五月の下旬のある日曜日の夕暮れ、午後四時四十分のこと。
初夏の、長くなった陽が、街の家々の屋根の上を、ゆっくりと、淡い金色に染めはじめた、ちょうどその時刻。
私はその日、妻とともに、私の生まれ育った、町外れの実家を、訪ねていました。
——その日、私が実家を訪ねたのには、ひとつの、はっきりとした理由がありました。
私の父は、この春、三月の半ばから、五月のはじめまで、おおよそ二か月近くを、病院の、ベッドの上で、過ごしていました。
そして、ようやく、退院をし、いまは、実家の畳の部屋で、ゆっくりと、ゆっくりと、その身体に、もとの力を、取り戻しつつあったのです。
来月の十五日には、私の娘——、父にとっては、初孫の、結婚式が、控えていました。
「その日までに、なんとしても、自分の足で、歩けるように、なっておきたい」
それが、退院してからの、父の、ただひとつの、しかし、ゆるぎない願いだったのです。
その日曜日の夕暮れ、父は、玄関先で、私に、こう言いました。
「少し、歩いてみたいんだ。つきあって、くれるか」
——それは、退院してから、父にとって、初めての、ほんとうの意味での、外出でした。
私たちは、ゆっくりと、実家の門を出ました。
父の歩みは、まだ、決して、速くは、ありませんでした。
一歩、一歩を、まるで、地面の確かさを、足の裏で、ひとつずつ、確かめ直すように、ゆっくりと、ゆっくりと、運んでいきます。
初夏の夕暮れの風が、街路樹の若葉を、やわらかく揺らし、どこかの家の台所からは、夕餉の支度の、ほのかな匂いが、漂っていました。
私は、父の半歩うしろを、その歩調に、そっと合わせながら、歩いていきました。
そして、いくつかの路地を、曲がった、その先で——、父は、ふと、ある一本の、細い路地のほうへと、その足を、向けたのです。
私は、その路地に、見覚えが、ありませんでした。
いえ、正確に言えば——、生まれ育った町であるはずなのに、私は、その路地のことを、すっかり、忘れてしまっていたのです。
そして、その路地の、ちょうど真ん中あたり。
私たちは、ある一軒の、小さな店の前に、立っていました。
——煎餅屋。
磨き込まれた木の引き戸の上には、すすけた茶色の地に、白く「煎餅」とたった二文字、染め抜かれた、ずいぶんと年代物の暖簾が、初夏の夕暮れの風に、ふわりと揺れていました。
開業から、優に七十年は、超えているのでしょう。
父は、その暖簾を、しばらく、ただ、静かに、見上げていました。
そして、引き戸の取手に、ゆっくりと、手をかけたのです。
引き戸が、長年使い込まれた木の、低く澄んだ音を立てて、ゆっくりと横へ滑った瞬間。
私を包み込んだのは、初夏の夕暮れの路地の、若葉の匂いとは、まったく種類の違う、深く、香ばしく、そして、どこまでも、あたたかな、ある——炭火で、こんがりと焼き上げられた、米の、香ばしい匂いと、その焼きたての一枚に、刷毛で、さっと塗られた、醤油の、甘く、香ばしい匂いと、そして、長年、何万、何十万という煎餅が、この店の炭火の上で、ひと焼き、ひと焼きと、焼き上げられてきた、その「炭火の場」そのものの、落ち着いた、こうばしい気配とが、ひとつに溶け合った、芳醇で、しかし、極めて、慎ましい、ひとつの空気のあたたかさでした。
そこに漂っていたものは、もはや、ただの「煎餅屋の匂い」では、ありませんでした。
それは、何万、何十万という、一日の終わりが、この店の中で、ひと焼き、ひと焼きと、香ばしく焼き上げられ、そして、そのたびに、誰かの、家路の手に、あたたかいまま、お渡しされてきた、その「無数の、家路との出会い」そのものの気配だったのです。
そこには、ある一人の方が、一日の仕事を終え、これから、ご自分の家へと、帰ってゆく、その家路の途中の、ささやかな、しかし、確かな、ひとつの灯りを、お預かりするための、極めて謙虚で、しかし揺るぎない「規律」が、確かに、炭火の、その赤い熾火の中に、息づいていたのです。
「いらっしゃいませ」
店の奥の、長い炭火の焼き場の前で、白いシャツの腕を肘の少し上まで捲り、藍色の前掛けを締めた、白髪の店主が、長い金属の箸を、両手に持ったまま、私たちのほうを見て、深く、頭を下げてくれました。
年齢は、おそらく、もう八十代に、近いでしょうか。
声の音量は決して強くありませんでした。
むしろ、店内に漂う、深く香ばしい炭火の気配を、わずかにも乱さない、絶妙な響き。
私は、店内の中ほどに、ゆっくりと、足を進めました。
そしてそこで、私は、息を、深く飲んだのです。
——長い炭火の焼き場の、その金網の上に、整然と並べられた、何十枚もの煎餅。
赤く、しずかに熾った炭火の上の、長い金網には、まだ醤油を塗る前の、白い煎餅の生地が、合計、三十枚ほど、寸分違わず、ぴたりと揃った間隔で、まるで、碁盤の目のように、整然と、並べられていたのです。
そして、店主は、その三十枚の煎餅を、長い金属の箸で、一枚、また一枚と、決まった順に、裏返していきました。
——驚くべきは、その裏返しの順番が、ただの一度も、乱れなかった、ということでした。
店主は、いちばん端の一枚から、順に、裏返しはじめ、最後の一枚まで、裏返し終えると、また、いちばん端の、最初の一枚へと、戻っていく。
そうして、三十枚のどの煎餅も、ただの一枚として、ほんの数秒たりとも、ほかの煎餅よりも、長く焼かれることも、短く焼かれることも、ないように——、店主は、その裏返しの順番を、まるで、何かの祈りのように、ただ、ひたすらに、守り続けていたのです。
——三十枚の煎餅が、互いの焼き加減を、決して、競わない。
どの一枚も、えこひいきされず、どの一枚も、見落とされない。
これこそが、私の名づける「ひと焼きの規律」でした。
そして店主は、私たちのほうを見て、こう、低く、お尋ねくださいました。
「お家までは、どれくらい、歩かれますか」
——「何枚、お包みしましょうか」では、ありませんでした。 ——「醤油と、塩、どちらに、なさいますか」でも、ありませんでした。
店主が、まず、いちばん最初にお尋ねくださったのは——、私たちが、これから、どれくらいの道のりを、歩いて、家へと、帰ってゆくのか、ということだったのです。
父は、ゆっくりと、こうお答えしました。
「すぐ、そこです。子どもの足なら、十分。年寄りの足では、二十分、ほどでしょうか」
店主は、深く、頷きました。
そして店主は、その二十分の家路に、ちょうど、焼きたての一枚が、間に合うように——、新しい煎餅の生地を、何枚か、炭火の金網の上へと、そっと、並べはじめてくださったのです。
そして、その、煎餅が焼き上がるまでの、ほんの数分の間。
父は、店の片隅の、古い木の長椅子に、ゆっくりと腰を下ろし、赤く熾った炭火を、しばらく、ただ、静かに、見つめていました。
そして、父は、炭火のほうを見つめたまま、ふと、ぽつりと、こう、言ったのです。
「お前が、まだ、小さかった頃な——」
私は、父の隣に腰を下ろし、その言葉の続きを、待ちました。
「父さんは、毎月、給料日になると、会社からの帰りに、この店に、寄っていたんだ。煎餅を、四枚か、五枚、買ってな。それを、紙の袋に入れて、上着の内ポケットに、しまって、家まで、持って帰った」
——私は、その話を、その夕暮れまで、ただの一度も、聞いたことが、ありませんでした。
「給料日の夜にな、ちゃぶ台の上に、その煎餅を、出すと、お前は、まだ五つか六つだったが、それは、それは、嬉しそうに、食べていた。父さんには、それを、見ているのが——、ひと月の、いちばんの、楽しみだったんだ」
私は、その言葉の前で、しばらく、何も、言うことが、できませんでした。
——私の、いちばん幼い日の記憶の、いちばん奥のほうに、たしかに、ちゃぶ台の上の、香ばしい煎餅の、ぼんやりとした像が、あるような気が、しました。
しかし、私は、その煎餅が、いったい、どこから、来ていたのかを——、父が、毎月、給料日のたびに、わざわざ、この路地に寄り道をして、上着の内ポケットに、そっと、しまって、持ち帰ってくれていたものだったということを——、その夕暮れまでの、五十年あまりの歳月のあいだ、ただの一度も、知らなかったのです。
幼い私は、ただ、嬉しそうに、それを、食べていた。
そして、私の、その、何気ない笑顔こそが——、若き日の父の、ひと月の、いちばんの楽しみだったということを、私は、ようやく、その夕暮れの、炭火の前で、知ったのでした。
やがて、煎餅が、こんがりと、焼き上がりました。
店主は、その焼きたての一枚、一枚に、刷毛で、さっと、醤油を塗り、香ばしい湯気を、ふわりと、立ちのぼらせました。
そして、店主は、その焼きたての煎餅を、薄い、白い紙で、一枚、また一枚と、丁寧に、包んでいきました。
——煎餅を、ただ、紙に、包んだ、のでは、ありませんでした。
店主は、その焼きたての煎餅を、まだ、ほんのりと、あたたかいうちに、二十分の家路のあいだ、その、ひと焼き、ひと焼きの温もりが、できるだけ、長く、逃げてゆかないように——、薄い紙の上から、さらに、もう一枚、厚い紙を、ふわりと、重ねて、その「炭火の温もり」ごと、まるごと、包み込んでくださっていたのです。
そして、その包みを、両手で、低く、父の手のひらへと、そっと、移しながら、店主は、目を、わずかに伏せたまま、ほんの一センチほど、軽く、頭を下げ、こう、低く、付け加えてくださいました。
「お家に、着かれる、ちょうどその頃まで、ほんのり、あたたかいかと、存じます」
——これが、「家で待つ人への礼節」でした。
毎日、何百枚もの煎餅を、焼き、包み、お渡ししている店主。
それは、彼にとって、もう、何十万回と、くりかえしてきた、極めて日常的な所作のはずです。
しかし、その何十万回目の所作を、まるで、初めての、たった一包みのように、その煎餅が、これから、誰の手で、どれくらいの道のりを、運ばれ、そして、どんな家の、どんな食卓へと、たどり着くのかを、確かに思い描いた上で——、その家路の、ぜんぶの長さへの、深い敬意を、無言のうちに、もう一枚の厚い紙の中に込めて、お渡しする。
そして、私は、その瞬間、ようやく、はっきりと、分かったのでした。
——五十年あまり前、若き日の父が、毎月、上着の内ポケットに、そっとしまって、家まで持ち帰ってくれた、あの煎餅。
その煎餅もまた、きっと、こうして、家路の温もりごと、包まれていたのだ、と。
そして、父が、家までの道のりを、その内ポケットの、ほのかな温もりとともに、急いで、帰ってきてくれた、その夜ごとの家路そのものが——、幼い私の、あの、何気ない笑顔を、ひと月に一度、灯し続けてくれていたのです。
私たちは、店主に、深く、頭を下げ、引き戸を、ゆっくりと引いて、五月の下旬の、初夏の夕暮れの路地に、再び、戻りました。
父は、その小さな煎餅の包みを、まるで、何か、たいせつなものを、運ぶように、両手で、低く、胸の前に、抱えていました。
私たちは、また、ゆっくりと、ゆっくりと、夕暮れの家路を、歩きはじめました。
父の歩みは、行きと、変わらず、まだ、決して、速くは、ありませんでした。
しかし、その胸の前の、小さな包みの、ほのかな温もりを、確かめるように——、父の足取りは、行きよりも、ほんの少しだけ、しっかりとしているように、私には、見えたのです。
——私は、ふと、来月、嫁いでゆく、自分の娘のことを、思いました。
私もまた、娘が、まだ幼かった頃、娘の知らないところで、娘の知らないやり方で、いくつもの、小さな、何気ないことを、してきたのかもしれない。
そして、そのほとんどを、娘は、きっと、生涯、知らないままなのでしょう。
しかし——、それで、いいのだ、と、私は、その夕暮れの家路で、静かに、思いました。
親が、子に手わたすもののいちばん深いところは、たいてい、子には見えないまま、ただ、その子の、何気ない笑顔の中に、そっと、灯り続けてゆくものなのですから。
——煎餅屋とは、ただ、煎餅を、焼き、売る場所では、ない。 ——煎餅屋とは、一日の仕事を終えた、ある一人の方の、家路の、二十分という時間そのものを、炭火の温もりごと、そっと包み、家で待つ誰かの、何気ない笑顔のもとへと、確かに、送り届けてくれる場所だったのです。
vibes は、目には見えません。
しかし vibes は、こうして、たった一包みの煎餅の、その、もう一枚の厚い紙の中にすら、店主の何十年もの所作の重みとともに、確かに織り込まれ、そして、家路を歩く人の胸の前で、ほのかな温もりとなって、家で待つ人の食卓へと、運ばれてゆく。
——空気は、目に見えるどんな贈り物よりも、ずっと深いところで、家路を歩く人と、家で待つ人とを、あたたかく、結びつけてしまう。
それこそが、看板にも、値札にも、決して書かれることのない、町外れの老舗の煎餅屋という店の、最も深い、最も静かな「透明な資産」だったのだ——。
私は、五十年あまり前の、若き日の父の家路と、いま、隣を歩く父の家路とを、ひとつに重ねながら、五月の下旬の、もうすぐ夏の気配を含み始めた、初夏の夕暮れの路地の中で、ようやく気づいたのです。
——勝田耕司













この記事へのコメントはありません。