六月のある金曜日の朝、午前八時半のこと。
——その朝の七時頃まで、しとしとと降り続いていた六月の雨が、ちょうど、午前八時の頃に、ふっと、ふっと、空のいちばん高いところから、しずかに、しずかに、止みはじめた、ちょうどその時刻。
雨上がりの、洗い清められた、しっとりとした朝の空気は、もう、夏のはじまりの、ほんのり、ふんわりとした湿気を、確かに、抱えはじめていらしたのです。
——六月の、しっとりとした雨上がりの朝。
私は、午前中のアポイントまでの、ぽっかりと空いた一時間半ほどを抱えながら、いつもの大通りから二本だけ路地のほうへと外れた、古い住宅街の一角を、ゆっくりと、歩いていました。
——その朝、私が、いつもとは違う路地のほうへと、ふと、足を向けようと思い立ったのには、特に、はっきりとした理由はありませんでした。
ただ、雨上がりの、しっとりと洗い清められた、初夏の朝の風の中に——、ふと、しずかに、しずかに、ある一本の細い路地のほうから、何か、もっと、深く、しっとりと、まろやかに、ほのかに穀物のような、しかし、決して、不快ではない、ふっくらと甘い、深い、深い、発酵したお米のような、不思議な匂いが——、たった一筋、ふんわりと、流れてきていたのです。
——あの、ふっくらと、ほのかに穀物のような、奥行きのある匂いの先に、どんな店があるのだろう。
私はそう思い、ひと本だけ路地のほうへと、ゆっくりと足を向けたのです。
そして、いくつかの路地を曲がった、その先で——、私は、ある一軒の、小さな店の前に、立っていたのです。
——表具師の工房。
商店街の路地の、ちょうどいちばん奥のあたり。
その小さな工房の、磨き込まれた木の引き戸は——、もう、すでに、ほんのり、半分ほど、横へとお開けになり、その引き戸の奥のほうから——、しずかに、しずかに、深い、深い、ほのかに穀物のような、しっとりとあまい匂いが、ふんわりと、こぼれていたのです。
そして、その引き戸のすぐ上の鴨居のところには、深い、深い、ほのかに、墨と檜のしずかな色合いの地に、白く「表具」とたった二文字、染め抜かれた、年代物の暖簾が、雨上がりの、しっとりとした朝の風に、ふんわりと揺れていました。
開業から、優に百年は、超えているのでしょう。
私は引き戸の取手にそっと手をかけました。
引き戸が、長年使い込まれた木の、低く澄んだ音を立てて、ゆっくりと横へ滑った瞬間。
私を包み込んだのは、雨上がりの路地の、しっとりとした、初夏の青い若葉の匂いとは、まったく種類の違う、深く、しっとりと、しかし、決して重くはない、ある——磨き上げられた檜と杉の作業台の、ほのかに、落ち着いた木の匂いと、十年、二十年、三十年と、しずかに、しずかに熟成されてきた、深く、深く、まろやかな、ほのかに、お米と、お酒との中間のような、芳醇な「古糊」のしずかな匂いと、そして、長年、何百、何千の、ある一人の方の、もう、何百年も昔の、まったくお会いになったこともない描き手の、たった、ひと筆の、ひと墨の、ひと画の、ひと色の、ささやかな、しかし、確かな魂を——、この工房の中で、ひと幅、ひと幅と、丁寧にお引き継ぎになり続けてきた、その「ひと筆を、何百年、お預かりする場」そのものの、芳醇で、しっとりと落ち着いた木の気配とが、ひとつに溶け合った、深く、しかし、極めて、清らかな、ひとつの空気の厚みでした。
そこに漂っていたものは、もはや、ただの「表具師の工房の匂い」では、ありませんでした。
それは、何百年も昔の、もう、まったく、お会いになることもない、ある一人の描き手の、その方の人生のいちばん深いところから、ふと、お預けくださった、ひと筆。
ひと墨の、ささやかな滲み。
ひと画の、絶妙なかすれ。
その、ひとつ、ひとつの、それぞれの、もう、お会いになることもない、お一人、お一人の「目には、見えない、描き手のお魂」を——、この工房の中で、ひと幅、ひと幅と、これから、何百年と、しずかに、しずかに、お預かりし続けるための、極めて謙虚で、しかし揺るぎない「規律」が、確かに、深く、深く、まろやかに熟成された古糊の、ひと瓶、ひと瓶の中に、息づいていたのです。
「いらっしゃいませ」
工房の真ん中の、磨き込まれた檜の長い作業台の前で——、深い藍色の作務衣の上に、深い紺色の細いリボンを、首から下げた、白髪のご高齢の店主が、両手の指先を、ご自分の白い手ぬぐいで、ごく軽くお拭きになりながら、私のほうを見て、深く頭を下げてくれました。
年齢はおそらく、もう七十代の半ばに近いでしょうか。
声の音量は決して強くありませんでした。
むしろ、工房に漂う、深く、深く熟成された古糊の、まろやかな気配を、わずかにも乱さない、絶妙な響き。
——そして、店主は、ご自分の作業台の上で——、いま、まさに、ある一幅の、まだ、お作り上げの途中の、ある掛け軸の、ふっくらと、ご自分の本紙を、ご自分のお裏打ちの和紙の上に、お重ねになる、その所作の途中で、いらしたのです。
その本紙の上には——、ふっと、深い、深い墨で、しなやかに、おだやかに、お書きになったらしい、ある一筋の「松」というひと文字が、深く、深く、しずかに、しずかに横たわっていたのです。
私は工房内の中ほどに、ゆっくりと足を進めました。
そしてそこで、私は、息を、深く飲んだのです。
——壁ぎわの、磨き上げられた檜の長い棚の上に、整然と並べられた、何十もの、深い、深い、淡い柿渋色の、ふっくらとした素焼きの瓶。
工房の壁ぎわの、長い、長い、白木の棚の上には、それぞれ、まったく同じ大きさの、ふっくらとした素焼きの瓶が、合計、二十数個、ぴたりと、寸分違わぬ間隔で、整然と並んでいたのです。
そして、それぞれの瓶の、ちょうど真ん中のあたりには、ごく小さな、白い和紙の札が、ぴたりと、お貼りになっていらしたのです。
そして、私は、その小さな和紙の札を、ゆっくりと、目で追っていきました。
「平成五年」
「平成十二年」
「平成十八年」
「平成二十五年」
「令和元年」
「令和五年」——
ある瓶には、二〇〇〇年代の年号が。
ある瓶には、一九九〇年代の年号が。
そして、いちばん奥には、いちばん深く熟成された、もう、二十年、三十年、いや、もしかすると、四十年以上も前の年号の瓶も——。
そして、私は、もう一つ、はっとしました。
——その小さな和紙の札には、ただ、お糊をお仕込みになった年号だけが、お書きになっていたのです。
ある瓶のお糊は、もう、十年、二十年、三十年と、しずかに、しずかに、ご自分の素焼きの瓶の中で、熟成されていらしたのです。
——古糊。
「古糊」とは、お米のお糊を、ご自分の素焼きの瓶の中で、十年、二十年、三十年と、しずかに、しずかに、熟成させていく「お糊の宝物」のことでした。
そして、その熟成の年数が、長ければ長いほど——、その古糊の中には、ふっくらと、しなやかに、ふんわりと、和紙の繊維に、しずかに、しずかに浸透していかれる、絶妙な「お粘り」が、深く、深く、宿っていく、というのです。
そして驚くべきは——、その二十数個の素焼きの瓶の、ふっくらとした、淡い柿渋色の、ちょうど真ん中の高さに——、白い和紙の小さな札の、墨書きされた年号の、いちばん上の線と、いちばん下の線とが、寸分のずれもなく、ぴたりと、すべて、同じ高さで、お並びになっていらした、ということでした。
——平成五年の瓶も。
——令和五年の瓶も。
それぞれの古糊の、熟成の年数は、まったく違うのに——、その「お仕込みになった年号」の墨書きの位置と高さとが、すべて、寸分のずれもなく、ぴたりと、お揃えになっていらしたのです。
——三十年もの熟成の重みも。
——たった一年もの、新しいお糊の若さも。
決して、お互いの「お働きの大きさ」を、競わない。
それぞれの瓶のお糊は——、ご自分の素焼きの瓶の中で、ご自分の熟成の年数に応じた、絶妙な「ひと幅のお仕事」を、しずかに、しずかに、お待ちになっていらしたのです。
——たった、素焼きの瓶の、ふと、墨書きの年号の高さの中にも、規律が宿る。
これこそが、私の名づける「古糊の規律」でした。
そして、店主は、ふたたび、作業台のほうへと、ご自分のお身体を、ふんわりと、お向き直りになりました。
そして、ご自分の作業台の左の脇に、ふっと、両手でお取り出しになった、ある一つの、深い、深い古糊の瓶——、その瓶のお和紙の札には、「昭和六十年」と、深く、深く熟成された墨で、お書きになっていたのです。
——もう、四十年以上もの間、ご自分の素焼きの瓶の中で、ふっくらと、しっとりと、しずかに、しずかに、お熟成になっていらした、深い、深い古糊。
そして、店主は、その昭和六十年の古糊の瓶の中から、ふっくらとした、淡い、淡い、まろやかなクリーム色の古糊を、ご自分の小さな竹のへらで、ふんわりと、お一筋、お取り出しになりました。
そして、その古糊を、ご自分の作業台の上の、白い磁器の皿の上に、しずかに、しずかに、お置きになりました。
それから、店主は、ご自分の右手の、長い、しなやかな、ふっくらとした、白い羊毛の刷毛を、両手の指先で、ふんわりとお取りになりました。
そして、その刷毛のさきを、ふっと、皿の上の古糊の中に、ふんわりと、しっとりと、お含ませになりました。
そして、店主は——、何度か、深く、しずかに、ご自分の呼吸を、お整えになっていらしたのです。
そして、ふっと、息を、お止めになりました。
そして、その瞬間。
店主は、ご自分の右手の刷毛を、作業台の上の、ある一幅の、薄い、薄い、淡いクリーム色の和紙の上に、寸分も急がず、しなやかに、ふんわりと、お当てになっていらしたのです。
そして、その刷毛は——、その和紙の、いちばん端から、いちばん向こうの端まで——、寸分の力みも、寸分のためらいもない、絶妙な、ふっくらとしたなめらかさで、しずかに、しずかに、ひと撫で、お滑らせになっていったのです。
——刷毛のさきの古糊は、和紙の繊維のいちばん奥の奥のところに、しずかに、しずかにお染み込み——、しかし、決して、和紙の表のところまでは、お滲み出ない。
ただ、深い、深い和紙の繊維の奥底に、ふっくらと、しっとりと、お染み込んでいくだけ。
——古糊を、ただ、和紙にお当てになった、のでは、ありませんでした。
——和紙を、ただ、お塗りになっていらした、のでも、ありませんでした。
店主は、その昭和六十年の、もう、四十年以上もの熟成の古糊の、たった、ひと撫での中に——、これから、その本紙の上の、ある一人の方の、もう、お会いになることもない、ある一筋の「松」というひと文字の墨が、これから、何十年、何百年もの間、ご自分の薄い、薄い和紙の繊維と、ぴたりと、ひとつになって、しずかに、しずかにお保たれていく、その「もう、お会いになることもない、お一人の描き手のお魂」を——、確かに、ご自分の刷毛の、たった、ひと撫での重みの中に、お預けくださっていらしたのです。
——これが、「ひと筆を残された方への礼節」でした。
毎日、何幅もの掛け軸を、お作り上げになっていらっしゃる店主。
それは、彼にとって、もう、何万回と、くりかえしてきた、極めて日常的な所作のはずです。
しかし、その何万回目の所作を、まるで、初めての、たった一幅の、たった一人の、もう、お会いになることもない描き手の、ひと筆のように——、その一幅が、これから、何十年、何百年もの間、誰の床の間の、誰の目の前で、しずかに、しずかにお眺めになっていただくのかを、確かに、思い描いた上で——、その「もう、お会いになることもない、お一人の描き手のお魂」への、深い、深い敬意を、無言のうちに、ご自分の刷毛の、たった、ひと撫での重みの中に込めて、お塗りになる。
そして、私は、その瞬間、ようやく、はっきりと、分かったのでした。
——人の、本当にたいせつなひと筆は——、決して、その方が、お亡くなりになっても、お消えにはならない。
ある一人の描き手の、ご自分の人生のいちばん深いところから、ふと、お預けくださった、たった、ひと筆は——、もう、お会いになることもなくなった後も、ご自分の刷毛と、ご自分の和紙と、ご自分の古糊との、ふと、ひと撫でを通じて——、これから、何十年、何百年もの間、しずかに、しずかにお流れになり続けていらしたのです。
そして、その「もう、お会いになることもない、お一人の方のひと筆」を——、決して、たった一筆も、お消しにすることなく——、何十年、何百年と、しずかに、しずかにお預かりくださっていらしたのは——、まったくお会いになったこともない、ある一人の表具師の、ある一日の、四十年以上もの熟成の古糊の、たった、ひと撫での重みだったのです。
そして、その「目には、見えない、何百年もの、ひと筆のお預かり」のための、たった、ひと撫での所作こそが——、もっとも、しずかな、しかし、もっとも、確かな、人と人との、何百年を超えた支え合いの、いちばん深い柱だったのです。
私は、その日、何も、お買い物を、いたしませんでした。
ただ、ただ、店の壁ぎわの、二十数個の素焼きの瓶の、ふっくらと、しずかに、熟成された古糊の年号の、寸分のずれもない高さと、店主の刷毛の、四十年以上もの古糊を含んだ、たった、ひと撫での、ふっくらとしたなめらかさを、目の中に、確かに、お預かりさせていただいただけで、十分でした。
そして、店主は、私のほうを見て、こう、低くおっしゃられたのです。
「古糊は、湿気のいちばん多い梅雨の時期にこそ、ご自分のお粘りを、いちばん深く、お働きになります。和紙の繊維の中に、しずかに、しずかにお染み込んでゆくための、絶妙な湿り気を、いまの六月の空気そのものが、ご一緒に、お運びくださるのでございます」
——「古糊は、湿気のいちばん多い梅雨の時期にこそ、ご自分のお粘りを、いちばん深く、お働きになります」。
そのひとことの中に、店主は、ご自分の何十年もの、毎日、毎日のひと撫での中に——、確かに、六月の梅雨入りそのものの、しっとりとした湿気を、ご自分の刷毛と、ご自分の古糊との、お味方として、しずかに、しずかにお迎えくださっていらした、その「目には決して見えない、季節のご縁」を——、ふっと、私の前で、お明かしくださっていらしたのです。
私は、深く深く頭を下げ、引き戸を、ゆっくりと閉め直して、六月の、雨上がりの、もう、しっとりと、夏のはじまりの湿気を、確かに含み始めた、しずかな路地に、再び戻りました。
街路樹の若葉は、まだ、雨上がりの、しっとりとした水滴を、いくつも、いくつも、葉の縁に、お抱きになりながら、六月のしずかな朝の風に、ふんわりと揺れていました。
そして、まだ、私の鼻先には——、たった今、店主の刷毛から、ふっと、和紙の繊維の奥底へと、お染み込んでいかれた、四十年以上もの熟成の古糊の、ほのかに穀物のような、まろやかな匂いが、しずかに、しずかにお流れになり続けていたのです。
——表具師の工房とは、ただ、掛け軸を、お作り上げになる場所では、ない。
——表具師の工房とは、もう、お会いになることもない、ある一人の描き手の、ご自分の人生のいちばん深いところから、ふと、お預けくださった、たった、ひと筆の墨を——、これから、何十年、何百年もの間、何十年もの熟成の古糊の、たった、ひと撫での重みの中に込めて、しずかに、しずかにお預かりくださる場所だったのです。
vibes は、目には見えません。
しかし vibes は、こうして、たった一幅の掛け軸の、和紙の繊維の奥底の、ふと、ひと撫での古糊の重みの中にすら、店主の何十年もの所作の重みと、もう、お会いになることもない、ある一人の描き手の、たった、ひと筆の墨の重みとが、ともに織り込まれ——、これから、何百年もの先の、まだ、お生まれにもなっていない、ある一人の方の目の前の床の間の中に、しずかに、しずかにお流れになり続けてゆくのでしょう。
——空気は、もう、お会いになることもない、ある一人の描き手の、たった、ひと筆の墨の重みを——、四十年以上もの熟成の古糊の、たった、ひと撫での中に、しずかに、しずかにお預けしてしまう。
それこそが、看板にも、値札にも、決して書かれることのない、町外れの老舗の表具師の工房という店の、最も深い、最も静かな「透明な資産」だったのだ——。
私は、まだ、私の鼻先に、しずかに、しずかにお流れになり続けている、四十年以上もの熟成の古糊の、ほのかに穀物のような、まろやかな匂いとともに、六月の雨上がりの、もう、しっとりと、夏のはじまりの湿気を、確かに含み始めた、しずかな路地の中で、ようやく気づいたのです。
——勝田耕司













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