五月の下旬のある土曜日の朝、午前九時三十分のこと。
初夏のやわらかな朝の光が、街路樹の若葉を、一枚、一枚、すきとおるように明るませはじめた、ちょうどその時刻。
私はその日、めずらしく、親友の娘とふたりだけで、いつもの大通りから二本だけ路地のほうへと外れた、古い住宅街の一角を、ゆっくりと歩いていました。
その朝、私が親友の娘と、そんな道を歩いていたのには、ひとつの、はっきりとした理由がありました。
来月の十五日、親友の娘が、結婚式を、挙げます。 そして、来月の二十日には、家を出て、新しい家へと、移ってまいります。
そのために、親友の娘は、もう何日も前から、自分の子ども部屋の、押し入れの奥や、簞笥のいちばん下の引き出しの中の、長年しまわれ続けてきたものを、ひとつ、ひとつ、手に取って、整理を続けていました。
その、前の晩の、夕食のあとのこと。
その子はご両親のいるリビングに、、ある、小さな、小さなものを、手に持ってやって来ました。
それは、もう、ずいぶんと布地の褪せた、赤い、小さな巾着の、お財布でした。
「これ……、わたしが、小学校の三年生か、四年生のとき、毎週土曜日に、おこづかいを入れて、駄菓子屋さんに行くときに、使っていた、お財布」
娘さんは、その小さな巾着を、片手で、ふわりと、開いてみせました。
中には、十円玉が、五枚と、五円玉が、二枚、ちょこんと、入っていました。
「もう、二十年も、開けてなかったみたい。お金、そのまま」
娘さんは、しばらく、何か言いたそうに、その巾着を見つめたあと、ふと、両親のほうを見て、こう言ったそうです。
「お父さん、あしたの朝、ちょっと、つきあってくれない? あの駄菓子屋さん、まだ、あるかどうか、見に行ってみたいの。あったら、このお財布の、まだ使ってないお金で、何か、買ってみたいの」
その夜、親友は、私に連絡あり一緒にきてほしいと、理由は、当時わたしも一緒に歩いていたからだというのです。
そして、親友はベッドの中で、ずいぶん長いあいだ、眠れなかったそうです。
二十年前。
あの頃、まだランドセルを背負って、毎週土曜日の朝、その小さな赤い巾着を、両手で、しっかりと握りしめて、家を出ていった、小さな娘さんの姿が、頭の中に、ふと、ありありと、よみがえってきたそうです、、、
そしてその翌朝。
五月の下旬の、いちばんすきとおった、土曜日の朝の九時三十分、親友と娘は、その小さな赤い巾着を、娘のジーンズのポケットの中に入れて、町外れの、古い、ちいさな路地を、ふたりで、ゆっくりと、歩いていたのです。
そこに偶然を装って、私が合流しました。娘さんは、幼少期から一緒にいろいろなところに遊びにいった仲なので、よろこんでくれました。
そして、娘さんの通っていた、小学校の、ちょうど裏手の、もうずいぶんと細くなった路地の、突き当たり。
私たちは、ある一軒の、小さな店の前に、立ち止まりました。
——駄菓子屋。
磨き込まれたガラスの引き戸の上には、すすけた、しかし確かにくっきりと、白く「駄菓子」とたった三文字、書かれた、ずいぶんと年代物の、小さな板看板が、初夏のやわらかな朝の風に、ふわりと揺れていました。
開業から、優に、六十年は、超えているのでしょう。
「……あった」
娘さんは、ぽつりと言いました。
そして、しばらく、その看板を、まるで、何かを、ゆっくりと、思い出すように、ただ見上げていました。
そして、私が、引き戸の取手に、そっと手をかけました。
引き戸が、長年使い込まれたガラスの、低く澄んだ音を立てて、ゆっくりと横へ滑った瞬間。
私たちを包み込んだのは、初夏の朝の路地の、若葉の匂いとは、まったく種類の違う、深く、なつかしく、しかし、決して、ただの懐古ではない、ある——色とりどりの飴の、ほんのり甘い砂糖の匂いと、麩菓子の、こうばしい焼きの匂いと、ラムネの瓶の、わずかに、すりガラスのようにひんやりとした気配。
そして、長年、何千、何万人もの小さな子どもたちが、その小さな両手で、十円玉を、握りしめて、立ち寄ってきた、その「子どもの来店の場」そのものの、おだやかで、しんとした気配とが、ひとつに溶け合った、ささやかで、しかし、極めて奥行きのある、ひとつの空気のあたたかさでした。
そこに漂っていたものは、もはや、ただの「駄菓子屋の匂い」では、ありませんでした。
それは、何千、何万人もの、五歳、六歳、七歳の小さな子どもたちが、その小さなお財布の中の、たった十円や、たった五十円の、自分にとっての全財産を、両手で、しっかりと握りしめながら、その小さな足で、この店の中に、自分一人の意志で、入ってきた、その「無数の、人生で初めての、自分のお買い物」そのものの気配だったのです。
そこには、まだ字も、しっかりとは読めない、まだ計算もおぼつかない、小さな小さなお客様の、ささやかな「お買い物」を、決して、子どものお遊びとしては扱わず、ひとりの、いっぱしのお客様として、確かにお迎えするための、極めて謙虚で、しかし揺るぎない「規律」が、確かに、小さな駄菓子の、ひと箱、ひと箱の中に、息づいていたのです。
「いらっしゃい」
店の奥の、古い、木のレジ台の前で、白い割烹着に、薄いピンク色のカーディガンを羽織った、白髪の、ご高齢の女性が、両手を、低く、ひざの前で揃え、私たちのほうを見て、深く頭を下げてくれました。
年齢は、おそらく、もう八十代の半ばに、近いでしょうか。
声の音量は決して強くありませんでした。
むしろ、店内に漂う、ささやかで、おだやかな駄菓子の気配を、わずかにも乱さない、絶妙な響き。
——「いらっしゃいませ」では、ありませんでした。
ただ、「いらっしゃい」。
そのたった四文字の、けれど、決してぞんざいではない、むしろ、何千、何万人もの小さなお客様を、長年、両手で迎え入れてきた、その重みのこもった「いらっしゃい」が——、まだ十円玉の数すらかぞえられなかった頃の、すべての小さな子どもたちの、その小さな緊張を、ふわりと、ほどいてきたのです。
私たちは、店内の中ほどに、ゆっくりと、足を進めました。
そしてそこで、私たちは、息を、深く飲んだのです。
——壁ぎわに、ずらりと並べられた、何十もの、浅い、木の小箱。
店の壁ぎわには、深さがちょうど五センチほどの、浅い、長方形の木の小箱が、上下左右に、合計、五十箱ほど、整然と並べられていました。
そして、それぞれの木箱の中には、色とりどりの、ひと粒、ひと粒の駄菓子が、まるで、小さな子どもたちの、視線の高さに、ちょうど、しっくりと収まるように——、決して上のほうに偏らず、決して下のほうに偏らず、絶妙な高さで、整然と並べられていたのです。
そして、驚くべきは——、それぞれの木箱の、いちばん手前の縁に、小さく、しかし、はっきりとした手書きの数字で、お値段が、書かれていた、ということでした。
「10円」「20円」「30円」「50円」「100円」。
そして——、そのお値段の数字の大きさが、すべて、寸分違わず、同じ大きさで、書かれていたのです。
百円のものも、十円のものも。
その手書きの「価のしるし」の大きさには、まったく、差がつけられていませんでした。
——百円の駄菓子も、十円の駄菓子も、決して、お互いの「値うち」を、競わない。
そのひと粒、ひと粒の駄菓子は、ただ、その日、たまたま、その箱を選んでくれる、たったひとりの、小さなお客様の、たった一度の「お買い物」のためだけに、静かに、出番を、待っている。
これこそが、私の名づける「ひと粒の規律」でした。
そして、娘さんは、ジーンズのポケットから、あの、小さな赤い巾着のお財布を、ゆっくりと、両手で取り出しました。
——そして、しばらくのあいだ、娘は、店内のあちこちの木箱を、まるで、二十年前の、八歳の自分が、もう一度、その小さな足で、この店の中を歩いているかのように、ゆっくりと、ゆっくりと、見て回っていたのです。
そして、娘さんは、ある三つの木箱の前で、立ち止まりました。
——緑色の、麩菓子。
——小さな、当たりつきの、丸い飴。
——薄いピンクの、いちごの形の、ラムネ菓子。
娘さんは、それぞれの木箱から、ひと粒ずつ、合計、三粒の駄菓子を、おそるおそる、片手で、つまみ上げました。
合計、五十円。
娘さんは、その三粒の駄菓子を、両手のひらの上に、そっと載せたまま、レジ台の前へと、ゆっくりと、進んでいきました。
そして、娘さんは、巾着の中から、十円玉を、五枚、片手で、ひとつ、ひとつ、取り出しました。
——二十年前の、まだ使われていなかった、五枚の十円玉。
娘さんは、その五枚の十円玉を、レジ台の上に、片手で、コトン、と置く、のでは、ありませんでした。
娘さんは、その五枚の十円玉を、両手のひらで、ふわりと包み込んだまま、ご高齢の女将のほうへ、ゆっくりと、低く、差し出しました。
——その瞬間。
ご高齢の女将は、両手の指先を、ご自分の白い割烹着で、ごく軽く、すっと拭われました。
そして、女将は、両手で、低く、まるで、世界でいちばん大切なものを、お預かりするように——、娘の差し出した五枚の十円玉を、ふんわりと、お受け取りくださったのです。
——五枚の十円玉を、ただ、片手で、もぎ取る、のでは、ありませんでした。 ——レジの引き出しに、ぞんざいに、放り込む、のでも、ありませんでした。
女将は、その五枚の十円玉のひとつ、ひとつを、両手のひらの上で、ゆっくりと、数えました。
「一枚、二枚、三枚、四枚、五枚……、はい、五十円、ちょうど、確かに、お預かりしました」
そして、女将は、目をわずかに伏せたまま、ほんの一センチほど、軽く頭を下げ、こう、低く、付け加えてくださったのです。
「毎度、ありがとうございます」
——「ありがとう」では、ありませんでした。 ——「お買い上げ、ありがとうございます」でも、ありませんでした。
「毎度、ありがとうございます」。
そのひとことは、まるで、デパートの貴金属売り場や、老舗の料亭で、何十万円ものお買い物をした、いっぱしのお客様に対するのと、まったく同じ深さの、敬意のこもった、ひとことでした。
——たった、五十円のお買い物にも、その敬意は、ひと粒も、欠けていなかった。
——これが、「小さなお客様への礼節」でした。
毎日、何人、何十人もの、小さな子どもたちの、たった、十円や、五十円のお買い物を、お預かりしている女将。
それは、彼女にとって、もう、何十万回と、くりかえしてきた、極めて日常的な所作のはずです。
しかし、その何十万回目の所作を、まるで、初めての、たった一人の、いっぱしのお客様のように、その五枚の十円玉のひとつ、ひとつを、両手で、ふんわりとお受け取りし、ひとつ、ひとつを、ていねいに数えながら、深い「毎度、ありがとうございます」を、お返しする。
そして、私は、その瞬間、ようやく、はっきりと、分かったのでした。
——二十年前の、毎週土曜日の朝、親友の小さな娘さんが、自分の小さな赤い巾着を、両手で握りしめながら、いっぱしの、ひとりのお客様として、この店の中に、入ってきていた、そのとき。
娘さんは、まだ、八歳でした。 持っているお金は、たった、五十円でした。
しかし、女将は、その八歳の娘に対しても、まったく、同じこの所作で、ご対応くださっていたに違いないのです。
「いらっしゃい」と。 「毎度、ありがとうございます」と。
——五枚の十円玉を、両手で、ふんわりと、お預かりしながら。
そして、娘さんは、その毎週土曜日の朝の、五十円のお買い物を通じて——、ご自分でも知らないうちに、ある、たいせつなことを、この店から、いただいていたのです。
「あなたは、まだ、八歳でも、まだ、五十円しか、もっていなくても、ひとりの、いっぱしのお客様です」
その、何にも代えがたい、ひとつのメッセージを、娘は、毎週土曜日の朝、両手のひらの上に、ふんわりと、受け取り続けていたのです。
娘さんは、女将から、薄い茶色の小さな紙袋に入れていただいた、三粒の駄菓子を、両手で、低く、しっかりと受け取りました。
——その娘さんの両手のひらの中には、二十年前の、まだ八歳だった娘さんの、両手のひらと、まったく同じ姿勢が、確かに、宿っていました。
そして私たちは、引き戸を、ゆっくりと引いて、五月の下旬の、初夏の朝の路地に、再び戻りました。
街路樹の若葉は、その朝、いちばんの濃い緑のまま、初夏の風に、ふわりと揺れていました。
そして、私と親友の隣を歩く、二十九歳の娘さんは——、もうすぐ、新しい家の表札に、新しい姓を、刻むことになっています。
しかし、娘さんの身体の、いちばん深いところには、たしかに、まだ、八歳の頃に、毎週土曜日の朝、両手のひらに、ふんわりと、受け取り続けてきた、あのひとつのメッセージが——、二十年の歳月を超えて、今も、生きていたのです。
「あなたは、いっぱしの、ひとりです」
——駄菓子屋とは、ただ、色とりどりの飴を、ひと粒、ひと粒、小さな子どもたちに、売る場所では、ない。 ——駄菓子屋とは、まだ字も、計算もおぼつかない、まだ五十円しか持っていない、小さな小さなお客様の身体の、いちばん深いところに、「あなたも、ひとりの、いっぱしの人です」というひとつのメッセージを、五枚の十円玉を、両手で、ふんわりとお預かりする、その所作の中に、確かに、染み込ませてくれる場所だったのです。
vibes は、目には見えません。
しかし vibes は、こうして、たった五枚の十円玉を、両手で受け取る、その何でもない所作の中にすら、女将の何十年もの所作の重みとともに、確かに織り込まれ、何千人もの小さな子どもたちの背筋に、二十年、三十年、四十年と、ひそやかに、息づき続けてゆくのでしょう。
——空気は、まだ世の中の右も左もわからない、小さな人の身体の、いちばん深いところに、「あなたも、いっぱしの、ひとりです」というひとつの確信を、そっとお預けしてしまう。
それこそが、看板にも、値札にも、決して書かれることのない、町外れの老舗の駄菓子屋という店の、最も深い、最も静かな「透明な資産」だったのだ——。
私は、親友の二十九歳の娘さんが、両手で、低く、薄茶色の小さな紙袋を、まるで、世界でいちばん、たいせつなものを抱えるように、しっかりと運んでいる、その隣で、五月の下旬の、もうすぐ夏の気配を含み始めた、初夏の朝の路地の中で、ようやく気づいたのです。
——勝田耕司












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