五月の下旬のある水曜日の昼下がり、午後一時半のこと。
陽差しがもう、初夏というよりは、夏のはじまりの明るさを、街全体に、ふわりと、しかし確かに満たし始めた、ちょうどその時刻。
私は、午後のアポイントまでの、ぽっかりと空いた一時間ほどを抱えながら、いつもの大通りから二本だけ路地のほうへと外れた、古い住宅街の一角を、ゆっくりと歩いていました。
——その昼下がり、私が、いつもとは違う路地のほうへと、ふと、足を向けようと思い立ったのには、特に、はっきりとした理由は、ありませんでした。
ただ、私が、いつもの大通りを、ゆっくりと歩いていた、その途中。
ある一本の細い路地のほうから、初夏の昼下がりの、ほのかにあたたかな風に乗って——、ふと、しずかに、しずかに、低く、しかし、確かに澄み切った、ひと音、ふた音と、何かの、弦のような楽器の、ためし鳴らしの音が、ふんわりと、流れてきていたのです。
——その音は、決して、楽曲では、ありませんでした。
ただ、誰かが、ある一本の弦を、ぴんと張り、その弦の上に、弓のような何かを、ほんの一往復、お滑らせになっている、それだけの、ためしの音。
しかし、その、たった、ひと音、ふた音の中には——、何か、深く、しっとりと、心の芯のほうに、ふんわりと、しみ込んでくる、清らかな、清らかな、ひと音の、確かなふくらみが、こもっていたのです。
——あの、ひと音の先に、どんな店があるのだろう。
私はそう思い、その細い路地のほうへと、ゆっくりと足を向けたのです。
そして、いくつかの路地を、曲がった、その先で——、私は、ある一軒の、小さな店の前に、立っていたのです。
——弦楽器工房。
商店街の路地の、ちょうど突き当たり。
磨き込まれた木の引き戸の上には、深い焦げ茶色の地に、白く「弦楽器」とたった三文字、染め抜かれた、年代物の小さな日除けが、初夏の昼下がりのやわらかな風にふわりと揺れていました。
開業から、優に七十年は、超えているのでしょう。
私は引き戸の取手にそっと手をかけました。
引き戸が、長年使い込まれた木の、低く澄んだ音を立てて、ゆっくりと横へ滑った瞬間。
私を包み込んだのは、初夏の昼下がりの路地の、明るい風の中とは、まったく種類の違う、深く、しっとりと、しかし、決して重くはない、ある——磨き上げられた木の楽器の、ほのかに琥珀色の、しっとりとした、上品な木の匂いと、ニスの、ごく控えめな、しずかに澄んだ匂いと、松脂の、わずかにつんとした、しかし、決して不快ではない、清らかな匂いと、そして、長年、何百本、何千本という弦楽器が、職人の指先と、ニスと、駒との上で、ひと張り、ひと張りとお整えになり続けてきた、その「ひと音の場」そのものの、芳醇で、しっとりと落ち着いた木の気配とが、ひとつに溶け合った、深く、しかし、極めて、清らかな、ひとつの空気の厚みでした。
そこに漂っていたものは、もはや、ただの「楽器屋の匂い」では、ありませんでした。
それは、何百、何千本という弦楽器が、この工房の中で、ひと張り、ひと張りと、職人の指先の中で、お整えになり——、そして、それから、何十年と、ひと方の、いえ、何代もの方の手のひらの中で、まだ、誰の耳にも届いていない、まだ、お会いになったこともない、無数の「これから鳴ってゆくひと音、ひと音」のために、お預けされ続けてきた、その「無数の、まだ鳴らぬひと音との出会い」そのものの気配だったのです。
そこには、ある一人の方の、ご自分の指先の下で、これから、何十年もの間、無数の、まだ生まれていないひと音を、しずかに、しずかに育ててゆかれるであろう、ある一台の弦楽器を、確かにお預かりするための、極めて謙虚で、しかし揺るぎない「規律」が、確かに、工房の、ひと張り、ひと張りの弦の、しっとりとした張りの中に、息づいていたのです。
「いらっしゃいませ」
工房の奥の、磨き上げられた檜の作業台の前で、白いシャツの上に、深い茶色のエプロンを締めた、白髪のご高齢の店主が、ご自分の小さな、刃の細い小刀を、両手で、両膝の上の白い布巾の上に、しずかに、おだやかに、お休みになりながら、私のほうを見て、深く頭を下げてくれました。
年齢はおそらく、もう七十代の半ばに近いでしょうか。
声の音量は決して強くありませんでした。
むしろ、店内に漂う、深く清らかなひと音の気配を、わずかにも乱さない、絶妙な響き。
——そして、私は、店主の作業台の上の、ある一台の楽器を見て、息を、深く飲んだのです。
それは、深い、深い琥珀色の、磨き上げられた木の本体に、四本のしずかな絹のような細い弦が、ぴんと、しかし、決して、はりつめすぎない絶妙な張りで、お張られた、一台のヴァイオリンでした。
そして、私が、はじめに、お聞きしていた、あの「しずかに、しずかに澄み切ったひと音、ふた音」は——、まさに、いま、店主が、お整えになっている、この一台のヴァイオリンの、ためし鳴らしの音だった、ということに、私は、その瞬間、はっきりと気がついたのです。
私は工房の中ほどに、ゆっくりと足を進めました。
そしてそこで、私は、もう一つ、息を、深く飲んだのです。
——壁ぎわの、磨き上げられた檜の長い棚の上に、整然と並べられた、何十本もの、深い琥珀色の楽器。
工房の壁ぎわの、長い、長い、白木の棚の上には、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ——、それぞれの大きさの、深い琥珀色の弦楽器が、合計、二十数台、ぴたりと、寸分違わぬ間隔で、整然と立てかけられていました。
そして驚くべきは——、その二十数台の楽器の、それぞれの、本体の上の、四本の弦の、ちょうど真ん中の、駒のところを、すべて、寸分違わず、同じ高さ、同じ角度で、ぴたりと揃えられていた、ということでした。
ヴァイオリンの、小さな駒の高さも。 ヴィオラの、少し大きな駒の高さも。 チェロの、立派な駒の高さも。
楽器の大きさは、それぞれ、まったく違うのに——、その駒の「弦が、いちばん、高く弾むことができる、ちょうどそこの場所」の、絶妙な高さと角度が、すべて、寸分のずれもなく、ぴたりと、揃えられていたのです。
——どの一台も、決して、別の一台と、駒の高さを、競わない。 ——どの一台も、決して、別の一台と、弦の張りを、競わない。
そして、その、ひと駒、ひと駒の絶妙な高さの中に——、店主は、何十年もの間、ご自分の小刀の刃先の中で、その一台、一台の楽器の、これから、何十年もの間、誰の指先の下で、無数の、まだ鳴らぬひと音、ひと音を、お育てしていくのかを、確かに、思い描いた上で——、駒の、いちばん高く、いちばん澄み切った、ひと音を生み出すための、絶妙な高さを、ひと削り、ひと削りと、お選びになり続けていらしたのです。
——たった、駒の、髪の毛半分ほどの高さの中にも、規律が宿る。
これこそが、私の名づける「弦の張りの規律」でした。
そして、店主は、ふたたび、ご自分の小さな小刀を、両手の指先で、お取りになりました。
そして、作業台の上の、いま、お整えになっている、その一台のヴァイオリンの、駒の、ちょうど、いちばん高いところに——、店主の小刀の、ほんのわずかな先端を、寸分も急がず、ふわりと、お当てになっていらしたのです。
そして、店主は、その小刀の先端で、駒の木目の、ほんの一点の、わずかな出っ張りを——、ほんの、髪の毛の半分ほどの、極めて繊細な深さで、お削りになりました。
——駒を、ただ、お削りになった、のでは、ありませんでした。 ——音色を、ただ、ご整形になっていらした、のでも、ありませんでした。
店主は、その駒の、髪の毛半分ほどの「出っ張り」を、お削りになることで——、これから、その一台のヴァイオリンが、何十年もの間、誰の指先の下で、お鳴りになっていくのかを、確かに、思い描きながら、その「まだ鳴っていない、しかし、必ず、鳴ってゆくであろう、ひと音、ひと音」の道を、ご自分の小刀の先端の中で、しずかに、しずかに、開けてくださっていたのです。
そして、店主は、その小刀を、両手の指先の中に、再びおだやかに収め、駒を、両手で、低く、ご自分の指先で、ふっと、軽くお拭きになりました。
そして、ご自分の頭の脇に置いてあった、ほっそりとした一本の弓を、お取りになりました。
そして、その弓を、たった一本の弦の上に、ふっと、ひと往復、お滑らせになったのです。
——ひと音。 ——たった、ひと音。
しかし、その、たった一本の弦の、ひと往復の中から立ち上った、ひと音は——、私が、はじめに、路地で、お聞きしていた、あのひと音とは、もう、寸分の違う、何か、もっと、深く、しっとりと、清らかに澄み切った、新しいひと音だったのです。
——髪の毛半分の、お削り。
その、お削りの前と、後とでは、もう、生まれてくるひと音の、清らかさの、まったく違う世界が、確かにあったのです。
——これが、「まだ鳴らぬひと音への礼節」でした。
毎日、何本もの楽器の、駒を、お整えになっていらっしゃる店主。
それは、彼にとって、もう、何万回と、くりかえしてきた、極めて日常的な所作のはずです。
しかし、その何万回目の所作を、まるで、初めての、たった一台の、たった一本の弦の、まだ、誰の耳にも届いていないひと音のように——、これから、その一台が、何十年もの間、誰の指先の下で、誰のお手のひらの中で、誰のホールの空気の中で、無数の、まだ、お会いになったこともない方々の耳に届いてゆくのかを、確かに、思い描いた上で——、その「まだ鳴らぬ、無数のひと音」への、深い、深い敬意を、無言のうちに、ご自分の小刀の、髪の毛半分の深さの中に込めて、お整えになる。
そして、私は、その瞬間、ようやく、はっきりと、分かったのでした。
——人の手というものは、決して、目に見えるものだけを、お整えになっているのでは、ない。
ある一人の方の、ご自分の指先の下では——、いま、まだ、この世のどこにも、まだ生まれていない、無数のひと音、ひと音、ひと言、ひと言、ひと筆、ひと筆が、しずかに、しずかに、お育ちになりはじめていたのです。
そして、その「まだ生まれていない無数の何か」のための、たった、髪の毛半分の繊細さの所作こそが——、もっとも、しずかな、しかし、もっとも、確かな、人の手の、いちばん奥にある、敬意の表れなのです。
店主は、その一台のヴァイオリンを、両手で、低く、白い布で、ふんわりとお包みになりました。
そして、もう、まもなく、お引き取りに来られる、まだ、お会いになったこともない、ある一人の方のために、店の脇の、白木の小さな棚の上に、しずかに、しずかに、横たえられました。
私は、店主に、深く深く頭を下げ、引き戸を、ゆっくりと引いて、五月の下旬の、初夏の昼下がりの路地に、再び戻りました。
街路樹の若葉は、その昼下がりの陽差しの中で、いちばんの濃い緑のまま、初夏の風に、ふわりと揺れていました。
そして、まだ、私の耳の中には、たった今、店主の弓が、たった一本の弦の上で、お滑らせになった、あの、新しい、清らかなひと音が、しずかに、しずかにお響きになり続けていたのです。
——弦楽器工房とは、ただ、楽器を、お整えになる場所では、ない。 ——弦楽器工房とは、ある一人の方の、ご自分の指先の下に、まだ、この世のどこにも生まれていない、無数の、まだ鳴らぬひと音、ひと音への、深い、深い敬意を、たった、駒の髪の毛半分の深さの中に込めて、お預けくださる場所だったのです。
vibes は、目には見えません。
しかし vibes は、こうして、たった一台のヴァイオリンの、駒の、髪の毛半分の整え直しの中にすら、店主の何十年もの所作の重みとともに、確かに織り込まれ——、これから、まだ、お会いになったこともない、何十年もの未来の、無数のひと音の中に、しずかに、しずかにお流れになり続けてゆくのでしょう。
——空気は、まだ、この世のどこにも生まれていない、無数のひと音、ひと音への、深い敬意を、たった、駒の髪の毛半分の整え直しの中に、しずかに、しずかにお預けしてしまう。
それこそが、看板にも、値札にも、決して書かれることのない、町外れの老舗の弦楽器工房という店の、最も深い、最も静かな「透明な資産」だったのだ——。
私は、まだ、私の耳の中に、しずかに、しずかに、お響きになり続けている、たった一本の弦の、たった、ひと往復のひと音とともに、五月の下旬の、もうすぐ夏の気配を含み始めた、初夏の昼下がりの路地の中で、ようやく気づいたのです。
——勝田耕司













この記事へのコメントはありません。