五月の下旬のある木曜日の朝、午前九時のこと。
初夏のやわらかな朝の光が、古い城下町の、白い土塀の上を、ゆっくりと、明るませはじめた、ちょうどその時刻。
私は前日の夕方、ある地方の、古い城下町への出張のために、駅前の小さな宿に、入っていました。
その日の、クライアントとの打ち合わせは、午後の一時から。
ですから、私には、その朝、ぽっかりと、半日近い、自由な時間が、ありました。
——正直に、申し上げますと、その朝の私は、いくぶん、疲れていました。
この春、私の身のまわりでは、いくつもの、大きなことが、重なっていました。
父の、二か月に及ぶ、長い入院と、退院。 そして、来月の十五日に控えた、娘の、結婚。
ひとつ、ひとつは、ありがたい、喜ばしいことでした。
しかし、それらが、いちどきに、重なってまいりますと、私の心は、いつのまにか、ある、薄い、灰色の膜のようなものを、まといはじめていたのです。
——なんだか、自分という人間の、色が、少し、褪せてきたような。
その朝、宿の窓から、城下町の家並みを、見下ろしながら、私は、ふと、そんなことを、思っていました。
私は、宿を出て、古い城下町の、細い路地を、あてもなく、歩きはじめました。
そして、いくつかの路地を、曲がった、その先で——、私は、ある一軒の、小さな店の前に、立っていたのです。
——紺屋。
藍染めを、なりわいとする店を、この地方では、古くから、そう呼ぶのだそうです。
磨き込まれた木の引き戸の上には、深い、深い藍色の地に、白く「紺屋」とたった二文字、染め抜かれた、ずいぶんと年代物の暖簾が、初夏の朝の風に、ふわりと揺れていました。
開業から、優に、百年は、超えているのでしょう。
私は引き戸の取手にそっと手をかけました。
引き戸が、長年使い込まれた木の、低く澄んだ音を立てて、ゆっくりと横へ滑った瞬間。
私を包み込んだのは、初夏の朝の路地の、若葉の匂いとは、まったく種類の違う、深く、清らかで、しかし、どこか、土のように、なつかしい、ある——発酵した藍の、独特の、つんと鋭く、しかし決して不快ではない匂いと、土間に、いくつも、深く沈められた、藍甕の、しっとりとした気配と、そして、長年、何万、何十万という布が、この土間で、藍に浸され、風に触れ、青く染め上げられてきた、その「藍と風の場」そのものの、落ち着いた、深い気配とが、ひとつに溶け合った、芳醇で、しかし、極めて静謐な、ひとつの空気の深さでした。
そこに漂っていたものは、もはや、ただの「染物屋の匂い」では、ありませんでした。
それは、何万、何十万という、まだ何色にも染まっていない一枚の白い布が、この土間で、ゆっくりと、辛抱づよく、その身に、深い藍の色を、宿していった、その「無数の、染まりゆく時間」そのものの気配だったのです。
そこには、まだ何色でもない一枚の白い布が、ひとつの、深い色を、その身に宿してゆくための、極めて謙虚で、しかし揺るぎない「規律」が、確かに、土間の藍甕の、静かな水面の下に、息づいていたのです。
「いらっしゃいませ」
土間の奥の、藍甕の前で、白いシャツの腕を肘の少し上まで捲り、藍色の前掛けを締めた、白髪の店主が、私のほうを見て、深く、頭を下げてくれました。
年齢は、おそらく、もう八十代に、近いでしょうか。
声の音量は決して強くありませんでした。
むしろ、土間に漂う、深く静かな藍の気配を、わずかにも乱さない、絶妙な響き。
——そして、私は、その店主の、両の手を見て、はっと、しました。
店主の、両の手は、指先から、手首のあたりまで、まるで、深い夜空のような、藍色に、染まっていたのです。
それは、汚れでは、ありませんでした。
何十年、毎日、毎日、藍甕に、その手を、差し入れ続けてきた、その歳月そのものが——、店主の手を、いつのまにか、藍と同じ、深い色に、染め上げていたのでした。
私は、土間の中ほどに、ゆっくりと、足を進めました。
そしてそこで、私は、息を、深く飲んだのです。
——土間の、奥の壁ぎわに、ずらりと吊るされた、何十枚もの、染め上げられた布。
その布の一枚、一枚は、すべて、藍色でした。
しかし——、その藍色は、ただの一枚として、同じ藍色では、なかったのです。
いちばん左の端の布は、まるで、夜明けの空のような、ごく淡い、薄青。
そこから、右へ、一枚、また一枚と、布の藍は、少しずつ、少しずつ、その色を、深めてゆき——、いちばん右の端の布は、もはや、ほとんど黒に近い、深い、深い、夜の藍色を、たたえていたのです。
淡い空色から、深い夜の藍へ。
何十枚もの布が、その濃淡を、まるで、ひとつの、なだらかな坂道のように、寸分の乱れもなく、連ねていたのでした。
私は、はじめ、その意味が、分かりませんでした。
しかし、店主が、静かに、教えてくださったのです。
藍染めというものは、布を、一度、藍甕に浸しただけでは、決して、深い色には、ならないこと。
布を、藍甕に浸しては、引き上げ、風に当て。 また、浸しては、引き上げ、風に当て。
——その、地道なくりかえしを、何度、重ねたか。
その回数だけが、布の藍の、深さを、決めるのだ、ということを。
つまり——、壁に連なる、あの淡い空色から、深い夜の藍へと至る、なだらかな坂道は、そのまま、「布が、何度、藍と風のあいだを、行き来したか」という、辛抱づよい回数の、坂道だったのです。
——一枚の布の、色の深さとは、その布が、くぐり抜けてきた、くりかえしの数のことだ。
これこそが、私の名づける「染め重ねの規律」でした。
そして、店主は、ちょうど、その朝の、染めの仕事の、その途中で、いらっしゃいました。
私は、店主に、お願いをして、その染めの様子を、しばらく、そばで、見せていただくことにしたのです。
店主は、まだ何色でもない、一枚の白い布を、両手で、低く持ち、土間の藍甕の中へと、ゆっくりと、沈めていきました。
そして、しばらくのあいだ、藍甕の中で、その布を、やさしく、やさしく、揺らしたあと——、店主は、その布を、両手で、ゆっくりと、引き上げたのです。
——その瞬間、私は、思わず、声を、あげそうに、なりました。
藍甕から、引き上げられた、その布は——、青く、ありませんでした。
それは、くすんだ、黄みがかった、緑色を、していたのです。
私は、藍染めの布というものは、てっきり、藍甕の中で、青く、染まるものだと、思い込んでいました。
しかし、藍甕から出てきた布は、青では、なく、ある、ふしぎな、黄緑色を、していたのです。
「藍で、染めるのですね」
私が、そう、申し上げますと、店主は、ゆっくりと、首を、横に振り、こう、おっしゃいました。
「いいえ。藍だけでは、布は、染まりません。藍と——、空気とで、染めるのでございます」
——藍と、空気とで、染める。
店主は、その黄緑色の布を、両手で、低く支えたまま、土間の、風のとおる場所へと、運んでいきました。
そして、その布を——、ただ、干した、のでは、ありませんでした。
店主は、その一枚の布を、両手で、まるで、つぼみが、花ひらくように、ゆっくりと、ゆっくりと、初夏の朝の空気の中へと、大きく、ひろげていったのです。
布の、すみずみまで、布の、織り目の、ひとすじ、ひとすじまで——、その朝の空気が、まんべんなく、ゆきわたるように。
そして——、私が、ただ、黙って、見つめている、そのあいだに。
くすんだ黄緑色だった布は、空気に触れた、端のほうから、ゆっくりと、ゆっくりと、まるで、夜が明けてゆくように——、澄んだ、青へと、染まりはじめたのです。
布は、藍甕の中で、青くなった、のでは、ありませんでした。
——布は、藍甕から、引き上げられ、五月の朝の空気に、その身を、ひらいて、はじめて、ゆっくりと、青く、染まっていったのです。
私は、その光景の前で、ただ、立ち尽くしていました。
色は、隠れた甕の中で、生まれるのではない。
色は、甕から出て、空気に、その身を、さらして、はじめて、生まれる。
そして、店主が、その布を、決して、急がず、ひと所も、おろそかにせず、初夏の朝の空気の中へと、大きく、ていねいに、ひらいてゆく、その所作——。
それは、まだ、染まりきっていない、一枚の布が、これから、ゆっくりと、深い色に、なってゆく、その「染まりゆく時間」そのものを、決して、せかすことなく、ただ、静かに、見守り、お支えする、所作だったのです。
——これが、「染まりゆくものへの礼節」でした。
毎日、何十枚もの布を、藍甕に浸し、風にひらいている店主。
それは、彼にとって、もう、何十万回と、くりかえしてきた、極めて日常的な所作のはずです。
しかし、その何十万回目の所作を、まるで、初めての、たった一枚の布のように、その布が、いま、まさに、青へと、染まりゆこうとしている、その途中の時間そのものへ、深い敬意を込めて、初夏の空気の中へ、ていねいに、ひらいてゆく。
そして、私は、その瞬間、ようやく、はっきりと、分かったのでした。
——この春、私が、まとっていた、あの、薄い、灰色の膜。
私は、それを、自分の色が、褪せてきたしるしだと、思い込んでいました。
しかし、そうでは、なかったのです。
父の、長い入院と、退院。 来月に控えた、娘の、結婚。
それらは、私という一枚の布が、いま、まさに、藍甕と、風のあいだを、行き来している、その、最中だった、ということなのです。
つらく、心の揺れる出来事は、私の色を、褪せさせる、灰色の膜などでは、なく——、私という布を、もう一段、深い色へと、染め重ねてゆくための、「藍と、風」そのものだったのです。
人は、隠れた、安全な甕の中に、ただ、浸かり続けていても、決して、深い色には、ならない。
甕から出て、ひりひりとする空気に、その身を、ひらいて、はじめて、ひとは、もう一段、深く、染まってゆく。
——私は、まだ、染まりゆく、途中の、一枚の布なのだ。
私は、店主に、お願いをして、ごく淡い空色に染められた、小さな手ぬぐいを、一枚、譲っていただきました。
店主は、その手ぬぐいを、薄い和紙で、ていねいに包み、藍色に染まったその両手で、低く、私の手のひらへと、そっと、移してくださいました。
「この手ぬぐいの色も、これから、お使いになるうちに、少しずつ、変わってまいります。藍は、染め上げて、おしまい、ではございません。お客様の暮らしの中で、これからも、ずっと、染まり続けてまいります」
私は、店主に、深く、頭を下げ、引き戸を、ゆっくりと引いて、五月の下旬の、初夏の朝の城下町の路地に、再び、戻りました。
白い土塀の上の空は、その朝、私が宿の窓から見上げたときよりも、ずっと、澄んだ、深い青を、たたえているように、見えました。
——紺屋とは、ただ、布を、藍色に、染める場所では、ない。 ——紺屋とは、まだ何色でもない一枚の布が、隠れた甕の中で、青くなるのではなく、甕から出て、空気に、その身をひらいて、はじめて、深い色に染まってゆくのだという、その、いちばん静かで、いちばん確かな真実を、淡い空色の手ぬぐい一枚の中に、そっとお預けしてくれる場所だったのです。
vibes は、目には見えません。
しかし vibes は、こうして、藍甕から引き上げられた一枚の布を、青く染め上げる、その、目には見えない空気そのものとして、確かに、そこに、はたらいている。
——色は、隠れた甕の中ではなく、空気に身をひらいた、その場所でこそ、深まってゆく。
それこそが、看板にも、値札にも、決して書かれることのない、城下町の古い紺屋という店の、最も深い、最も静かな「透明な資産」だったのだ——。
私は、まだ染まりゆく途中の、一枚の布である自分自身を、これからの初夏の空気の中へ、もう一度、静かにひらきながら、五月の下旬の、もうすぐ夏の気配を含み始めた、城下町の朝の路地の中で、ようやく気づいたのです。
——勝田耕司













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