中から読み解いた上で、その絹を守り続けてきた、過去の人の手への、深い敬意とともに、お返しする。
そしてこの所作とひとことの言葉とが、亡き母の黒留袖を着て、娘を送り出そうとしていた一人の母の身体の中に、何か、確かな、温かい、そして、母から娘へと受け継がれていく、ひとつの大きな絹の連なりを、染み込ませてくれていたのです。
女将は、その黒留袖を、もう一度、両手で低く、ゆっくりと、白い、新しい畳紙の上に、寸分違わぬ折り目で、畳み直してくださいました。
そして女将は、その畳紙の包みを、私の妻のほうへ、ただ、お返しした、のではありませんでした。
——お返しした、のではなく、「お母様から、お預かりしたものを、お嬢様へと、確かに、お渡しください」と、女将が確かにお託しくださった、そんな所作で、両手で、私の妻の両手のひらに、その絹の包みの重みを、ゆっくりと、移していかれたのです。
「来月の、よき日に、お母様も、きっと、お喜びで、いらっしゃいますね」
私たちはその日、女将に、深く、深く、頭を下げ、引き戸をゆっくりと引いて、五月の下旬の、初夏の昼下がりの路地に、再び戻りました。
街路樹の若葉は、その日いちばんの濃い緑のまま、初夏の風に、ふわりと揺れていました。
しかし、私の妻が、両手で低く抱きしめている、白い畳紙の包みの中には、三十一年前の、義母の、娘を送り出す日の祈りと、そして、来月の、妻の、娘を送り出す日の祈りとが、確かに、一枚の黒い絹の中に、寄り添うようにして、横たわっていたのです。
——呉服屋とは、ただ、着物を、預かり、検める場所では、ない。 ——呉服屋とは、ある一枚の絹に、何代にもわたって織り込まれてきた、母から娘への、見えない祈りそのものを、確かに読み解き、そして、次の代へとお渡しする場所だったのです。
vibes は、目には見えません。
しかし vibes は、こうして、たった一枚の黒留袖の、絹の艶の中にすら、亡き義母の、何十年もの見えない虫干しの所作の重みとともに、確かに織り込まれ、来月の、娘の結婚式の朝へと運ばれ、そして、妻が、その絹に、袖を通す、その瞬間に、再びふわりと立ち上がるのでしょう。
——空気は、母から娘へ、そして、その娘へと、何代にもわたって、受け継がれていく。
それこそが、看板にも、値札にも、決して書かれることのない、町外れの老舗の呉服屋という店の、最も深い、最も静かな「透明な資産」だったのだ——。
私は、白い畳紙の包みを、両手で低く、大切に抱きしめて歩く妻の、その穏やかな横顔の隣で、五月の下旬の、もうすぐ夏の気配を含み始めた、初夏の路地の中で、ようやく気づいたのです。
——勝田耕司













この記事へのコメントはありません。