五月の下旬のある月曜日の昼下がり、午後二時のこと。
陽差しがもう、初夏というよりは、夏のはじまりの明るさを、街全体に、ふわりと、しかし確かに満たし始めた、ちょうどその時刻。
私はその日、私の生まれ育った、町外れの実家へと、車で、両親を、迎えに行きました。
そして、そこから、両親を、車の後部座席にお乗せして、もう何年も前から、その存在だけは知っていた、隣町の、ある一軒の、老舗の写真館へと、ゆっくりとした速度で、お運びすることになっていたのです。
——その日、両親と私が、その老舗の写真館へと向かったのには、ひとつの、はっきりとした理由がありました。
その三日前の夕方のこと。
私のところに、母から、電話がありました。
母の声は、いつも通り、極めておだやかでした。
「来月の十五日に、初孫の式があるでしょう」
「ええ」
「父さんとね、ちょっと、相談をしまして」
母は、しばらく、何か言いよどんだあと、ゆっくりとこう続けたのです。
「もう、何十年も、父さんと、二人だけの写真というものを、ちゃんと、撮ってもらった、ことが、なくて。家族で撮ったり、孫と撮ったりは、たくさん、あるんだけれども、父さんと、わたしと、二人だけのものは、ほとんど、なくて……」
そして母は、こう付け加えました。
「いまのうちに、一枚、ちゃんとしたものを、撮ってもらっておきたいの。式の前に。父さんも、ようやく、ネクタイが、結べるくらいには、なりましたから」
——そのひとことの中に、母の、何十年もの、控えめな、しかし、確かな深さの、覚悟のようなものが、確かに、宿っているのを、私は、その電話の向こうから、はっきりと感じ取っていたのです。
二か月にわたる、父の入院。 そのあいだ、毎日、毎日、一日も欠かさず、母は、病院に、通い続けていました。
しかし、私の前で、母は、ただの一度も、「不安だ」とも、「つらい」とも、言いませんでした。
ですから、その電話の母の声の中に、はじめて、私は、母が、確かに、ある「いまのうちに」というひとことを、ご自分の中に、抱えていらっしゃるのだ、ということを、知ったのです。
その月曜日の昼下がり、私は両親を後部座席にお乗せして、隣町の、商店街の路地の、ちょうど真ん中あたりへと、車をゆっくりと走らせていきました。
そして、車を、近くの駐車場にとめ、私と、母と、父は、初夏の昼下がりのやわらかな陽差しの中を、三人で、ゆっくりと歩いていきました。
父の歩みは、まだ、決して、速くは、ありませんでした。
母は、父のほんの半歩うしろを、ご自分の右手を、父の左の肘の、ちょうど内側に、そっと添えながら、いっしょに歩いていました。
そして、いくつかの細い路地を、曲がった、その先で——、私たちは、ある一軒の、小さな店の前に、立っていたのです。
——写真館。
磨き込まれたガラスの引き戸の上には、深い茶色の地に、白く「写真館」とたった三文字、書かれた、ずいぶんと年代物の小さな看板が、初夏の昼下がりの風に、ふわりと揺れていました。
開業から、優に七十年は超えているのでしょう。
私は引き戸の取手にそっと手をかけました。
引き戸が、長年使い込まれたガラスの、低く澄んだ音を立てて、ゆっくりと横へ滑った瞬間。
私たちを包み込んだのは、初夏の昼下がりの路地の、明るい風の中とは、まったく種類の違う、深く、しんと、しかし、決して冷たくはない、ある——タングステンの照明の、ほのかにあたたかい電灯の匂いと、額装された何百枚もの古い写真の、わずかに古紙の匂いと、そして、長年、何千人、何万人もの方々の、それぞれの人生の、ある「いちばん残しておきたい一瞬」が、この店の中で、ひと枚、ひと枚と、確かにお預かりされてきた、その「面影をあずかる場」そのものの、落ち着いた、しっとりとした気配とが、ひとつに溶け合った、芳醇で、しかし、極めて静謐な、ひとつの空気の厚みでした。
そこに漂っていたものは、もはや、ただの「写真館の匂い」ではありませんでした。
それは、何千、何万という方々の、人生の節目、節目の、確かに「これを、誰かに、残しておきたい」と願う、その、たった一瞬の、まなざしや、たたずまいや、表情そのものが、この店の中で、何十年にもわたって、丁寧に、ひと枚、ひと枚と、お預かりされ続けてきた、その「無数の、残しておきたかった一瞬」そのものの気配だったのです。
そこには、ある一組のご夫婦の、ある特定の一日の、決して、もう、二度と訪れない、その「いまのうち」のひと瞬を、確かにお預かりするための、極めて謙虚で、しかし揺るぎない「規律」が、確かに、額装された何百枚もの写真の、額縁と額縁の、ほんのわずかな隙間に、息づいていたのです。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
店の奥の、深い臙脂色の布の背景の前に、古い、中判の、フィルム式のカメラが、黒い、しっかりとした木の三脚の上に、据えられていました。
そして、そのカメラの脇で、白いシャツに、深い灰色のベストを羽織り、首から、白い綿のメジャーリボンを、ゆるく下げた、白髪のご高齢の店主が、両手の指先を、ご自分のベストの下のシャツで、ごく軽くお拭きになりながら、私たちのほうを見て、深く、深く頭を下げてくれました。
年齢はおそらく、もう八十代の半ばに近いでしょうか。
声の音量は決して強くありませんでした。
むしろ、店内に漂う、深くしっとりとした写真の気配を、わずかにも乱さない、絶妙な響き。
私は、店内の中ほどに、ゆっくりと足を進めました。
そしてそこで、私は、息を、深く飲んだのです。
——店の左の壁、いちめんに、ずらりと飾られた、額装された、何十枚もの古い写真。
七十年以上の歳月を、この店が、お預かりしてきたであろう、無数のお客様の、それぞれの、人生の、いちばん晴れがましい一瞬。
戦後まもなくの、若い花嫁さんの白黒の肖像。 昭和三十年代の、ご家族の集合写真。 昭和五十年代の、ご夫婦の銀婚式のお写真。 平成のはじめの、お子さまのお宮参り。 そして、ごく最近の、ご高齢のご夫婦の、おだやかなお写真。
撮影された時代も、額の大きさも、人物の数も、すべて、ばらばらでした。
しかし——、その何十枚もの額を、私は、しばらく、ただ見つめていて、ある、はっとする事実に気がついたのです。
——どの額の、どの被写体の、瞳の、その黒い真ん中の点が、すべて、寸分違わず、同じ高さに、揃えられていた。
戦後の若い花嫁さんの瞳も。 昭和の家族写真の中の、まだ五歳だった男の子の瞳も。 平成の、白髪のご夫婦の瞳も。
時代も、大きさも、年齢も、まったく違うはずなのに、その何十枚もの額は——、すべて、見る者の、ちょうど、その視線の高さに、それぞれの瞳の真ん中が、ぴたりと、寄り添うように、飾られていたのです。
——どんな時代の、どんな大きさの、どんな年齢の被写体も、すべて、見る者と、対等に、目と目とを、合わせる。
その並び方の、なんと、慎ましいことか。
これこそが、私の名づける「視線の規律」でした。
そして、店主は、私の両親のほうへと、両手を、低く、お向けになり、こう、低く、お尋ねくださったのです。
「本日は、どのような、お席のためのお写真で、いらっしゃいますか」
母は、ゆっくりと、こうお答えしました。
「来月の、孫の、結婚式の前に、夫婦二人で、いちどきちんとした写真を、撮っておきたく、参りました」
店主は、深く、深く頷きました。
そして店主は、こう、ひとことだけ、低くお付け加えくださったのです。
「お孫さまへ、お渡しになるおつもりで、いらっしゃいますか。それとも、お二人で、お手元に、置いておかれるおつもりで、いらっしゃいますか」
——母は、しばらく、その問いの前で、言葉を探していました。
そして、母は、ゆっくりと、お答えしました。
「いまのうちに、自分たちの手元に、置いておきたいと思っております。けれど……、いつか、わたしどもがいなくなったあとで、孫や、孫の子の手に、渡ってゆくのなら、それは、それで、嬉しいことだと、思っております」
店主は、深く頷きました。
そして店主は、こう、低く、おっしゃられたのです。
「それでは、いまのお二人の、お元気なお姿を、これから、孫さま、ひ孫さまの、何十年も先までの目に、はっきりと、お渡しできるように、お写しさせていただきます」
——「撮ります」では、ありませんでした。 ——「撮影いたします」でも、ありませんでした。
「お写しさせていただきます」——。
「写す」とは、もとは、「あるものを、ある場所から、別の場所へと、丁寧に、移してさしあげる」という意味の、古い、たいせつな言葉でした。
そう、店主は、写真を、ただ「撮る」のでは、なく——、わたしの両親の、いまの、お元気なお姿を、これから、何十年も先まで生きてゆく、孫や、ひ孫の目の中へと、丁寧に、お写し申し上げる、と、おっしゃっていたのです。
そして店主は、両親を、深い臙脂色の布の背景の前の、二脚の、白木のスツールの上へと、両手で丁寧にご案内くださいました。
二脚のスツールは、ふたりが、ちょうど、肩を寄せて座れるほどの近さに、寄り添うように、並べられていました。
父は、左側のスツールに。 母は、右側のスツールに。
そして店主は、母の側へと、ゆっくりと近づき、母の髪の、ほんの一筋の乱れを、ご自分の指先で、ごく軽く、整えてくださいました。
母は、両手を、ご自分のひざの上で、おだやかに組んでいました。
父は、両手を、自分のひざの上で、ぎこちなく握りしめていました。
——そして店主は、ここから、ある一つの、極めて静かな、しかし、私の生涯、忘れることのできない、所作を、お見せくださったのです。
店主は、ご自分の両手で、まず、父の右手のひらを、ふんわりと、お包みになりました。
そして、ご自分の手で、母のひざの上の、組まれていた両手のひらのうち、左の手の甲の上へと、父の右手のひらを、ゆっくりと、ゆっくりと、移していかれたのです。
——父の右手を、母の左手の上に、ただ、置いた、のでは、ありませんでした。 ——「はい、お手をつないで」と、お声をおかけになった、のでも、ありませんでした。
店主は、ご自分の両手で、父の右手のひらを、低く捧げ持ったまま——、まるで、六十年という、ふたつの手のひらの、長い、長い歳月の温もりを、ゆっくりと、ひとつに、寄せ集めるように——、父の手を、母の手の上へと、運んでいかれたのです。
そして、父の右手のひらと、母の左手の甲とが、ふわりと、ひとつに重なった、その瞬間。
——母の口もとが、ほんの、わずかに、しかし、確かに、ふっとほどけました。
それは、笑顔では、ありませんでした。
ただ、何十年も前から、もう、何千、何万回と、ずっと、そこで、待ち続けてくれていた父の手のひらに、母の手が、ようやく、その日、ふたたび、寄り添うことができた、その、深い、深いほっとした安堵が、母のお顔の、いちばん芯のところに、ふと宿った、その瞬間だったのです。
そして店主は、ようやく、カメラの後ろへと、お回りになり、低く、こうお声がけくださいました。
「そのまま、ふだんの呼吸のままで、けっこうでございます。お言葉も、お笑いも、いりません」
そして、ほんの数秒、ふた呼吸ほどのあいだ——、店主は、ファインダーをのぞいたまま、ただ、待っていらっしゃいました。
何を、待っていらっしゃるのか、はじめ、私には分かりませんでした。
しかし、しばらくして、私は気がついたのです。
店主は、両親が、カメラに向かって、何か「写真用の顔」を、つくり始めるのを、待っていらっしゃるのでは、ありませんでした。
——その、ちょうど、逆。
両親が、しばらく、カメラの前で、息を整え、おたがいの手のひらの温もりに、ふたたび、ふっと、自分の身体を、ゆだねていった、その「ふだんの顔」が、お二人の、いちばん芯のところに、戻ってきた、その瞬間を、店主は、ただ静かにお待ちになっていたのです。
そして——、その瞬間。
シャッターの音が、低く、しかし確かに、店内の静かな空気の中に、響きました。
カシャ、と、たった一度だけ。
——これが、「受け継がれてゆく面影への礼節」でした。
毎日、何組ものお客様の、お写真を、お写しになっている店主。
それは、彼にとって、もう、何万回と、くりかえしてきた、極めて日常的な所作のはずです。
しかし、その何万回目の所作を、まるで、初めての、たった一組のご夫婦のように——、これから、何十年も先まで、孫や、ひ孫の目に、確かに「あなたの、おじいさま、おばあさまは、こういうお方でしたよ」と、お伝えされてゆくであろう、その、たった一枚のお写真の中の、お二人の、いちばん芯の面影への、深い、深い敬意を、無言のうちに、ふたつの手のひらの、そっとした重ね方の中に込めて、お写しになる。
そしてこの所作が、もう、二か月もの入院を、たがいに支え合いながら、乗り越えてきた、ある一組のご夫婦の身体の中に、何か、確かな、温かい、そして、これから先、何十年も、ひ孫の目の中で、確かに息づき続けてゆくであろう、「お二人の面影」への、しずかな、しかし揺るぎない、ひとつの確信を、染み込ませてくれていたのです。
店主は、両親に、深く頭を下げ、撮影のお礼を、おっしゃってくださいました。
「お写しは、ひと枚で、十分でございました。お二人の、いちばん芯のお顔が、ちょうど、戻ってこられた、いちばんいい瞬間に、お写しすることが、できました」
店主は、お会計のあと、私たちに、こうも付け加えてくださいました。
「現像は、わたくしどもの手で、ゆっくり、いたします。三週間ほど、お時間をいただきます。式の前には、必ず、お納めいたします」
そして、私たちは、引き戸をゆっくりと引いて、五月の下旬の、初夏の昼下がりの路地に、再び戻りました。
街路樹の若葉は、その昼下がりの陽差しの中で、いちばんの濃い緑のまま、初夏の風に、ふわりと揺れていました。
——両親は、もう、お互いの手をつないでは、いませんでした。
しかし、二人で、ゆっくりと歩く、その並びの中には、たった今、写真館の臙脂色の布の背景の前で、ふたつの手のひらが、ふわりと、ひとつに重なった、あの瞬間の温もりが、確かに、まだ、宿っているように、私には、見えたのです。
——写真館とは、ただ、お客様のお姿を、写真に、撮る場所では、ない。 ——写真館とは、ある一組のご夫婦の、何十年もの、ふたつの手のひらの、長い、長い歳月の温もりを、たった一度の、シャッターの音の中に、確かに、お写し申し上げ、そして、それを、これから先、何十年も、まだ生まれてもいない孫や、ひ孫の目の中まで、確かに、お届けしてくれる場所だったのです。
vibes は、目には見えません。
しかし vibes は、こうして、たった一枚の写真の、ふたつの手のひらの重なりの中にすら、店主の何十年もの所作の重みとともに、確かに織り込まれ、来月の、孫の結婚式の日に、晴れがましく、額の中で立ち上がり——、そして、それから、何十年もの先まで、まだ生まれてもいない子の、子の、子の目の中で、ふわりと、息づき続けてゆくのでしょう。
——空気は、いまここの、ふたつの手のひらの温もりを、何十年もの未来の、まだ見ぬ人の目の中まで、確かに、お届けしてしまう。
それこそが、看板にも、値札にも、決して書かれることのない、町の老舗の写真館という店の、最も深い、最も静かな「透明な資産」だったのだ——。
私は、両親が、初夏の昼下がりの路地を、ゆっくりと、二人で、寄り添うように歩いていく、その後ろ姿を、半歩うしろから見守りながら、五月の下旬の、もうすぐ夏の気配を含み始めた、初夏の昼下がりの路地の中で、ようやく気づいたのです。
——勝田耕司













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