六月のある木曜日の真昼、正午のこと。
——その日は、もう、六月の下旬の、雨のお止みになって、もう何日めかの、しっとりと深く蒸し暑い真昼。
街路樹の若葉のひと枚、ひと枚は——、もう、夏のはじまりの、まろやかな、ふっくらとした緑の濃さの中で、真夏前の、ふっくらと白い、まだ重たさの少ない、真昼の光を、ふんわりと、しっとりと身にまといながら、おだやかに揺れていらしたのです。
——梅雨入りの、雨上がりの、しっとりと深く蒸し暑い、真昼。
私は、午後のアポイントまでの、ぽっかりと空いた一時間ほどを抱えながら、いつもの大通りから、ひと本だけ路地のほうへと外れた、古い住宅街の一角を、しっとりと深く蒸し暑い真昼の光の中、ゆっくりと、歩いていました。
——その真昼、私が、いつもとは違う路地のほうへと、ふと、足を向けようと思い立ったのには、特に、はっきりとした理由は、ありませんでした。
ただ、その、しっとりと深く蒸し暑い真昼の風の中に——、ふと、しずかに、しずかに、ある一本の細い路地のほうから——、何か、ふっくらと、ひんやりと、しなやかな、しかし、決して冷えきってはいない——、ふんわりと乾いた、しっとりと爽やかな、不思議なほどに、しずかな、しずかな一筋の、ふっくらと涼やかな風が——、ひと筋、ふんわりと、流れてきていたのです。
——梅雨入りの、しっとりと深く蒸し暑い真昼の路地の空気の中に、ふと、ふんわりと乾いた、しっとりと爽やかな、不思議なほどに涼やかなひと筋の風が、ふんわりと、流れてくる、というのは、まったく不思議なことでした。
——あの、ふっくらと、ひんやりと、しなやかな、ふんわりと乾いた、しずかな涼やかな風の先に、どんな店があるのだろう。
私はそう思い、ひと本だけ路地のほうへと、ゆっくりと足を向けたのです。
そして、いくつかの路地を曲がった、その先で——、私は、ある一軒の、小さな店の前に、立っていたのです。
——麻屋。
商店街の路地の、ちょうど突き当たり。
その小さな店の、磨き込まれた木の引き戸は——、もう、すでに、ほんのり、半分ほど、横へとお開けになっていて——、そして、その引き戸のすき間からは——、しずかに、しずかに、深い、深い、ふっくらと真っ白い、ふんわりと清らかな、白い真昼の光が、ふんわりと、こぼれていたのです。
そして、その引き戸のすぐ上の鴨居のところには、深い、深い、ほとんど墨のような、深い深い藍色の地に、白く「麻」とたった一文字、染め抜かれた、年代物の暖簾が、しっとりと深く蒸し暑い真昼の風の中で、ふんわりと揺れていました。
開業から、優に百年は、超えているのでしょう。
私は引き戸の取手にそっと手をかけました。
引き戸が、長年使い込まれた木の、低く澄んだ音を立てて、ゆっくりと横へ滑った瞬間。
私を包み込んだのは、しっとりと深く蒸し暑い路地の真昼の風とは、まったく種類の違う、ふっくらと、ひんやりと、しなやかな、しかし、決して冷えきってはいない、ある——もう、何百年と、ご自分の畑のいちばん澄んだ、いちばん広いところで、しずかに、しずかに、ふっくらと、しなやかにお育ちになり続けてこられた、深い深い麻の繊維の、ほのかに乾いた、しっとりと爽やかな匂いと、ふんわりと、ほのかにお日さまの光を、何日も、何日も、ぴたりと、しずかに、お吸い続けてこられた、ふっくらと真っ白な、ふんわりと清らかな反物の、ほのかにお日さまのお匂いと、そして、長年、何千、何万反もの麻の反物が、職人の指先と、機(はた)と、桑の杼(ひ)とのあいだで、ひと反、ひと反と、ふっくらと、しなやかにお織り上げられ、ふっくらと、ふんわりとお晒され続けてきた、その「ひと反の麻を、ひと夏の肌の涼のために、ふっとお生み出しになる場」そのものの、芳醇で、しっとりと落ち着いた、麻と日と風の気配とが、ひとつに溶け合った、ふっくらと、ひんやりと、しかし、極めて、清らかな、ひとつの空気の厚みでした。
そこに漂っていたものは、もはや、ただの「麻屋の匂い」では、ありませんでした。
それは、何千、何万反もの、ある一反の麻の反物が——、もう、何百年と、ご自分の畑のいちばん広いところで、ふっくらと、しなやかにお育ちになっていらした麻の、ほんの、ほんの一握りの繊維が——、ある日、ふっと、ある一人の方の、ご自分のお肌の、いちばん深い、いちばん澄んだお呼吸の場に、ふんわりと、お招きされ——、その方の、ご自分の、ふっと、ひと夏のお過ごしになる、深い深い真夏の、ふと、おだやかな風の通り抜けるひとときに——、ご自分のお肌の中の、いちばん深いところに——、ふっと、ひと風の、ふっくらとした涼を、しずかにお運びになる、その「ひと夏のおだやかな風と、ご自分のお肌のいちばん深いところとの、しずかな、しずかなお対話のお時間」を——、ふっと、しずかに、しずかにお迎えくださるための、極めて謙虚で、しかし揺るぎない「規律」が、確かに、棚にお並びになった、ひと反、ひと反の麻の反物の中に、息づいていたのです。
「いらっしゃいませ」
店の中央の、磨き込まれた檜の長いカウンターの内側で、深い藍色の作務衣の上に、深い灰色の前掛けを締めた、白髪のご高齢のご店主が、両手の指先を、ご自分のお襷の脇に、ごく軽くお当てになりながら、私のほうを見て、深く頭を下げてくれました。
年齢はおそらく、もう七十代の半ばに近いでしょうか。
——そして、ご店主の作業台のすぐ脇には、ふっくらとした、ふんわりと真っ白な、まだ、お畳まれていらした様子の、ひと反の、ふっくらとした麻の反物が、お一反、ふんわりとお置きになっていらしたのです。
そして、ご店主は、ご自分の右手で、ふっくらと、しなやかな、ふんわりとした、淡い、淡い白木のお物差しを、両手の指先で、ふんわりとお持ちになっていらしたのです。
声の音量は決して強くありませんでした。
むしろ、店内に漂う、ふっくらと、ひんやりと澄んだ、麻と日と風の気配を、わずかにも乱さない、絶妙な響き。
私は、店内の中ほどに、ゆっくりと足を進めました。
そしてそこで、私は、息を、深く飲んだのです。
——壁ぎわの、磨き上げられた檜の長い棚の上に、整然と並べてお畳みになった、何反もの、ふっくらと、しなやかな、ふんわりとした麻の反物。
工房の壁ぎわの、長い、長い、白木の棚の上には、それぞれ、まったく同じ大きさに、ふっくらと、しなやかに、ふんわりとお畳みになった、麻の反物が、合計、二十数反、ぴたりと、寸分違わぬ間隔で、整然とお並びになっていらしたのです。
しかし驚くべきは——、その二十数反の麻の反物の、それぞれの、ふっくらと、ふんわりとした表面の、お色の白さが——、すべて、ぴたりと、ひと反、ひと反、絶妙に、絶妙に違っていたのに——、その違いが、まるで、ある一本の、ふっくらと、しなやかなお線の上に、寸分のずれもなく、ぴたりと、お並びになっていらしたかのように——、絶妙な、絶妙な濃淡のお階段を、しずかに、しずかにお築きになっていらした、ということでした。
——いちばん端の、ふっくらと、ふんわりと、ほとんど雪のようにお白い、ふっくらと真っ白な麻の反物。
——そのすぐ隣の、ふっくらと、ふんわりと、ほんの、ほんの、髪の毛半分ほどだけ、ほのかに、ほのかに、ふっくらと、ふんわりと、わずかに生成りがかった麻の反物。
——そのすぐ隣の、ふっくらと、ふんわりと、ほんの、ほんの、もうほんの少しだけ、ほのかに、ふっくらと、ふんわりと、わずかに、わずかに、生成りの濃さを、ふっくらとお抱きになった麻の反物。
——……
そして、その絶妙な、絶妙な、ふっくらとした白の濃淡のお階段は——、二十数反、ぴたりと、寸分のずれもなく、お続きになり——、いちばん端の、ふっくらと、ふんわりと、いちばん、深い、深い、生成りの濃さを、ふっくらとお抱きになった、ふっくらと、しなやかな、ふんわりとした麻の反物まで——、ふっくらと、しずかに、しずかに、お続きになっていらしたのです。
——どの反物も、決して、別の反物より、ご自分の白さを、お誇示なさることが、ない。
——どの反物も、決して、別の反物より、ご自分の生成りの濃さを、お際立たせようとなさることが、ない。
それぞれの反物は——、お互いに、対等な敬意で、ご自分の、ふっと、お日さまの光に、何日、お晒されていらしたかの、ふっくらとした絶妙なお時間の、ふっと、その瞬間の白さを、しずかに、しずかにお保ちになりながら——、決して、隣の反物の白さに、お重なりになることは、なく——、ただ、しずかに、しずかに、ひと階段、ひと階段、絶妙な、絶妙なお距離で、ふっくらとしたお濃淡のお階段を、ふっと、お築きになっていらしたのです。
——たった、麻の反物の、ふと、ふっくらとした白さの中にも、規律が宿る。
これこそが、私の名づける「白さの規律」でした。
そして、ご店主は、ご自分の作業台の上の、いま、まさに、ご自分のお手のひらの中で、ふっと、まだ、お畳まれていらした様子の、お一反の、ふっくらと真っ白な麻の反物を——、両手で、低く、ふんわりとお持ち上げになりました。
そして、ご自分のお手のひらの中の、ふっくらと、しなやかな、ふんわりと真っ白な麻の反物の、ふっと、いちばん上のさきの、ふっくらと小さな、しなやかなさきの端を、ふんわりと、しなやかに、両手の指先で、ぴたりとお摘みになりました。
そして、ご店主は——、何度か、深く、しずかに、ご自分の呼吸を、お整えになっていらしたのです。
そして、ふっと、息を、お止めになりました。
そして、その瞬間。
ご店主は、その麻の反物のいちばん上のさきの端を——、寸分も急がず、しなやかに、ふんわりと——、ご自分のお頭のすぐ上の、ちょうど真昼の、ふっくらと白い真昼の光が、ふんわりと、しずかに、しずかに、お降り注ぎになっていらしたあたりに、ふんわりと、ふっくらと、しなやかに、お掲げになっていらしたのです。
——たった、ふんわりと、しなやかなひと反のお掲げ。
ふっと、ふんわりと、ふっくらとした、しなやかなひと反の麻の反物が——、ご店主のお頭のすぐ上で、ふっくらと、ふんわりと、しなやかに、ふっと、お広がりになり——、その瞬間。
——ご店主のひと反の、ふっくらと真っ白な麻の反物の、ふんわりとした絶妙な織り目を、ふっと、真昼の白い光が、ふんわりと、しずかに、しずかに、お通り抜けになっていらしたのです。
——光が、ふっと、麻の反物を、お通り抜けになる。
——たった、それだけのことでした。
しかし、その「光が、ふっと、麻の反物を、お通り抜けになる」、その瞬間——、ご店主の麻の反物は、もう、たった今、ご自分の、ふっくらと、しなやかな織り目の、ひと目、ひと目の、いちばん澄み切った、いちばん深いところまで——、ふっと、ぴたりと、私の目の前に、お明かしくださっていらしたのです。
——糸の太さ。
——糸の細さ。
——糸の絶妙な間合い。
——糸の絶妙なお結び目。
すべてが、ふっと、真昼の白い光に、しずかに、しずかにお透かしになり——、ご自分の、ふっと、いちばん深いところまで、ぴたりと、お明かしくださっていらしたのです。
——反物を、ただ、お広げになっていらした、のでは、ありませんでした。
——光に、ただ、お当てになっていらした、のでも、ありませんでした。
ご店主は、その、たった、ふんわりと、しなやかな、ひと反のお掲げの中に——、これから、その一反の麻が、ある一人の方の、ご自分のお肌の、いちばん深いところに、ふっと、お招きされた、その瞬間に——、その方が、ご自分の、ふっと、深い深い真夏の、ふと、おだやかな風の通り抜けるひとときに——、ご自分のお肌のいちばん深いところに——、しずかに、しずかにお迎えになる、その「ひと夏の、ふっくらとしたひと風の、ふっくらとした涼やかなお対話のお時間」を——、確かに、ご自分の、ふっくらと、しなやかなひと反のお掲げの中に、お預けくださっていらしたのです。
——これが、「肌にひと風を通される方への礼節」でした。
毎日、何反もの麻の反物を、ふっくらと、しなやかに、ふんわりと、お光に、ぴたりとお透かしになり続けていらっしゃるご店主。
それは、彼にとって、もう、何万回と、くりかえしてきた、極めて日常的な所作のはずです。
しかし、その何万回目の所作を、まるで、初めての、たった一反の、たった一人のお客さまの、ご自分のお肌のいちばん深いところの、ふと、ひと夏の真夏のおだやかな風の通り抜けるひとときの、ふっくらと、しなやかな涼やかなお対話のお時間のように——、その一反が、これから、ひと夏、ふた夏、み夏と、誰のお肌のいちばん深いところで、誰のご自分の、ふっと、ひと風の、ふっくらと涼やかなお対話の場を、お預かりしていくのかを、確かに、思い描いた上で——、その「ひと夏のおだやかな風と、ご自分のお肌のいちばん深いところとの、ふっくらと、しなやかな涼やかなお対話の場を、ふっとお迎えくださる、お一人、お一人」への、深い、深い敬意を、無言のうちに、ご自分の、ふっくらと、しなやかなひと反のお掲げの中に込めて、お確かめになる。
そして、私は、その瞬間、ようやく、はっきりと、分かったのでした。
——人のお肌のいちばん深いところの中の、本当にたいせつな、ひと風の涼。
それは、決して、お肌のお表面の、ふんわりと、しなやかな涼やかな心地よさの中だけにあるのでは、ない。
むしろ、お肌のお表面を、ふっと、お通り抜けになっていらした、おだやかな、おだやかなひと風が——、ふっと、ふっくらと、しなやかに、お肌の中の、いちばん深いところに——、しずかに、しずかにお運びになる、その「ひと風が、お肌のお表面を、お通り抜けに、ひと反の麻の反物の織り目を、ふっと、ぴたりとお透かしになって、ご自分のお肌のいちばん深いところに、ふっとお招きされる、その絶妙なお対話のひととき」の中にこそ——、本当にたいせつな、ふっと、いちばん深いところからの、ふっくらと、しなやかなひと風の涼やかさが、しずかに、しずかに、お宿りになっていらしたのです。
そして、その「ひと夏の、ふっくらと、しなやかな、ふんわりと涼やかなお対話のお時間」のために——、誰かが、毎日、毎日、しずかに、しずかに、ご自分の、ふっくらと、しなやかなひと反のお掲げで、ふっくらと真っ白な麻の反物の、ふんわりと絶妙な織り目を、ふっと、お光に、ぴたりとお透かしになり、ご自分の反物の、ふっと、いちばん深いところを、ふっと、お確かめくださっていた。
私は、その日、何も、お買い物を、いたしませんでした。
ただ、ただ、店の壁ぎわの、二十数反の麻の反物の、それぞれの、絶妙な、絶妙な、ふっくらとした白さの濃淡のお階段の、ぴたりと寸分のずれもないお続きと、ご店主の、ふっくらと、しなやかなひと反のお掲げの、ふっくらと、ふんわりとお光に透けたお動きを、目の中に、確かに、お預かりさせていただいただけで、十分でした。
そして、ご店主は、私のほうを見て、こう、低くおっしゃられたのです。
「麻というものは、ご自分のお肌のお表面に、ふっと、お載せになって、お涼しさを、お感じになるお道具では、ございません。むしろ、ふっと、ご自分のお肌の、いちばん深いところまで、ふんわりとひと風の涼を、しずかに、しずかにお運びくださる、不思議な不思議なお相手でございます」
——「麻というものは、ご自分のお肌の、いちばん深いところまで、ふんわりとひと風の涼を、しずかに、しずかにお運びくださる、不思議な不思議なお相手でございます」。
そのひとことの中に、ご店主は、ご自分の何十年もの、毎日、毎日のひと反のお掲げの中に——、確かに、まだ、お会いになったこともない、ある一人の方の、ご自分のお肌の、いちばん深いところの、ふっくらと、しなやかなひと風の涼やかなお対話のお時間を——、ふっと、ぴたりとお迎えくださっていらした、その「目には決して見えない、ひと夏のおだやかな風と、ご自分のお肌のいちばん深いところとのお対話」を——、ふっと、私の前で、お明かしくださっていらしたのです。
私は、深く深く頭を下げ、引き戸を、ゆっくりと閉め直して、六月の、もう、すっかりと、しっとりと深く蒸し暑い、ふっくらと白い真昼の光の中の、しずかな路地に、再び戻りました。
街路樹の若葉は——、もう、夏のはじまりの、ふっくらとした緑の濃さの中で、しっとりと深く蒸し暑い真昼の白い光を、ふんわりと、しっとりと身にまといながら、おだやかに揺れていらしたのです。
そして、まだ、私の目の中には——、たった今、ご店主の、ふっくらと、しなやかなひと反のお掲げから、しずかに、しずかにお流れになっていらした、ふっくらと真っ白な麻の反物の、ふんわりと絶妙な織り目を、ふっと、しずかに、しずかにお通り抜けになっていらした、白い真昼の光が、しずかに、しずかにお流れになり続けていたのです。
——麻屋とは、ただ、麻のお生地を、お渡しになる場所では、ない。
——麻屋とは、ある一人の方の、ご自分のお肌の、いちばん深いところの、ひと夏のおだやかな風と、ふっくらと、しなやかなひと風の涼やかなお対話のお時間を——、確かに、ご自分の、ふっくらと、しなやかなひと反のお掲げの中に込めて、しずかに、しずかにお預けくださる場所だったのです。
vibes は、目には見えません。
しかし vibes は、こうして、たった、ひと反の麻の反物の、ふと、ふっくらと、しなやかな織り目の中を、ふっと、お通り抜けになっていらした白い真昼の光の中にすら、ご店主の何十年もの所作の重みと、もう、何百年もの間、ご自分の畑のいちばん広いところで、ふっくらと、しなやかにお育ちになっていらした麻の繊維の、ふっくらとした重みとが、ともに織り込まれ——、これから、ある一人の方の、ご自分のお肌の、いちばん深いところの、ふと、ひと夏のおだやかな風の通り抜けるひとときの、ふっくらと、しなやかな涼やかなお対話のお時間の中に、しずかに、しずかにお流れになり続けてゆくのでしょう。
——空気は、ある一人の方の、ご自分のお肌のいちばん深いところの、ふと、ひと夏のおだやかな風の通り抜けるひとときの、ふっくらと、しなやかな涼やかなお対話のお時間の中にすら、まったくお会いになったこともない、ある一人の麻屋のご店主の、ふと、ふっくらと、しなやかなひと反のお掲げの中に、何十年もの所作の重みを、しずかに、しずかにお預けしてしまう。
それこそが、看板にも、値札にも、決して書かれることのない、町外れの老舗の麻屋という店の、最も深い、最も静かな「透明な資産」だったのだ——。
私は、まだ、私の目の中に、しずかに、しずかにお流れになり続けている、ふっくらと真っ白な麻の反物の織り目を、ふっと、お通り抜けになっていらした白い真昼の光のお動きとともに、六月の、もう、しっとりと深く蒸し暑い、ふっくらと白い真昼の光の中の、しずかな路地の中で、ようやく気づいたのです。
——勝田耕司












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