透明資産を見つけよう

【透明資産を見つけよう】五月の昼下がり、出張先の古い港町の老舗の蒲鉾屋。板の上に並ぶ「ひと舟の規律」と、ヘラでひと撫でする所作という名の「日々のひと添えへの礼節」

五月の下旬のある火曜日の昼下がり、午後二時のこと。

陽差しがもう、初夏というよりは、夏のはじまりの明るさを、街全体に、ふわりと、しかし確かに満たし始めた、ちょうどその時刻。

私はその日、ある古い港町への、午前中のクライアントとの打ち合わせを、ちょうど終えたばかりでした。

帰りの新幹線までは、まだ、二時間半ほどの時間が、ぽっかりと残されていました。

——その昼下がり、私が、いつもの大通りから、ふと、ひと本だけ路地のほうへと足を向けようと思い立ったのには、特に、はっきりとした理由はありませんでした。

ただ、初夏の港町の、磯のひんやりとした匂いが、お昼の太陽の中で、ふっと、ほのかに甘く、温められて、ちょうど、ある一本の細い路地のほうから、ふわりと流れてきていた、というだけのこと。

しかし、その「ふと、流れてきた、ほのかに温められた潮の匂い」の中には——、たった、海の生臭さでは、決してない、何か、もっと、深い、しっとりとした、人の手の、ささやかな温もりのようなものが、確かに、混じっていたのです。

——あの、温もりの先に、どんな店があるのだろう。

私はそう思い、ひと本だけ路地のほうへと、ゆっくりと足を向けたのです。

そして、いくつかの路地を、曲がった、その先で——、私は、ある一軒の、小さな店の前に、立っていたのです。

——蒲鉾屋。

商店街の路地の、ちょうど真ん中あたり。

磨き込まれた木の引き戸の上には、深い藍色の地に、白く「蒲鉾」とたった二文字、染め抜かれた、年代物の暖簾が、初夏の昼下がりのやわらかな潮の風に、ふわりと揺れていました。

開業から、優に百年は、超えているのでしょう。

私は引き戸の取手にそっと手をかけました。

引き戸が、長年使い込まれた木の、低く澄んだ音を立てて、ゆっくりと横へ滑った瞬間。

私を包み込んだのは、初夏の昼下がりの路地の、ほのかに甘い潮の風の中とは、まったく種類の違う、深く、しっとりと、しかし、決して重くはない、ある——磨り潰した白身の魚の、ほのかに上品な、新鮮な、しかし、決して生臭くはない、清らかな匂いと、蒸籠の中から、たった今、上がったばかりの蒸気の、ふっくらと立ち上る湯気の匂いと、そして、長年、何十枚、何百枚もの檜の蒲鉾板が、職人の手のひらの中で、ひと舟、ひと舟と、お預かりされ続けてきた、その「ひと舟の場」そのものの、芳醇で、しっとりと落ち着いた木の匂いとが、ひとつに溶け合った、深く、しかし、極めて、慎ましい、ひとつの空気のあたたかさでした。

そこに漂っていたものは、もはや、ただの「蒲鉾屋の匂い」では、ありませんでした。

それは、何百年もの間——、ある一人の方の、毎朝の朝食の隅っこの、ほんの二切れの。

そして、ある一人の方の、お子さまの遠足のお弁当の、ほんの一切れの。

そして、ある一人の方の、お祝いの席の御膳の、もっとも端の、ほんの三切れの——、その、それぞれの、ささやかな、しかし、確かなひと添えのために、この店の中で、ひと舟、ひと舟と、丁寧にお預かりされ続けてきた、その「無数の、ひと添えとの出会い」そのものの気配だったのです。

そこには、ある一人の方の、毎日、毎日の食卓の、いちばん華やかではない、けれど、いちばん、いつもそこにいてくれる、ささやかなひと添えを、確かに、お支えするための、極めて謙虚で、しかし揺るぎない「規律」が、確かに、檜の蒲鉾板の、ひと舟、ひと舟の白い表面の中に、息づいていたのです。

「いらっしゃいませ」

店の奥の、磨き上げられた檜の長いカウンターの内側で、白い割烹着に、藍色の前掛けを重ねた、白髪のご高齢の店主が、両手の指先を、ご自分の白い布巾で、ごく軽くお拭きになりながら、私のほうを見て、深く頭を下げてくれました。

そして、店主のさらに奥、店の作業場のほうへと続く、もう一つの小さな引き戸の向こうには——、薄い藍色の作務衣を着た、店主のご子息と思われる、四十代ほどの若いご職人が、白木の長いまな板の上で、ご自分のヘラを、しずかに動かしていらっしゃる、その姿が、見えていたのです。

声の音量は決して強くありませんでした。

むしろ、店内に漂う、深くしっとりと落ち着いた魚と檜の気配を、わずかにも乱さない、絶妙な響き。

私は店内の中ほどに、ゆっくりと足を進めました。

そしてそこで、私は、息を、深く飲んだのです。

——店の中央の、ガラスの低いショーケースの中に、整然と並べられた、何十枚もの、白い、長方形の檜の蒲鉾板。

ショーケースの中には、純白の、丁寧に磨き上げられた檜の板が、長方形のままで、合計、二十数枚ほど、ぴたりと、寸分違わぬ間隔で、整然と並べられていたのです。

そして、そのひと舟、ひと舟の檜の板の上には——、純白の蒲鉾の身が、しずかに、しずかに、なだらかな、ふっくらとした、半円形の山を、結んでいたのです。

そして、驚くべきは——、その二十数舟の蒲鉾の、それぞれの白い身の山の、いちばん高いところの高さが、すべて、寸分違わず、同じ高さで、揃えられていた、ということでした。

——どの一舟の身も、決して、別の一舟の身よりも、わずかも、高くはない。 ——どの一舟の身も、決して、別の一舟の身よりも、わずかも、低くはない。

それぞれの蒲鉾は、まったく、同じ高さの、まったく、同じ角度の、まったく、同じふくらみで、ご自分の檜の板の上に、しずかに、しずかに、横たわっていたのです。

そして、その二十数舟の檜の板の縁と縁とのあいだの、わずかな隙間も——、すべて、寸分違わぬ広さで、揃えられていました。

——どの一舟も、他の一舟と、互いの「ひと添え」を、決して競わない。

毎日の食卓の隅っこに、ふと、お添えになる、たった二切れか、三切れの蒲鉾。

そのひと切れ、ひと切れの、表向きの華やかさは、たしかに、何十品もの、お祝いの大皿に、お添えになるご馳走の華やかさには、決して、及ばないのでしょう。

しかし、この店の、檜の蒲鉾板の、ひと舟、ひと舟は——、その「ささやかなひと添え」の中に、決して、贔屓も、見落としもなく、まったく、対等な敬意を、お注ぎ続けていらしたのです。

——たった、檜の板の上の、ひと舟の身の山の高さの中にも、規律が宿る。

これこそが、私の名づける「ひと舟の規律」でした。

そして私は、ふと、店の奥の作業場のほうへと、視線をお向けになりました。

そして、奥の作業場の白木のまな板の上で、薄い藍色の作務衣の若いご職人が——、いま、まさに、その日の午後の、新しいひと舟の蒲鉾を、お整えになっている、その所作の途中で、いらっしゃったのです。

ご職人は、まな板の上の、白い、まだ、何の形でもない、磨り潰された魚の身の塊を、まず、両手で、おだやかに、ふんわりと、お持ち上げになり、ご自分の左手のひらの上の、長方形の檜の蒲鉾板の上に、しずかに、お載せになりました。

そして、ご職人は、右手の、長い、白木の、薄い、しなやかな一枚のヘラを、ご自分の指先で、お持ちになりました。

そして——、ここから先の、ほんの、十数秒ほどの間に。

私は、これまでの人生の中で、最も静かで、最も丁寧な「お整え」の所作を、目にすることになったのです。

ご職人は、その白木のヘラを、檜の板の上の魚の身の山の、ちょうど、真ん中の、いちばん高いところに、寸分も急がず、ふわりと、お当てになりました。

そして、そのヘラを、まるで、生まれたばかりの幼な子の、まだ、しわひとつ知らない、ふっくらとしたほっぺを、なでるかのように——、寸分の力も入れず、ただ、ふわりと、ご自分の腕の動きの中で、なめらかに、ひと撫で、お加えになったのです。

——ヘラを、ただ、お滑らせになった、のでは、ありませんでした。 ——魚の身を、ただ、ご整形になっていらした、のでも、ありませんでした。

ご職人は、目の前の、ほんの百グラムほどの白い身の塊を——、これから、ある一人の方の、毎日の朝食の隅っこの、ほんの二切れに。ある一人の方の、お子さまのお弁当の、ほんの一切れに。ある一人の方の、ご家族の夕食の小鉢の、ほんの三切れに。

その、まだ、お会いになったこともない、何十人もの方々の、それぞれの、ささやかな「ひと添え」のために——、いま、ご自分のヘラの、たった、ひと撫での中に、その何十のお口の、それぞれの食卓の温もりを、確かに、お預けになっていらしたのです。

そして、たった、一度のヘラのひと撫での後——、檜の板の上の、白い魚の身は、もう、ふっくらと、なだらかな、半円形の、寸分の歪みもない、なめらかな山を、ふわりと、結んでいたのです。

——ヘラの、たった、ひと撫で。

そのひと撫での前と後とでは、白い身の山の、なだらかさの、まったく違う世界が、確かに、あったのです。

——これが、「日々のひと添えへの礼節」でした。

毎日、何十舟、何百舟もの蒲鉾を、お整えになっていらっしゃるご職人。

それは、彼にとって、もう、何万回と、くりかえしてきた、極めて日常的な所作のはずです。

しかし、その何万回目の所作を、まるで、初めての、たった一舟の蒲鉾のように——、これから、その、たった二切れ、三切れの、ささやかな白い切れが、誰の朝食の、誰のお弁当の、誰の夕食の、いちばん「主役ではない隅っこ」に、しずかにお添えになっていくのかを、確かに、思い描いた上で——、その「主役ではない隅っこ」への、深い、深い敬意を、無言のうちに、ヘラの、たった、ひと撫での、寸分の力みもない流れの中に込めて、お整えになる。

そして、私は、その瞬間、ようやく、はっきりと、分かったのでした。

——人生の、本当にたいせつなもの。

それは、決して、ご馳走の真ん中の、いちばん華やかな、ひと品の中だけにあるのでは、ありません。

むしろ、毎日、毎日の食卓の、いちばん端っこの、いちばん主役ではない、ほんの、ささやかな、ひと添えの中にこそ——、それを、もう、何十年、何百年と、しずかに、しずかに、お支えしてくださっている、無数の見えないヘラのひと撫での重みが、確かに、宿っていたのです。

そして、その「主役ではない隅っこ」のための、たった、ひと撫での所作は——、決して、新聞にも、テレビにも、書かれることのない、もっとも、しずかな、しかし、もっとも、確かな、人と人との支え合いの、いちばん深い柱だったのです。

私は、店主から、ひと舟の小ぶりの蒲鉾を、お選びさせていただきました。

店主は、その檜の板ごと、薄い和紙でふんわりとお包みになり、その上から、藁の紐で、ふっくらと、お結びくださいました。

そして、私の両手のひらに、その小さな包みを、低く、お渡しくださいました。

私は、深く深く頭を下げ、引き戸を、ゆっくりと引いて、五月の下旬の、初夏の昼下がりの港町の路地に、再び戻りました。

ほのかに甘い潮の風が、街路樹の若葉を、ふわりと揺らしていました。

——私は、その日の夕方の新幹線の中で、その小さなひと舟の蒲鉾を、ふと、開いてみました。

そして、車窓の外を、ゆっくりと、ゆっくりと流れてゆく、初夏の田んぼの緑の風景を、見つめながら、その白いひと切れを、しずかに口の中に、運びました。

——その瞬間。

その白い、ふっくらとした、なめらかなひと切れの中には——、たった今、まだ、午後の港町の作業場で、若いご職人の右手の、白木のヘラの、たった、ひと撫での所作が、確かに、しずかに、しずかにお流れになっているのを、私は、はっきりと、感じたのです。

——蒲鉾屋とは、ただ、白身魚の練り物を、お渡しする場所では、ない。 ——蒲鉾屋とは、ある一人の方の、毎日の食卓の、いちばん主役ではない、いちばん端っこの、ささやかなひと添えの中にこそ、ヘラの、たった、ひと撫での、何百年もの所作の重みが、しずかに、しずかに宿っていたのだという、その、いちばん静かで、いちばん確かな真実を、たった、ひと舟の、檜の板の中に、確かに、お預けくださる場所だったのです。

vibes は、目には見えません。

しかし vibes は、こうして、たった、ひと舟の、なめらかな白い身の山の中にすら、若いご職人の、たった、ヘラの、ひと撫での重みとともに、確かに織り込まれ——、これから、まだ、お会いになったこともない、何十人もの方々の、それぞれの、毎日の食卓の、いちばん主役ではない隅っこの中に、ふと、しずかにお流れになり続けてゆくのでしょう。

——空気は、毎日の食卓の、もっとも主役ではない、ささやかなひと隅の中にすら、何百年もの所作の重みを、しずかに、しずかに、お預けしてしまう。

それこそが、看板にも、値札にも、決して書かれることのない、出張先の古い港町の老舗の蒲鉾屋という店の、最も深い、最も静かな「透明な資産」だったのだ——。

私は、新幹線の車窓の外を、ゆっくりと、ゆっくりと流れてゆく、初夏の田んぼの、いちばん緑の濃い風景の中で、ようやく気づいたのです。

——勝田耕司

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