六月のある木曜日の午後、午後三時のこと。
——その日の朝から、しとしとと降り続いていた六月の本降りの雨が、ちょうど、午後二時半の頃に、ふっと、ふっと、空のいちばん高いところから、しずかに、しずかに、止みはじめた、ちょうどその時刻。
雲のすき間からは、まだ、ほのかにはにかむような、淡い淡い金色の陽差しが、街路樹の若葉の上に、ふんわりと、こぼれはじめていたのです。
——梅雨入りの、ふと、ささやかな雨間。
私は、午後のアポイントまでの、ぽっかりと空いた一時間ほどを抱えながら、いつもの大通りから、ひと本だけ路地のほうへと外れた、古い住宅街の一角を、雨上がりの石畳のしっとりとした輝きの中を、ゆっくりと歩いていました。
——その雨間の午後、私が、いつもとは違う路地のほうへと、ふと、足を向けようと思い立ったのには、特に、はっきりとした理由は、ありませんでした。
ただ、雨上がりの、洗い清められた、しっとりとした午後の風の中に——、ふと、しずかに、しずかに、ある一本の細い路地のほうから、何か、もっと、深く、しっとりと、しかし、決してじっとりとはしない、ある、ふっくらと「あたたかな」気配が——、たった一筋、ふんわりと、流れてきていたのです。
——梅雨入りの、しっとりと冷たい雨上がりの午後の空気の中に、ふと、ふっくらと「あたたかな」気配が混じる、というのは、まったく不思議なことでした。
そして、もう一つ、私の耳の中には——、ふと、しずかに、しずかに、低く、低く、何か、金属と、金属の、おだやかな、おだやかな、おとぎ話のような、ささやかなおと——、チン、チン、と、ほんの数秒に一度だけ、ふんわりと、鳴り続けている、その小さな音が、ふと、お聞こえになっていたのです。
——あの、ふっくらとしたあたたかな気配と、おだやかなチンチンと鳴る音の先に、どんな店があるのだろう。
私はそう思い、ひと本だけ路地のほうへと、ゆっくりと足を向けたのです。
そして、いくつかの路地を曲がった、その先で——、私は、ある一軒の、小さな店の前に、立っていたのです。
——鍛冶屋。
商店街の路地の、ちょうど突き当たり。
その小さな店の、磨き込まれた古い木の引き戸は——、もう、すでに、ほんのり、半分ほど、横へとお開けになり、その引き戸の奥のほうから——、深い、深い、赤橙色の、ふっくらとした、生きているような火の灯りが、ふんわりと、こぼれていたのです。
そして、その引き戸のすぐ上の鴨居のところには、深い、深い、ほのかに鉄錆色の地に、白く「鍛冶」とたった二文字、染め抜かれた、年代物の暖簾が、雨上がりの、しっとりとした、しかし、その火の灯りに、ふんわりと温められた風に、おだやかに揺れていました。
開業から、優に百年は、超えているのでしょう。
私は、その半開きの引き戸の前で、しばらく、ふと、足を止めていました。
そして、引き戸を、ほんの数十センチほど、さらに横へとお開けになりました。
引き戸が、長年使い込まれた木の、低く澄んだ音を立てて、ゆっくりと横へ滑った瞬間。
私を包み込んだのは、雨上がりの路地の、しっとりとした、初夏の青い若葉の匂いとは、まったく種類の違う、深く、しっとりと、しかし、決して重くはない、ある——磨き上げられた古い鉄の、ほのかに金属的な、しかし、決して冷たくはない、しっとりとした匂いと、燃えている備長炭の、深い深い、ふっくらと熟成した、芳醇な木炭の匂いと、そして、長年、何百、何千の刃物が、職人の指先と、火と、水とのあいだで、ひと振り、ひと振りと、お打ち上げになり続けてきた、その「ひと生の道具を生み出す場」そのものの、芳醇で、しっとりと落ち着いた、ふっくらと、あたたかい木炭と鉄の気配とが、ひとつに溶け合った、深く、しかし、極めて、清らかな、ひとつの空気のあたたかさでした。
そこに漂っていたものは、もはや、ただの「鍛冶屋の匂い」では、ありませんでした。
それは、何百、何千の、ある一人のご家庭の、毎朝、毎朝のお台所で、ご自分の指先の中で、もう、三十年、四十年と——、ご自分のご家族のお食事のために、お野菜を、お魚を、お豆腐を、おだやかに、おだやかに、お切り続けてこられた、無数の包丁の。
そして、何百、何千の、ある一人の、田畑の、毎朝、毎朝の畝の上で、ご自分の指先の中で、もう、二十年、三十年と——、稲を、麦を、ご自分の畑のお野菜を、おだやかに、おだやかに、お刈り続けてこられた、無数の鎌の。
そして、何百、何千の、ある一人の木工師の、毎朝、毎朝の作業台の上で、ご自分の指先の中で、もう、四十年、五十年と——、ご自分のお弟子に、お引き継ぎになりたいと、深く深く、お願いになっていらした、たった一本のお鑿の——。
その、ひとつ、ひとつの、それぞれの、お一人、お一人の「何十年もの間、ご自分のお手と、ぴたりと一体となって、お働き続けたい、ひと生のお道具」のために、この店の中で、ひと振り、ひと振りと、丁寧に、お打ち上げになり続けてきた、その「無数の、ひと生のお手との出会い」そのものの気配だったのです。
そこには、ある一人の方の、ご自分の指先と、ぴたりと、何十年もの間、ひとつになって、お働き続けてくださる、たった一本のお道具を、確かに、ふんわりとお作り上げになるための、極めて謙虚で、しかし揺るぎない「規律」が、確かに、ふっくらと、深い赤橙色に灯る火床の中に、息づいていたのです。
「いらっしゃいませ」
店の真ん中の、磨き込まれた檜の作業台の前で——、深い藍色の作務衣の上に、長い革の前掛けを締めた、白髪のご高齢の店主が、両手の指先を、ご自分の左腰の手ぬぐいで、ごく軽くお拭きになりながら、私のほうを見て、深く頭を下げてくれました。
年齢はおそらく、もう七十代の半ばに、近いでしょうか。
声の音量は決して強くありませんでした。
むしろ、店内の、ふっくらとあたたかい木炭の気配と、ふと、低く、低く、しずかに鳴り続けている、店主の小さな小刀の、おだやかな金属のチンチンと響くおとを、わずかにも乱さない、絶妙な響き。
——そして、店主は、ご自分の作業台の上で——、いま、まさに、お作り上げの、最後の最後の、お仕上げの途中で、いらしたのです。
その作業台の上には、ふっと、磨き上げられた、深い、深い、銀色の包丁の刃が——、まだ、ほんのり、ふっと、温もりを保ったまま、しずかに、しずかに、横たわっていたのです。
私は店内の中ほどに、ゆっくりと足を進めました。
そしてそこで、私は、息を、深く飲んだのです。
——店のいちばん奥の、磨き込まれた古い石組みの、深い、深い火床の中に——、しずかに、しずかに、灯り続けている、無数の、深い赤橙色の備長炭。
その火床の中には——、私の両手のひらでは、決して、お抱きしきれないほどの、無数の備長炭が、ふっくらと、ふっくらと、お灯り続けていらしたのです。
そして驚くべきは——、その無数の備長炭の、ひと炭、ひと炭の灯りが、すべて、寸分のずれもなく、まったく、同じ深さの「ふっくらと、ふくらんだ、おだやかな赤橙色」で、お灯りになっていらした、ということでした。
——どの一炭も、決して、白くまで、灼けすぎていない。
——どの一炭も、決して、まだ青く、新しすぎる火でもない。
その、無数のひと炭、ひと炭の灯りは——、寸分のずれもなく、すべて、同じ、ふっくらと、ふくらんだ、絶妙な「赤橙色」の深さで——、ぴたりと、しずかに、しずかに、息づいていらしたのです。
その火床の左の脇には、まだ、何も、お灯りになっていない、しずかな備長炭が、整然と、寸分違わぬ間隔で、ぴたりと、お並びになっていらしました。
そして、その火床の右の脇には——、ふっと、もう、お役目をお終えになり、しずかに、しずかに、灰となりつつある備長炭が、整然と、寸分違わぬ間隔で、ぴたりと、お休みになっていらしました。
——まだ、灯らぬ炭。
——いま、灯っている炭。
——もう、灰になりつつある炭。
その「三つの命の段階」の、それぞれの位置と、それぞれの間隔とが——、寸分のずれもなく、ぴたりと、お整えになっていたのです。
そして、店主は、ご自分の右手の長い鉄の火箸で、ふっと、寸分も急がず、ある一つの、まだ灯らぬ炭を、お持ち上げになり——、火床の中の、まさに、ある一点の、ほんのわずかに、火の灯りが、ふっと、弱っていらしたところへと、ふんわりと、お置きになりました。
——その、お置きになった瞬間。
それまで、ほんの、わずかに弱っていらした、その一点の火の灯りは——、ふっと、ふっくらと、新しい炭の縁から、しずかに、しずかに、ふたたび、深い赤橙色の灯りを、ふっくらとお取り戻しになっていらしたのです。
——百年もの間、決して、お消えになることのなかった、火床の火。
それが、店主のお手の中で、こうして、毎日、毎日、ひと炭、ひと炭の絶妙なご加減で、しずかに、しずかに、お守り続けされてきたのです。
——たった、火床の中の、ひと炭、ひと炭の絶妙な深さの中にも、規律が宿る。
これこそが、私の名づける「火種の規律」でした。
そして、店主は、ふたたび、作業台のほうへと、ふんわりと、お向き直りになりました。
そして、ご自分の作業台の上の、まだ、ほんのり、温もりを保ったままで、しずかに、しずかに、横たわっていた、ある一本の銀色の包丁の刃を——、ご自分の両手で、低く、まるで、生まれたばかりの幼な子の、まだ、しわひとつ知らないほっぺを、両手で、おだやかに、お支えになるかのように——、ふんわりと、ご自分の指先で、お持ち上げになりました。
そして、ご自分の左腰の、深い藍染の、ひと枚の小さな手ぬぐいを、両手の指先で、お取りになりました。
そして、その藍染の手ぬぐいで——、その包丁の刃の、いちばん、よく光るところを、ふっと、ひと拭き、お拭きになっていらしたのです。
——ただ、ひと拭き。
寸分も急がず、しなやかに、ふんわりと、その手ぬぐいは——、刃の、いちばん端のところから、刃の、いちばん根もとのところまで——、寸分のずれもなく、ぴたりと、ひと往復、お滑らせになっていったのです。
そして、その、たった、ひと拭きの後——、その包丁の刃は、もう、深い、深い、深い、銀色の鏡のような輝きを、ふっくらと、お抱きになっていらしたのです。
——刃を、ただ、お磨きになった、のでは、ありませんでした。
——汚れを、ただ、お拭き取りになっていらした、のでも、ありませんでした。
店主は、その包丁の刃の、たった、ひと拭きの中に——、これから、その包丁が、何十年もの間、毎朝、毎朝のお台所で、誰のお手のひらの中で——、何万回、何十万回と、お野菜を、お魚を、お豆腐を、おだやかに、おだやかに、お切り続けてゆくのかを、確かに、思い描いた上で——、その「ひと生、ご自分のお手とぴたりと一体になる、たった一本のお道具」への、深い、深い敬意を、無言のうちに、藍染の手ぬぐいの、たった、ひと往復のなめらかさの中に込めて、お磨きになっていらしたのです。
——これが、「ひと生使われる手への礼節」でした。
毎日、何本もの刃物を、お打ち上げになっていらっしゃる店主。
それは、彼にとって、もう、何万回と、くりかえしてきた、極めて日常的な所作のはずです。
しかし、その何万回目の所作を、まるで、初めての、たった一本の、たった一人のお客さまの、これから、何十年もの間、ご自分のお手と、ぴたりとひとつになって、お働き続けてくださる包丁のように——、その一本が、これから、誰のお台所の、誰のお手のひらの中で、何万回、何十万回と、お切り続けてゆくのかを、確かに、思い描いた上で——、その「ひと生、ご自分のお手とぴたりとひとつになるお道具」への、深い、深い敬意を、無言のうちに、藍染の手ぬぐいの、たった、ひと往復の中に込めて、お磨きになる。
そして、私は、その瞬間、ようやく、はっきりと、分かったのでした。
——人の手と、お道具と、いうものは——、本来、決して、別々のものでは、ない。
ある一本のお道具を、何十年もの間、毎日、毎日、ご自分のお手のひらの中で、お使い続けてゆくと——、その、お道具と、お手とは——、いつしか、ふっと、ぴたりと、ひとつの「もう、ご自分の指先の延長」になってゆくのです。
そして、その「ご自分の指先の延長」になるための、いちばん、最初の、ささやかな、しかし、確かなひと拭きの中には——、まったく、お会いになったこともない、ある一人の、町外れの鍛冶屋の店主の、藍染の手ぬぐいの、たった、ひと往復の重みが、確かに、お流れになっていらしたのです。
そして、その「人の手とお道具とが、ぴたりとひとつになる、ささやかな、しかし、確かなご縁」のために——、誰かが、毎日、毎日、しずかに、しずかに、火床の中の、ひと炭、ひと炭の絶妙な赤橙色の中に、ご自分の何十年もの所作の重みを、お預けくださっていた。
私は、その日、何も、お買い物を、いたしませんでした。
ただ、ただ、火床の中の、無数の備長炭の、ふっくらと、ふくらんだ、絶妙な赤橙色の深さと、店主の藍染の手ぬぐいの、たった、ひと往復の、ふっくらとしたなめらかさを、目の中に、確かに、お預かりさせていただいただけで、十分でした。
そして、店主は、私のほうを見て、こう、低くおっしゃられたのです。
「火床の中の、この火は、開業の年から、もう、百二十年もの間、決して、お消えになったことが、ございません。先代の、そのまた先代の、そのまたずっと前の代の店主から、ひと炭、ひと炭と、お引き継ぎいただいて、いまも、こうして、しずかに、灯り続けてくださっております」
——「火床の中の、この火は、もう、百二十年もの間、決して、お消えになったことが、ございません」。
そのひとことの中に、店主は、ご自分の何十年もの、毎日、毎日のひと炭、ひと炭の絶妙な火加減の中に——、確かに、ご自分のはるか前の代の、決して、お会いになることもなかった、無数の先代の店主たちの、何十年もの所作の重みを、しずかに、しずかに、お引き継ぎになっていらした、その「目には決して見えない、何代もの所作のご縁」を——、ふっと、私の前で、お明かしくださっていらしたのです。
私は、深く深く頭を下げ、半開きのままの引き戸を、ゆっくりと閉め直して、六月の、もう、ふたたび、ぽつ、ぽつ、と、新しい雨粒が、降りはじめようとしている、雨間の終わりかけの路地に、再び戻りました。
——鍛冶屋とは、ただ、刃物を、お打ち上げになる場所では、ない。
——鍛冶屋とは、何代もの先代の店主たちの、何十年、何百年もの間、決して、お消えになることのなかった、ふっくらと深い赤橙色のひと炭、ひと炭の絶妙な火加減の中に、これから、ある一人の方のお手と、ぴたりと、ひと生、ひとつになる、たった一本のお道具のための、深い、深い、敬意を、たった、藍染の手ぬぐいの、ひと往復の中に込めて、お預けくださる場所だったのです。
vibes は、目には見えません。
しかし vibes は、こうして、たった一本の包丁の刃の、たった、ひと拭きの中にすら、店主の何十年もの所作の重みと、何代もの先代の店主たちの、決して、お消えになることのなかった火床の火の重みとが、ともに織り込まれ——、これから、ある一人の方の、毎朝、毎朝のお台所の指先の中に、何万回、何十万回と、しずかに、しずかにお流れになり続けてゆくのでしょう。
——空気は、何代もの先代の店主たちの、決して、お消えになることのなかった火床の火の重みを——、たった一本の包丁の刃の、たった、ひと拭きの中に、しずかに、しずかにお預けしてしまう。
それこそが、看板にも、値札にも、決して書かれることのない、町外れの老舗の鍛冶屋という店の、最も深い、最も静かな「透明な資産」だったのだ——。
私は、まだ、私の両手のひらに、しずかに、しずかに残り続けている、火床のふっくらとしたあたたかさと、もう、ふたたび、ぽつ、ぽつ、と、降りはじめた六月の雨粒の、しっとりとした冷たさとを、ご一緒にお抱きしながら、六月の梅雨入りの、雨間の終わりかけの、しずかな路地の中で、ようやく気づいたのです。
——勝田耕司













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