六月のある月曜日の夕暮れ、午後六時のこと。
——その日は、もう、六月の下旬の、長くなった夕方の、いちばん長いお時刻。
街路樹の若葉のひと枚、ひと枚は——、もう、夏のはじまりの、まろやかな、ふっくらとした緑の濃さの中で、淡い、淡い、夕暮れの橙色の光を、ふんわりと、しっとりと身にまといながら、おだやかに揺れていらしたのです。
——梅雨入りの、いちばん長くなった日の、しっとりとした夕暮れ。
私は、その日の午後のアポイントを終え、駅前の大通りから、ひと本だけ路地のほうへと外れた、古い住宅街の一角を、夕暮れのおだやかな光の中、ゆっくりと、家路へと、歩いていました。
——その夕暮れ、私が、いつもとは違う路地のほうへと、ふと、足を向けようと思い立ったのには、特に、はっきりとした理由は、ありませんでした。
ただ、その、夕暮れの、しっとりと、淡い橙色の風の中に——、ふと、しずかに、しずかに、ある一本の細い路地のほうから——、何か、低い、低い、しなやかな、ささやかな、しかし、確かにリズムのある——、シャ……、シャ……、シャ……、と、何かの石の上を、ある別の何かが、ゆっくりと、ゆっくりと、おだやかにお滑らせになっていらしたような——、不思議なほどに、深く、ひっそりと、しずかな、しずかなおとが、ひと筋、ふんわりと、流れてきていたのです。
——梅雨入りの、しっとりとした夕暮れの路地の空気の中に、ふと、シャ……、シャ……、と、何かの石の上を、ゆっくりとお滑らせになっていらしたようなおとが、ひと筋、流れてくる、というのは、まったく不思議なことでした。
——あの、しずかな、しずかな、何かの石の上を、おだやかにお滑らせになっていらしたようなおとの先に、どんな店があるのだろう。
私はそう思い、ひと本だけ路地のほうへと、ゆっくりと足を向けたのです。
そして、いくつかの路地を曲がった、その先で——、私は、ある一軒の、小さな店の前に、立っていたのです。
——硯屋。
商店街の路地の、ちょうど突き当たり。
その小さな店の、磨き込まれた木の引き戸は——、もう、すでに、ほんのり、半分ほど、横へとお開けになっていて、その引き戸のすき間からは——、しずかに、しずかに、深い、深い、ほのかに墨色がかったお行灯の灯りが、ふんわりと、こぼれていたのです。
そして、その引き戸のすぐ上の鴨居のところには、深い、深い、ほとんど墨のような、深い深い黒の地に、白く「硯」とたった一文字、染め抜かれた、年代物の暖簾が、夕暮れのおだやかな風の中で、ふんわりと揺れていました。
開業から、優に百年は、超えているのでしょう。
私は引き戸の取手にそっと手をかけました。
引き戸が、長年使い込まれた木の、低く澄んだ音を立てて、ゆっくりと横へ滑った瞬間。
私を包み込んだのは、夕暮れの路地の、しっとりと、淡い橙色の風とは、まったく種類の違う、深く、しっとりと、ひんやりと、しかし、決して冷えきってはいない、ある——もう、何百万年と、ご自分の地中の、いちばん深い、いちばん深いところで、しずかに、しずかにお眠りになり続けてこられた、深い深い石の、ほのかに澄んだ、しっとりと冷たい匂いと、しずかに、しずかに、深く、深く擦られた墨の、ほのかに芳醇な、深く深く澄んだ匂いと、そして、長年、何千、何万面もの硯が、職人の指先と、石と、鑿とのあいだで、ひと面、ひと面と、お彫り出され続けてきた、その「ひと面の硯を、ひと筆の前のしずけさのために、ふっとお生み出しになる場」そのものの、芳醇で、しっとりと落ち着いた、石と墨の気配とが、ひとつに溶け合った、深く、しかし、極めて、清らかな、ひとつの空気の厚みでした。
そこに漂っていたものは、もはや、ただの「硯屋の匂い」では、ありませんでした。
それは、何千、何万面もの、ある一面の硯が——、もう、何百万年と、ご自分の地中の、いちばん深いところで、しずかに、しずかにお眠りになっていらした石の、ほんの、ほんのひとかけらが——、ある日、ふっと、ある一人の方の、ご自分の机の前に、ふんわりと、お招きされ——、その方の、ご自分のお筆の、ふと、いちばん最初のひと筆の前の、しずかな、しずかな、決して、誰にも、お見せにならない、ご自分とご自分との、たった、ひとつの「ひと服のお対話のお時間」を——、ふっと、しずかに、しずかにお迎えくださるための、極めて謙虚で、しかし揺るぎない「規律」が、確かに、深い深い石の、ひと面、ひと面の中に、息づいていたのです。
「いらっしゃいませ」
店の中央の、磨き込まれた檜の長いカウンターの内側で、深い藍色の作務衣の上に、深い灰色のお襷を締めた、白髪のご高齢のご店主が、両手の指先を、ご自分のお襷の脇に、ごく軽くお当てになりながら、私のほうを見て、深く頭を下げてくれました。
年齢はおそらく、もう七十代の半ばに近いでしょうか。
——そして、ご店主は、ご自分の作業台の上の、ふっと、ある一面の硯の上で——、いま、まさに、ある一本の小さな、しなやかな墨の挺を、ご自分の指先で、ゆっくりと、ゆっくりと、おだやかにお動かしになり続けていらしたのです。
シャ……、シャ……、シャ……。
——あの、しずかな、しずかな、何かの石の上を、おだやかにお滑らせになっていらしたようなおとは、まさに、ご店主が、たった今、お一面の硯の、ふっくらと、しなやかな表面の上で、お一挺の墨を、ゆっくりと、ゆっくりとお擦りになっていらした、その絶妙なおとだったのです。
声の音量は決して強くありませんでした。
むしろ、店内に漂う、深く、ひんやりと澄んだ、石と墨の気配を、わずかにも乱さない、絶妙な響き。
私は店内の中ほどに、ゆっくりと足を進めました。
そしてそこで、私は、息を、深く飲んだのです。
——壁ぎわの、磨き上げられた檜の長い棚の上に、整然と並べられた、何十面もの、深い、深い、ふっくらと黒みがかった、しずかな石の硯。
工房の壁ぎわの、長い、長い、白木の棚の上には、それぞれ、まったく違う大きさと、まったく違う石の地紋を持つ、深い深い、しずかな石の硯が、合計、二十数面、ぴたりと、寸分違わぬ間隔で、整然と立てかけられていました。
そして、それぞれの硯のお表面には——、ふっくらと丸い、お一面の「陸」と呼ばれる、墨をすりおろす広い平らなところと、その先に、ふっくらと、深い、深いお曲線で、ぴたりとお続きになる、お一面の「海」と呼ばれる、墨と、お水の、しずかな、しずかなしずく溜まりの場とが——、お一組、お一組、ぴたりとお揃いになっていらしたのです。
そして驚くべきは——、その二十数面の硯の、それぞれの大きさは、まったく違うのに——、その、ふっくらと、深い、深いお曲線で、ぴたりとお続きになる「海」の、いちばん深いところのお深さが——、すべて、寸分のずれもなく、ぴたりと、まったく同じ深さで、お並びになっていらした、ということでした。
——いちばん大きな硯の「海」も。
——いちばん小さな硯の「海」も。
それぞれの硯の、お表面の大きさは、まったく違うのに——、その「海」のいちばん深いところは——、すべて、寸分のずれもなく、ぴたりと、まったく同じ、絶妙な深さに、ふっくらとお彫りになっていらしたのです。
——どの硯も、決して、別の硯と、ご自分のお水の量を、競わない。
——どの硯も、決して、別の硯より、わずかも、深いお水を、お抱きになることが、ない。
それぞれの硯の「海」は——、お互いに、対等な敬意で、ご自分の絶妙な、ふっくらとした深さの、たった、ひと滴、ふた滴のお水を、しずかにお抱きになりながら——、決して、ご自分の溜まりの大きさを、誇示なさることは、なく——、ただ、しずかに、しずかに、ご自分の出番が、ふっと、ある一人の方の、ご自分の机の前に、ふっとお招きされ、その方の、ふと、ひと筆の前のしずけさをお迎えになる、その瞬間を、しずかに、しずかにお待ちになっていらしたのです。
——たった、硯の、ふと、「海」のいちばん深いところのお深さの中にも、規律が宿る。
これこそが、私の名づける「海の規律」でした。
そして、ご店主は、ご自分の作業台の上の、いま、まさに、ご自分のお手のひらの中で、墨を、ゆっくりと、ゆっくりとお擦りになっていらした、お一面の硯を——、両手で、低く、ふんわりとお持ち上げになりました。
そして、ご自分のお手のひらの中の、ふっくらとした、磨き上げられた、深い深い石の硯を、しずかに、しずかに、ご自分の作業台の上に、寸分も急がず、おだやかにお置きになりました。
そして、ご自分の右手の、ふっくらとした、小さな、ふんわりとした、淡い、淡い白磁の水差しを、両手の指先で、ふんわりとお取りになりました。
そして、ご店主は——、何度か、深く、しずかに、ご自分の呼吸を、お整えになっていらしたのです。
そして、ふっと、息を、お止めになりました。
そして、その瞬間。
ご店主は、その白磁の水差しを、寸分も急がず、ふんわりと、しなやかに——、ご自分の硯の、ふっくらと、深い、深いお曲線の「海」の、ちょうど真ん中の、いちばん深いところに、ふんわりと、お傾けになっていらしたのです。
——たった、お一滴。
ふっと、ふんわりと、清らかなお水のお一滴が——、深い深い石の、ふっくらと、ふんわりとした「海」のいちばん深いところに——、しずかに、しずかに、ぽとりと、ふっくらと、お落ちになっていらしたのです。
——たった、ひと滴のお水。
しかし、そのお水のひと滴が、深い深い石の硯の「海」のいちばん深いところに、ふっくらとお落ちになった、その瞬間——、石の硯の、ふっくらと丸い「陸」と、ふっくらと、深い、深い「海」とは——、もう、たった今、ご自分の準備のすべてを、ふっと、整え終えていらした、ということを——、私は、確かに、お感じになることになったのです。
——もう、これで、お一筆の前のしずけさが、ぴたりと、お整えになりました。
——お水を、ただ、お注ぎになった、のでは、ありませんでした。
——墨を、ただ、お擦りになる準備を、お整えになっていらした、のでも、ありませんでした。
ご店主は、その、たった、ふんわりとした、ひと滴のお水の中に——、これから、その一面の硯が、ある一人の方の、ご自分の机の前に、ふっと、お招きされた、その瞬間に——、その方が、ご自分の、まだ、お書きにならない、ふと、最初のひと筆の前の、ご自分とご自分との、たった、ひとつの「ひと服のお対話のお時間」を——、ふっと、ぴたりとお迎えくださる、その「ひと筆の前のしずけさ」を——、確かに、ご自分の白磁の水差しの、たった、ひと滴の中に、お預けくださっていらしたのです。
——これが、「ひと筆の前のしずけさへの礼節」でした。
毎日、何面もの硯を、お彫り出し、お整えになり続けていらっしゃるご店主。
それは、彼にとって、もう、何万回と、くりかえしてきた、極めて日常的な所作のはずです。
しかし、その何万回目の所作を、まるで、初めての、たった一面の、たった一人のお客さまの、ご自分の机の前の、ふと、ひと筆の前のしずけさのように——、その一面が、これから、何十年、何百年と、誰の机の前で、誰のご自分のひと滴のお水と、誰のご自分の墨のひと擦りとの、しずかな、しずかなご対話の場を、お預かりしていくのかを、確かに、思い描いた上で——、その「ご自分のひと筆の前の、しずかな、しずかなお対話の場を、ふっとお迎えくださる、お一人、お一人」への、深い、深い敬意を、無言のうちに、ご自分の白磁の水差しの、たった、ひと滴の中に込めて、お注ぎになる。
そして、私は、その瞬間、ようやく、はっきりと、分かったのでした。
——人のお手の中の、本当にたいせつな、ひと筆。
それは、決して、お一筆を、ふっと、ご自分の墨でお書きになる、その瞬間そのものの中にあるのでは、ない。
むしろ、お一筆をお書きになる、ちょうどその直前の、ご自分の机の前に、しずかに、しずかにお座りになり——、ご自分の白磁の水差しから、ふっと、お一滴のお水を、深い深い石の硯の「海」のいちばん深いところに、しずかにお注ぎになり——、そして、ふっと、お一挺の墨を、ゆっくりと、ゆっくりとお擦りになり——、その「お一筆の前の、ご自分とご自分との、たった、ひとつの、しずかな、しずかなお対話のお時間」の中にこそ——、本当にたいせつな、ふっと、いちばん深いところからの、最初のひと筆が、しずかに、しずかに、お整えになっていらしたのです。
そして、その「お一筆の前のしずけさのお対話のお時間」のために——、誰かが、毎日、毎日、しずかに、しずかに、ご自分の鑿の、ひと彫り、ひと彫りで、深い深い石の、ふっくらとした「海」のいちばん深いところを、ふっと、絶妙な深さに、お彫り出してくださっていた。
私は、その日、何も、お買い物を、いたしませんでした。
ただ、ただ、店の壁ぎわの、二十数面の、それぞれの「海」のいちばん深いところの、ぴたりと寸分のずれもないお深さと、ご店主の白磁の水差しの、たった、ふんわりとひと滴のお水のお落ちの、ふっくらとした、しずかなお動きを、目の中に、確かに、お預かりさせていただいただけで、十分でした。
そして、ご店主は、私のほうを見て、こう、低くおっしゃられたのです。
「硯というものは、お一筆をお書きになるためのお道具では、ございません。むしろ、お一筆をお書きになるよりも、ずっと前の、ご自分の机の前の、ふと、しずかな、しずかなお一服のお対話のお時間を、ふっとお迎えくださるための、しずかな、しずかなお相手でございます」
——「硯というものは、お一筆をお書きになるよりも、ずっと前の、ご自分の机の前の、ふと、しずかな、しずかなお一服のお対話のお時間を、ふっとお迎えくださるための、しずかな、しずかなお相手でございます」。
そのひとことの中に、ご店主は、ご自分の何十年もの、毎日、毎日のひと滴のお水のお落ちの中に——、確かに、まだ、お会いになったこともない、ある一人の方の、ご自分の机の前の、ふと、しずかな、しずかなお対話のお時間を——、ふっと、ぴたりとお迎えくださっていらした、その「目には決して見えない、ひと筆の前のしずけさのお迎え」を——、ふっと、私の前で、お明かしくださっていらしたのです。
私は、深く深く頭を下げ、引き戸を、ゆっくりと閉め直して、六月の、もう、すっかりと、しっとりと淡い橙色の夕暮れに染まり始めた、しずかな路地に、再び戻りました。
街路樹の若葉は——、もう、夏のはじまりの、ふっくらとした緑の濃さの中で、しずかな夕暮れの淡い、淡い橙色の光を、しっとりと身にまといながら、おだやかに揺れていらしたのです。
そして、まだ、私の耳の中には——、たった今、ご店主の指先から、しずかに、しずかにお流れになっていらした、シャ……、シャ……、シャ……、と、深い深い石の上を、ゆっくりとお滑らせになっていらした墨の挺の、しずかな、しずかなおとが、しずかに、しずかにお流れになり続けていたのです。
——硯屋とは、ただ、墨をお擦りになるためのお道具を、お渡しになる場所では、ない。
——硯屋とは、ある一人の方の、ご自分の机の前の、お一筆をお書きになるよりも、ずっと前の、ふと、しずかな、しずかなお一服のお対話のお時間を——、確かに、ご自分の白磁の水差しの、たった、ひと滴のお水の中に込めて、しずかに、しずかにお預けくださる場所だったのです。
vibes は、目には見えません。
しかし vibes は、こうして、たった、ひと面の硯の、ふと、「海」のいちばん深いところのひと滴のお水の中にすら、ご店主の何十年もの所作の重みと、もう、何百万年もの間、ご自分の地中のいちばん深いところで、しずかに、しずかにお眠りになっていらした石の、ふっくらとした重みとが、ともに織り込まれ——、これから、ある一人の方の、ご自分の机の前の、ふと、ひと筆の前の、しずかな、しずかなお一服のお対話のお時間の中に、しずかに、しずかにお流れになり続けてゆくのでしょう。
——空気は、ある一人の方の、ご自分の机の前の、ふと、ひと筆の前のしずかなお対話のお時間の中にすら、まったくお会いになったこともない、ある一人の硯屋のご店主の、ふと、白磁の水差しの、ひと滴のお水の中に、何十年もの所作の重みを、しずかに、しずかにお預けしてしまう。
それこそが、看板にも、値札にも、決して書かれることのない、町外れの老舗の硯屋という店の、最も深い、最も静かな「透明な資産」だったのだ——。
私は、まだ、私の耳の中に、しずかに、しずかにお流れになり続けている、シャ……、シャ……、シャ……、と、深い深い石の上を、ゆっくりとお滑らせになっていらした墨の挺のおととともに、六月の、もう、しっとりと、淡い橙色の夕暮れの中の、しずかな路地の中で、ようやく気づいたのです。
——勝田耕司













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